賀茂御祖神社と糺の森のデザイン
賀茂御祖神社と糺の森のデザイン
1: 基本データ
賀茂御祖神社は京都府京都市左京区下鴨泉川町に位置し、下鴨神社の通称で知られている。この神社は賀茂別雷神社(通称:上賀茂神社)と共に、全国に約1200社あるカモ社の総本社である。(以降は下鴨神社、上賀茂神社と記述する)祭神は玉依姫命と賀茂建角身命である。下鴨神社は2つの本殿と53棟の社殿で構成されており、楼門は3間1戸の入母屋造りである。
下鴨神社とその参道は、糺の森という社叢林の中にある。糺の森は賀茂川と高野川の合流する三角州地帯に発達した原生林であり、長さは約700m、面積は約12万4千平方mである。植物は落葉広葉樹のケヤキ・ムク・エノキをはじめ、約140万種の木々が植生をしている。樹齢も長く、200年から600年の樹木が約600本ある。森の中には泉川や御手洗川が流れる。御手洗川は南流するごとに奈良の小川、瀬見の小川と名前を変えて参道を出る。
2: 事例の何について積極的に評価しようとしているのか。
下鴨神社の楼門内は全体の規模からすると狭いが、その分、森の面積が広大である。糺の森は都市の中心部にありながらも古代の植生を残しており、このような自然遺産は稀である。そのため糺の森は全国からの参拝者だけでなく、憩いの空間として市民に活用されている。
神社とは森林にある巨木や巨石に対する信仰から発展したものであり、森と切り離せない宗教施設である。しかし現代の社叢の多くはハヤシ(wood)に近い。だが糺の森は古代日本の、神々の住まう森林(forest)のイメージを色濃く残している。糺の森に鎮座する下鴨神社は、神は万物に偏在しているという日本人の宗教観を適切に可視化した神社である。
私見であるが、私は上賀茂神社は空と草原の広がるハレの神社であり、下鴨神社は川と森林に囲まれた憩いの神社と捉えている。それで、どちらに参拝するかはその時の気分で選んでいる。
デザインとはモノを意味あるかたちにする一連の行為である。それで神社とは、日本人が持つ「何かを崇拝したい」とか「感謝したい」という欲求を、適切にデザインする施設だといえる。
糺の森の、糺の語源は「偽りをただす」という説がある。確かに私は糺の森を散策すると心が浄化された気分になる。日常生活で乱れてしまった心を健やかなかたちに戻し、新たな気持ちで日々に向き合う力を与えてくれるのである。
年中行事は神社の役割の一つであるが、下鴨神社は年中行事に積極的であり規模も大きい。年中行事は時間のデザインであり、暮らし方のかたちをつくる。そして通過儀礼により日常から非日常へと移行し、両方の世界が統合することにより、新たな日常の再生となる。
下鴨神社の年中行事は多様な非日常をデザインしている。葵祭では時代衣装を身にまとった人々の行列が、京都の過去と現代の時空を繋ぐ。みたらし祭など参加型の神事はフロー状態を生み出し、矢取神事は乱痴気騒ぎが特徴である。年中行事は家内安全や無病息災を祈願するものであり、終わった後も人々の暮らしに影響を与える。
下鴨神社は新たな年中行事の取り入れにも意欲的であり、進取の気性に富んでいる。例えば2016年の夏に「糺の森の光の祭」と題して参道沿いの木々をライトアップしたり、発光するバルーンを随所に設けて幻想的な空間を演出した。これは民間会社との共同企画であるが、今後も伝統行事として根付かせる予定である。神道はキリスト教やイスラム教のように、開祖がトップダウン式に、崇拝デザインを教授した宗教ではない。自然のなかに崇高なものを見た古代日本人が、それをボトムアップ式に形作ってきた宗教である。古来の様式を守りながらも、新しい伝統の創造に意欲的な下鴨神社は、神社本来の方針に基づいている。
また下鴨神社は西暦1036年以来、式年遷宮を執り行ってきた。しかし現在は本殿が国宝に、また社殿が重要文化財に指定されたため、傷んだところを修復する方式である。それでも21年ごとに補修して、建物を美しく保っている事実は評価に値する。
このように自然のサイクルを繰り返しながら京都の原風景を現代に伝える糺の森や、式年遷宮や新しい年中行事により、リニューアルし続ける下鴨神社は「古くて、新しい」という表現が適切である。
3: 歴史的背景
下鴨神社の由来は諸説ありはっきりとしていないが、山城の豪族のカモ一族が、氏神を祀った社に端を発しているとの説がある。『賀茂神宮賀茂氏系図』によると、崇神天皇7年(紀元前90年)にカモ社の瑞垣が造営されたとの記録があることから、創祀は紀元前と考えられる。その後、社殿が造営されたのは天武天皇の時代(西暦677年頃)とされる。またカモ社が上賀茂と下鴨に分かれたのは、天平時代(西暦729~749年)とされている。そのため現在でも下鴨神社の祭礼の多くは、上賀茂神社と共通している。また『続日本紀』には葵祭の記録が記されており、奈良時代には高い地位を得ていたと推察される。
下鴨神社は平安遷都(西暦794年)以後、朝廷の守護神社として特別な信仰をあつめ、文化や宗教の中心となる。その結果西暦807年には最高位の正一位の神階を受けた。さらに西暦1868年には全国の神社の代表として、官幣大社の首位におかれた。
4: 国内外の他の同様の事例に比べて何が特筆されるのか。
ジェンダー問題に関して、キリスト教カトリック派やイスラム教のカリフに女性の司祭はいない。しかし女性が神社の神職になるのは可能である。下鴨神社には2014年の時点で20名の神職がおり、その中で女性は2名である。決して多いとはいえないが、門戸が開かれている点は評価したい。今後のさらなる進捗を期待する。
次に環境保護の観点から糺の森の役割は大きい。海外の宗教施設としてキリスト教の教会やイスラム教のモスクがある。これらの宗教は建物内で崇拝が完結するのに対し、神道の崇拝は建物と自然とのパッケージである。特に下鴨神社は糺の森という原生林に鎮座し、長い参道を通って参拝する。
神社は神の住まいとして守り継がれてきたので、人々は伐採による祟りを畏れて、神社の敷地を禁足地として保護してきた。実際、1981年制定の京都府文化財保護条例により保護された、60件程の環境保全地区のうち、約50件が神社に関わる地区である。特に糺の森と下鴨神社は、1994年に古都京都の文化財として、ユネスコの世界遺産に指定された。下鴨神社は豊かな自然を保護する点で、とりわけ大きな役割を担っているのである。
5: 今後の展望について。
下鴨神社の今後の大きな課題は、糺の森の環境を守る事である。しかし近年、糺の森の南敷地内に3階建てのマンションを建築する決定がなされ波紋を呼んでいる。このマンション計画の原因は、式年遷宮や糺の森整備にかかる莫大な費用を確保するためである。2015年に行われた式年遷宮では約30億円の予算を必要としたが、国からの補助や全国からの寄付を合わせても予算に遠く届かなかった。そこで資金を捻出する方法として、糺の森の隣接部をマンションにする事が決定した。計画では景観を損なわないために、社家町の雰囲気を意識したデザインや、分棟作りにするなど工夫を凝らしている。すでに工事は着工しているが、地元住民の反対運動があり、建設の難航が予想される。またユネスコの世界遺産は、指定後の環境の変化によっては登録が取り消しとなる場合がある。マンション建設による環境悪化が、世界遺産の指定取り消しにつながらないか懸念される。
このように下鴨神社と糺の森は、人と神と豊かな自然を融合させる、優れた空間デザインである。また年中行事によって人々の暮らしを有意義にかたち作っている。この神社と森を大切に保護することは、私たちが次世代に残せる大きな遺産なのである。
参考文献
賀茂御祖神社社務所/編 『賀茂御祖神社略史 第1集』賀茂御祖神社社務所
賀茂御祖神社/編『世界遺産 下鴨神社と糺の森』淡交社
三浦 隆夫/著『上賀茂神社・下鴨神社』学習研究社
内藤 正典/著『となりのイスラム』ミシマ社
小平 美香 /著 『女性神職の近代 』ぺりかん社
webサイト『京都ノートルダム女子大学人間文化学科』
http://notredameningen.kyo2.jp/e459562.html
webサイト『糺の森の光の祭』
http://light-festival.team-lab.net/
朝日新聞デジタル『京都・下鴨神社マンション計画で提訴 許可取り消し求め』
http://www.asahi.com/articles/ASJ3R53HVJ3RPLZB014.html
日経BPネット『京都の下鴨神社、「糺の森」にマンションを建てる』
http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/sj/15/150245/082200050/