お地蔵さんのあるまち京都~小さな石仏とその祠はまちの姿にどのような影響を与えているか~
筆者の住む京都市は多くの観光客が訪れる町である。2023年は4年ぶりに多くの観光客が戻ってきた。(注1)人々は観光地として有名どころの金閣寺や清水寺、嵯峨野嵐山方面、また四条通や東山通、河原町などの繁華街へ、さらに府内、大津市合わせて17か所もの世界遺産が点在する(注2)ことにより、より多くの広いエリアを訪れることになった。ガイドブックは数えきれないほど出版され、更新されていく。市民の知らないようなことまで紹介され、外部の人の方がよく知っていることもある。しかし京都にあるのはそれだけではない。市民には当たり前すぎて気にもされないが、まちのあちこちにあるものがある。それが「お地蔵さん(地蔵像、地蔵祠)」である。呼称として、仏像とその祠であり、尊崇と親しみを込めた、また京都人の常のもの言いとして「お地蔵さん」を使用することにする。
1. 基本データと歴史的背景
1-1基本データ
お地蔵さんは仏の一種で、その姿は多くの仏像とは異なり僧形である。まちのあちこちにあるお地蔵さんは、たまに1メートルぐらいの大きさのものがあるが、多くは小さな石仏である。縦横とも40~50センチぐらいで、摩耗して目鼻立ちすらはっきりしないものが多い。祠に祀られているもの、段の上に祀られているもの、また路傍にあるものもある。民家やビルの敷地の一部に祠が建てられているのをよく見かけるが、公園や小学校、大学病院敷地内にあるのも発見した。祠は一つとして同じものが見当たらない。木造、石造り、コンクリート製、珍しいものではタイル貼りのものもあった。祀られているのは一尊(注3)とは限らず、複数祀られている場所もあった。よだれかけをまとい、化粧が施されているものも多い。それらの事実は人の手により守(も)りされていることを表す。またお地蔵さんと呼んでいるが石仏すべてが地蔵菩薩というわけではなく、大日如来や釈迦如来であることもあるが、それらをひっくるめてお地蔵さんと呼んでいる。
1-2地蔵信仰の歴史
地蔵菩薩は仏教の伝来とともに日本に伝わってきた。その利益は、仏なき末法の世の救い主としてあらゆる場所に身を換えて現れ、六道輪廻の苦しむ人々を救うことである。ことに最も苦しみの激しい地獄の救済こそ地蔵本願の特徴とされる。地蔵信仰は9世紀ごろまではほとんど発展しなかったが、平安時代末期から鎌倉時代にかけて末法思想が広がり、地獄に堕ちるのは必定という思想から地蔵信仰の拡大に向かう。特に武士や庶民など殺生を避けえない人々からの希求はいかばかりだったろうか。やがてさまざまな民俗信仰と習合し、いわゆる賽(さい)の河原の物語などから、子どもの守護神とするなどの信仰形態が特徴的に現れてくる。(注4)
江戸時代になると地中や川の中から掘り出された石仏を祀り、「地蔵会(え)」「地蔵祭」と呼ばれる今日の「地蔵盆」につながる風習が見られるようになった。明治に入り、廃仏毀釈の影響で「地蔵会(え)」「地蔵祭」が禁止されたり地蔵像自体を廃棄させられたりするが、やがてその嵐も去り、子どもの健やかな成長や家内安全、町内安全などを祈る「地蔵盆」が盛んにおこなわれるようになった。(注5)
1-3地蔵盆
8月後半、夏休みの最終盤にお地蔵さんの前で行われる行事で、町内会、自治会が運営することが多い。宗教的な行事というよりは運営する町内会、自治会の行事としての意味合いが強い。子どもに楽しんでもらえるように企画運営するが、地域のコミュニケーションの場でもある。少子化の昨今縮小傾向にはあるが、継続の意思を示す地域も多い。(注6)
2.事例のどんな点について積極的に評価しているのか
京都市内では、15分も歩けば一尊も見ないことは珍しいぐらい多くのお地蔵さんを見かけるが、筆者はその数のみを評価しているのではない。お地蔵さんがあるということは、それをお守(も)りする人がいるということである。見ようによってはただの石ころであるかもしれない。だが決して粗末には扱われず、清掃され、荘厳され、供え物がされる。ささやかではあるがその汚(けが)してはいけない雰囲気は、文化の違う外国人であっても通じることだろう。京都市内にあるお地蔵さんは5千とも6千ともいわれるが(注7)、どれほど多くの人が関わっていることだろう。そのような人々のふるまいがまちの姿を形作っているといえる。以上の点を高く評価している。
3.国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか
国外の場合
筆者はロンドン、パリ、ローマ、上海、台北、ソウルなどを観光した。そこにはいわゆる聖地という場所はあったが、まちのあちこちに尊崇の対象となるものは発見できなかった。インターネット上でも発見できなかった。
近隣のまちと比較してみた。
滋賀県大津市の場合
大津市の浜大津と呼ばれる地区に調査に行ってみた。この地区は民家と商店、会社などが近接し、旧い街並みが残る地区である。また大津まつりの山車が練り歩く地区でもある。ここでは京都で見るのと同じようにまちのあちこちにお地蔵さんがあった。冒頭で、お地蔵さんを他所では見られないとしたのは誤りであった。この辺りは京都市とまちの雰囲気が似ているところがある。
大阪市の場合
大阪市の日本橋、道頓堀、心斎橋あたりの最も大阪らしいとされる地区に調査に行ってみた。この辺りは飲食店、土産物屋、遊興施設、劇場、ホテルなどがひしめく地区で、多くの人々が行きかっていた。お地蔵さんについては、「出世地蔵」と名のついた京都や大津より少し大きな規模で祀られているのを一か所発見した。花や水、線香など同じように供えられていた。民家はなさそうである。京都市では繁華な地区でも一歩入ればお地蔵さんを見かけることがあるが、大阪市では少し事情が違うようであった。
大阪府泉大津市の場合
この地区に居住している身内にインタビューしてみた。30分程度の散歩コースに3か所ほど見かけるということだった。この辺りも職住近接である。
神戸市の場合
三宮の繁華な場所で「三ノ宮地蔵尊」を発見した。
近隣のまちにもお地蔵さんは存在していた。調査した地域は地蔵盆が開催される地域(注8)とも重なるので、当然の結果かもしれない。京都の、として特筆すべきは、その数の多さ、祀られている場所の多彩さ、バラエティーに富む祠などである。
4.今後の展望について
お地蔵さんのお守(も)りをしている人にインタビューしてみた(60代女性)
Qなぜお地蔵さんのお守(も)りをしているのか。
Aずっと前からしているから。
Q費用はどうしているのか。
A花代などは町内会から支出してもらっている。
この女性は半ば習慣のようにお守(も)りしている様子である。金銭を伴う仕事ではなくボランティアで行っている。他のすべてに当てはまるわけではないだろうが、そこにお地蔵さんがあるから当たり前のようにお守(も)りをしている人がいる。もし自分ができなくなっても、近所の誰かがやってくれる信頼関係はありそうだった。一か所に多くのお地蔵さんが祀られている場所があるが、それらが集まった経緯と勝手に置いていくな、との貼紙があるのを発見した。(画像参照)また壬生寺には多くのお地蔵さんが祀られているが、地蔵盆には貸し出しもしてくれるという。(注9)これらのことからお地蔵さんのある風景は今後も続くと予想される。
5.まとめ
民話などによく登場することから、お地蔵さんは最も身近な仏像として日本中に存在する。だが京都ほど多くの人々の生活に溶け込んでいる地域は少ないのではないだろうか。
京都には長い歴史があり、歴史の中で築かれてきたものを観光資源として活用しているところはある。現在はオーバーツーリズムで市民生活が圧迫されているのが現状である。地価の値上がりなどで転出者日本一がこのまま続き、まちに人が住めなくなれば、京都の魅力もやがて褪せていくだろう。観光地といえども人々が生活するまちである。お地蔵さんがある風景は目立たないが、このまちのありようなのである。人々の生活が変化する中でいつまでも多くのお地蔵さんが存在するまちであることを願う。
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京都有数の繁華街木屋町にて
2023年12月20日、筆者撮影 -
屋根の上にトラが乗り、タイルが使われている珍しい祠
2023年9月23日、筆者撮影 -
正月に鏡餅が供えられたお地蔵さん
2024年1月2日、筆者撮影 -
大阪有数の繁華街道頓堀付近出世地蔵
2024年1月14日、筆者撮影 -
多くのお地蔵さんが同居、管理者から無断で置いていかないようお願いの貼り紙も見られた
2023年11月17日、筆者撮影 -
浜大津でも多くのお地蔵さんに出会った
2024年1月12日、筆者撮影 -
泉大津でもお地蔵さんはよく見かけるという
2024年1月15日、筆者身内撮影 -
京大病院では複数のお地蔵さんに出会った。全快、延命などの言葉が切実
2023年11月17日、筆者撮影
参考文献
(注1)2019年末中国から始まった新型コロナウィルスによる感染症は世界中に広がり、感染拡大を防ぐため人々は行動制限し、接触を避けた。日本では2023年5月、感染症への扱いが変更され、3年余りにわたる外出自粛や人との接触を避ける生活が一変した。
(注2)京都市情報館世界遺産「古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)」
https://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000005538.html
(注3)(注5)(注9)同志社大学ジャーナリズム・メディア・アーカイブス研究センター企画『報告書 地蔵祠・地蔵盆は今』、2023年、2022年度「"諸君ヨ、一人ハ大切ナリ"同志社大学SDGs研究」プロジェクト京都の「地蔵祠」から学ぶ持続可能な地域コミュニティのあり方に関する研究 竹内幸絵研究室 同志社大学メディア学科
(注4)速水侑著『観音・地蔵・不動』、2018年、吉川弘文館
(注5)(注8)筆者提出レポート:芸術演習2地蔵盆~地域コミュニティと少子化時代~
(注6)京都市自治会・町内会&NPOおうえんポータルサイト地蔵盆に関するアンケート調査(コロナ禍への対応) 結果のご報告
https://chiiki-npo.city.kyoto.lg.jp/wp-content/uploads/2022/11/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E7%9B%86%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%88%E8%AA%BF%E6%9F%BB2022_%E7%B5%90%E6%9E%9C%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81.pdf、2023年11月20日閲覧
竹村俊則著『京のお地蔵さん』、1994年、京都新聞社
京都ふるさと伝統行事普及啓発実行委員会編集・発行『京都の祭り・行事ー地蔵盆とコロナ禍の地域行事』、2022年
鳴橋明美著『京都人度チェック~年中行事/中編~ 全6選、2022年、KLK編集部
松浦忠平編著・画『今日の夏、おもいで絵ばなし 地蔵盆』、1986年、律宗別格本山壬生寺
京都をつなぐ無形文化遺産 京の地蔵盆
https://kyo-tsunagu.city.kyoto.lg.jp/jizo/kyonojizobon/、2023年11月5日閲覧
お地蔵さんの物語 ~お地蔵さんと地蔵盆のお話~
https://kyo-tsunagu.city.kyoto.lg.jp/wp-content/uploads/2017/04/ojizousan_booklet.pdf、2023年11月5日閲覧
お地蔵さんブログ
https://jizo-bosatsu.hatenablog.com/、2024年1月21日閲覧