ベトナム南部のソンベ焼き―人々の生活を彩る庶民の器

工藤 路子

はじめに

ベトナム南部には、庶民の器として親しまれてきたソンベ焼き、ライティウ焼き(以下まとめて「ソンベ焼き」とする)という焼き物がある[1][2]。本稿では、器の特徴からベトナム南部の歴史や文化を眺め、現代的な意義や今後の継続発展についても考察する。なお、ソンベ焼きに関しては十分な量の文献資料が存在せず、本稿の執筆にあたっては筆者による現地調査や聞き取りが主な根拠となる。

1. 歴史的背景及び基本情報
ソンベ焼きは、ホーチミン市内から約15km、車で1時間程度の距離にあるビンズン省で生産される陶器である【資料1-1】。17世紀頃、中国からベトナム南部に入植した人たちが焼き物作りを始め[3]、生産地が現在の場所[4]に移ってからは庶民向けの陶器生産が主となった。大量に作られ安価で売られたソンベ焼きは、家庭や食堂などで日常的に使用された。しかし、需要の減少や戦争の影響、職人の賃金の低さなどから、1980年以降に廃窯や工場生産への移行が増える[5]。薪を使い、登り窯で焼き上げる昔ながらの製法【資料3】で生産する窯は、現在ごく僅かである[6][7]。
ソンベ焼きは、ビンズン省の川から採れた土や材料から成る釉薬や顔料を使い[8]、職人が一つ一つ手作業で成型・絵付けをおこなう。焼成した土はクリームやベージュの色味になり、明るく鮮やかな色彩の絵付けと相まって、全体的に温かみのある器となる。吉祥柄や鮮やかな釉薬の色には諸外国の影響もみられる[9]【資料4】。器は薄くて軽く、縁や中央にモチーフが描かれた装飾的なものや、30cm前後の大皿が多いのも特徴だ。

2. 評価
2-1. 生活を豊かにする工夫
ソンベ焼きの特徴として、絵付けのモチーフは写実的ではなく職人の想像などを介して抽象化されるため[10]、多くの人に浸透するデザインとして魅力を増している[11]。手作業により一つ一つ色柄が異なる器は、選ぶ楽しみもある。器の縁や中央の目立つ絵付けは、料理を華やかに飾り、食べ終わっても見た目に美しい[12]。ベトナムは共働きかつ2世帯同居家庭が多く[13]、古くから大勢で食事をする習慣がある。喧嘩をしても食事は必ず一緒にとると言われているほど家族で囲む食卓を大切にしているため、大皿の需要が高い[14]。ベトナム南部は北部と比べて土などの資源が豊富であるため、器は薄く軽く安価に作られ、人々は器が割れても気軽に補充できた[15]。また、一年を通じて暑く、農水産物が豊富な風土の性質から、鮮やかな色や故郷の自然モチーフが好まれるという[16]。冠婚葬祭などでは各家庭で保有している大量の器を持ち寄り、皆で食事をする。その際に他の家庭の食器と混同しないように目印をつけておくことがある【資料4−2】。
人々は存在する限り、食べて生活をする。そのための器は日々目にし、使う道具である。食事のための器としては装飾的にも感じられるソンベ焼きには、その使われ方も含め、ベトナム南部の人々の、日々の生活を豊かにする工夫が詰まっている。

2-2. ストーリーのある器
ソンベ焼きの絵付けには、時代や気候・風土に根ざしたストーリーが表されている。例えば鶏や金魚の柄は古くから影響を受けてきた中国の吉祥柄であり【資料4−1①②】、黄色や青色に花(カメリア)という柄は、フランス統治時代に盛んに作られた【資料4−1④】。中国とフランスの絵柄が融合したものもみられる【資料4−1③】。ベトナム人は、諸外国の支配に抵抗しつつも良い部分は取り入れてきた歴史があり[17]、ソンベ焼きにもその国民性が表れている。
2000年代には、ソンベ焼きのブランドであるNang ceramic[18](以下「Nang」と表記)とTuhu Ceramics[19](以下「Tuhu」と表記)が相次いで創設された。Nangは、昔ながらの製法に則って器の形や色柄を再現し、一度は廃れかけたソンベ焼きの復興の一端を担っている。その一方で、メコン川の洪水による水害のあとの復興を祈る魚のモチーフや【資料4−1⑦】、日本との交流に基づく桜のモチーフなど新しい図柄も考案し、ソンベ焼きを通じてベトナム南部の文化や歴史を伝えようとしている【資料2 Q.5】。Tuhuは土の産地や製法の一部を従来のソンベ焼きに則りつつ、他方でモチーフを大胆に解釈し、現代ベトナムの食卓に見合うようなモダンなデザインを生み出している[20]【資料5】。

3. 特筆点:日用品に宿る地域性ーベトナム北部・バッチャン焼きとの比較から【資料7】
ベトナムの北部では、バッチャン焼きという陶磁器が生産されている。バッチャン焼きの歴史は古く[21]、食事用の器だけでなく装飾品や建築資材など用途は多岐にわたる。器でも、古くは上流階級向けや輸出用のものも生産されていた[22]。バッチャン村は2000年代には伝統工芸村及びハノイ市公認の観光地として認定を受けている[23]。ベトナム北部の歴史や文化を取り込みつつ、現代的なアップデートがおこなわれている点は、ソンベ焼きと共通する。
一方、ソンベ焼きは行政による保護や支援はなく、一貫して国内の需要に向け、日常的な食事に用いる器を生産し続けている。和辻哲郎は、風土・気候の特殊性を止揚し活かすことが、自国の特徴的な文化となるという[24]。上記2.でみたように、ソンベ焼きにはベトナム南部の風土や歴史、生活文化が凝縮されている。ソンベ焼きは、ベトナム南部の風土や生活に即した実用品であるということと、作り手の感性とが共存することで、ベトナム南部特有の文化となっている点が特筆される。美術品としてではなく実用品として日常的に使用することで、生活文化や美意識を含めた、地域の生きた資産を後世に伝えるという現代的な意義がある[25]。実際に、Tuhuのような新しいデザインもNangの古典柄をベースにしたデザインも、若者や外国人にとっては新鮮に映り、ホーチミン市内のモダンなレストランでもこれらの器が使われ始めている[26]。

4. 今後の展望
近年、ベトナムにおける経済発展は目覚ましく[27][28]、都市部では核家族化や外食文化が進むなど、ソンベ焼きが日常的に使われていた1980年代までに比べ、ライフスタイルに変化がみられる[29]。ソンベ焼きとその文化を後世に繋ぐためには、技術の継承や生産に加え、人口の多い都市部でも利用を絶やさないことが重要と考える。

4−1. 技術の継承と生産
ソンベ焼きは工芸の保護制度の対象外である[30]。NangやTuhuに、民間企業から投資等を受ける可能性について聞いたところ、両者ともその予定はないとのことであった。よって、次世代に従来のソンベ焼きの技術や製法を継承するにあたっては、主にNangの活動によるところが大きい[31]。
生産については、職人の環境改善とも関わる。ベトナムの急激な経済成長に伴う材料費・燃料費・人件費などのコストが上がる中で1980年代と同じような価格での販売はできない。職人が生計を立てることが可能なくらいには数の供給や職人の増員、給与の上昇が望まれる。Nangではたくさんの人に日常的に使ってほしいという思いがあるが、現時点では、中間層や器好きな人に向けて、安すぎない価格で提供できれば良いという方針である。Tuhuでは、陶芸という職業が実生活と切り離されることなく、ビジネスとして次世代に繋ぐことで、新しい伝統を創り出せるという[32]。

4−2. 利用
ホーチミン市では、ソンベ焼きに興味関心がある若者が増えている[33]。Nangでは生産者や販売者がイベントやワークショップ、SNSなどを通じてソンベ焼きの歴史や背景を含めて情報を発信し、ソンベ焼きを文化として残そうという姿勢が強い[34]。Tuhuは人気レストランでの使用、UNIQLOとのコラボレーション、ポップアップストアなど多角的な展開をおこなっており、幅広い層にソンベ焼きの存在を周知する役割を果たしている[35]。NangとTuhuの異なるアプローチは、次世代に向けた利用の促進という点でそれぞれ有効と考える。

5. まとめ
若者の間でも、ソンベ焼きをベトナム南部の伝統と捉え、アイデンティティの象徴とみなす向きもある[36]。柳宗悦は「歴史とは…人間の生活の出来事…が積み重って今日の生活を成している」[37]という。ベトナム南部の生活文化を過去の歴史と関連づけながら、対外的な文化資産として評価することで[38]、ソンベ焼きを現代においても実生活との連続の中に位置づけることができる。
ソンベ焼きには、時代や風土に応じた工夫や願いが込められており、それは日々の暮らしを少しでも豊かに送るための努力ともいえる。そのようにして生み出される器は、作り手・使い手に共有される感受性を育む。ソンベ焼きは今後も、ベトナム南部の文化と連続性を保ちつつ、人々の生活を彩る庶民の器として、その価値を未来に繋ぐ存在となるだろう。

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  • 81191_011_32086140_1_2_%e3%80%90%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%91%e3%80%91%e9%99%b6%e5%99%a8%e3%81%ae%e7%94%9f%e7%94%a3%e5%9c%b0%e3%81%a8%e7%89%b9%e5%be%b4_page-0001 【資料1】
    陶器の生産地と特徴
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    取材記録抜粋(筆者編集)
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    ソンベ焼き製造工程
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    ソンベ焼き・ライティウ焼きの図柄(抜粋)
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    Nang ceramicとTuhu Ceramics
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    ソンベ焼きトークショー内容(抜粋・筆者編集)
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    ソンベ焼きとバッチャン焼き比較

参考文献

[1] 遅くとも19世紀頃にはサイゴン(現在のベトナム社会主義共和国ホーチミン市)近辺で作られていた。
[2] ソンベ焼きとライティウ焼きの違いについては【資料1-2】を参照。ライティウ焼きの方がソンベ焼きよりも製造開始が古いが、地域・年代には重なりがみられ、材料やデザインも類似するものが多い。よって本稿では、特に断りのない場合、「ソンベ焼き」はライティウ焼きを含むものとする。
[3] ホーチミン市1区にある雑貨店「KITO」のオーナーであり、ソンベ焼き・ライティウ焼きの蒐集・保存活動をおこなうDuong Van Kiet氏からの聞き取りによる。また、小倉貞夫『物語 ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』によると、次のことが記されている。明朝の滅亡に伴い、1679年に明の遺臣がベトナム中部のHue近海に到着し、亡命を願い出る。当時その地域の領主であったNguyen Phuc Tanの指示で彼らは南部メコンデルタ(Gia Dinh省、Bien Hoa、Mi Thoなど)に入植する。(小倉貞夫『物語 ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』中央公論新社、2014年第6版、374頁「1679」の項を参照。)
[4] ビンズン省や、ビンズン省・ホーチミン市の東に位置するドンナイ省。
[5] 1970年台からバッチャン焼き(北部の陶磁器)や中国製、ミンロン(ベトナム国産の陶磁器メーカー)などの白くてきれいな陶磁器が人気を博しはじめ、素朴なソンベ焼きの人気に陰りが出てきた。その頃からソンベ焼きの需要が減り始め、窯も減っていったとのことである【資料2、Q.3】。
[6] 現在、ビンズン省において5〜6軒程度とのことである【資料2、Q.1】。
[7] ベトナムスケッチ「ベトナム南部の陶器の街へ ソンベー焼きのすべてに迫る」
http://www.vietnam-sketch.com/archive/south/area/hochiminh/2008/12-001.html
(2023年2月22日閲覧)
[8] 現在のビンズン省で焼き物の生産が始まった1900年代は、土以外の材料(釉薬や顔料の材料)も、ビンズン近郊の川付近で採取されたものを使用していた。しかし、現在(遅くとも2017年以降)は釉薬や顔料の材料はビンズン近郊で採取できなくなってきているため、ベトナム国内外から買い付けている場合もあるとのことである【資料2、Q.4】。
[9] ベトナムは古くから中国の侵略・支配を受けており、10世紀頃に独立を果たしたものの、11〜18世紀にかけて元や明の侵攻を絶えず受けてきた。19世紀にはフランスの進駐を受け実質的にフランスの植民地となる。
小倉貞夫『物語 ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』中央公論新社、2014年第6版、ヴェトナム年表(巻末)。蕪木優典他『これからのベトナムビジネス2020』東方通信社、2020年、p.30。外務省 ベトナム社会主義共和国基礎データ「7 略史」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/vietnam/data.html(2023年5月19日閲覧)
[10] 【資料6「2. 絵付けなど工程について」】参照。
[11] 野見山桜は、アーツ・アンド・クラフツ運動におけるウィリアム・モリス(1834〜1896)とクリストファー・ドレッサー(1834〜1904)のデザインを、「自然を…人の手が入ったこと、つまり『デザイン』になったことで魅力が増しているのです。」、「いかに自然からエッセンスを抽出し、つくろうとしているものに即したかたちを与えるかが大切なのです。そこに介在する抽象化の方法や程度は、そのものが生み出される国や時代、文化、価値観によって異なりますが、いつの時代も、「どの程度、人為的であるか」がその魅力の鍵を握っているように思えるのです。」とし、19世紀イギリスの機械化の過程におけるモチーフの抽象化が、多くの消費者に対する理解の助けになったと説く。ソンベ焼きは19世紀イギリスの状況とは異なるが、モチーフの抽象化によるイメージの広がりや共有という点では共通すると考える。
美術手帖『「デザイン史」と歩く現代社会、第1回「アーツ・アンド・クラフツ運動」と「日常のデザイン」ー現代にも通ずるウィリアム・モリスの理想とは?』https://bijutsutecho.com/magazine/series/s71/26965?utm_source=btid-newsletter&utm_medium=email&utm_campaign=20230423sent(2023年5月2日閲覧)
[12] トップ画像(右上)参照。
[13] 日本貿易振興機構(ジェトロ)ホーチミン事務所、農林水産・食品部 農林水産・食品課「日本食品消費動向調査 ベトナム」2017年3月、p.16。https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/02/2017/5950207b8dccdcff/rp-vn-jpfood201703.pdf(2023年5月2日閲覧)
[14] 【資料6「1. ソンベ焼き・ライティウ焼きの歴史、背景」】参照。
[15] 一年を通じて農作物や水産物が採れる南部に比べると、ハノイを含む北部は、特にベトナム戦争終結後には食物や物資が少なく、貧しい時代が続いたという。そのため、当時の北部の器は、長く使えて見栄えがするように、重く、小さく、縁に絵付けを施した器がよく作られたとのことである(em Meo Saigon店内にて、店員ブン氏から聞き取り。2023年2月25日)。
[16] 例えば「青の釉薬を使った淡いエメラルドブルーのような色」は、「水産業が盛んな・・・地域のボートや家の扉などで見られる色」であり、「南部に暮らす人に好まれている色」でもある。《つくり手ファイル》ベトナムヴィンテージを未来に伝える em Meoのうつわ 伊藤貴子さん https://info.envelope.co.jp/information/file20220312/(2023年5月7日閲覧)
[17] 【資料6「2. 絵付けなど工程について」】、また、川島博之『中国、朝鮮、ベトナム、日本 極東アジアの地政学』育鵬社、2021年初版第1刷発行、同年電子版刊行、第3節「植民地化を招いたフランスへの援助要請」、コラムー④カンボジア侵攻の成功と失敗、「阮恵とドンダーの戦い」第20段落も参照。
[18] Nang ceramic。25歳(2023年3月現在)のHuynh Xuan Huynh氏が2018年に一人で立ち上げたソンベ焼きのブランド。100年以上前から続く窯元で間借りし、器の製作(デザイン、成型、絵付け)をおこなっている。Huynh氏は2023年に大学を卒業予定。ソンベ焼きの生産が途絶えることを危惧し、自ら昔の職人を訪ねて絵付け等ソンベ焼きに関する全行程を習得した。過去の絵付けの再現や、オリジナルの絵柄の考案もおこなう。2023年3月時点で、同じ大学の仲間たち4名が参画し、5名体制で生産をおこなっている。
https://www.lofficielvietnam.com/art-design/lam-dieu-gi-do-di-nang-ceramic-va-cong-cuoc-phuc-dung-net-dep-cua-gom-mien-tay-na
(2023年5月7日閲覧)
[19] Tuhu Ceramicsは、Le Thi Hien氏が2017年に創設した陶器ブランドである。2023年4月時点で18名の職人が在籍する。https://tuhuceramics.com/contact-us/about-us/(2023年5月7日閲覧)
[20] 【資料2、Q.3】参照。
ソンベ焼きには「第一に土、第二に釉薬、第三に温度・焼成」という言葉があり、Tuhuは土の産地と釉薬・絵付けの順序を従来の方法でおこなっている。焼成は環境に配慮しガス釜でおこなっている。
[21] 諸説あるが、10世紀頃からバッチャン焼きの生産が始まり、15世紀末には文字が入った製品が確認され、広く知られるようになったという[グェン・ティ・ラン・アィン、野上建紀「バッチャン焼の過去と現在」、『長崎大学 多文化社会研究』volume6、2020年、p.179。https://nagasaki-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=672&item_no=1&page_id=13&block_id=21(2023年5月17日閲覧)]。バッチャン村で生産されたものだけがバッチャン焼きを名乗ることができる。
[22] 14世紀末頃、上流階級に向けての器は、鳳凰や龍など伝説上の生き物の絵付けが多く施された。国外輸出は既に10世紀頃から始まっており、現在も各国に向けて輸出されている。前掲グェン・野上(2020)、p.182−186。また、LHM ART&CULTURE https://www.lottehotelmagazine.com/ja/art_culture_detail?no=325(2023年7月27日閲覧)も参照。
[23] ハノイ市では伝統工芸村の認定を制度としておこなっており、これに認定されると、村や職業に対して支援金が付与される(2020年3月2日付決定02 /2020/QD-UBND 第1項及び2018年4月12日付政令第 52/2018/ND-CP参照)。バッチャン村は、伝統工芸村の認定を受けている。また、ハノイ市公認の観光地としての認定は2019年7月23日付決定3936/QD-UBNDによる。HANOI TOURISM DEPARTMENT, Bat Trang Pottery Villageページ内PDF https://tourism.hanoi.gov.vn/storage/qdub-3936-2019-01signed.pdf(2023年7月29日閲覧)
[24] 和辻哲郎『風土ー人間学的考察ー』復刻版、響林社文庫、2015年、p.119−120およびp.204。また、平野湟太郎は、これからのデザインには「地域性」が必要だと説く(早川克美『芸術教養シリーズ17 私たちのデザイン1 デザインへのまなざしー豊かに生きるための思考術』藝術学舎出版、2014年、p.124)。
[25] 柳宗悦も、「民藝は直ちにその国民の生活を反映するのですから、ここに国民性が最も鮮やかに示されてくるのです」と述べている。なお、柳は「民藝とは民衆が日々用いる工藝品との義」であり、民藝品とは「民器であって、普通の品物、すなわち日常の生活と切り離せないもの」をいい、量産され、どこにでもあって安く買えるもの、としている。その定義によればソンベ焼きは民藝品といえる。柳宗悦「手仕事の日本 他16作品」青空文庫、2015年刊行(Kindle版)、底本:柳宗悦『民藝とは何か』講談社学術文庫、講談社、2006年第1刷発行、2009年第5刷、「第一篇 なぜ民藝に心を惹かれているか」、第一項「民藝とはいかなる意味か」、第4段落。
[26] 【資料2、Q.5】及びトップ画像右側4枚の写真を参照(いずれもホーチミン市内にある、外国人や若者に人気の飲食店において筆者撮影)。
[27] 外務省 ベトナム社会主義共和国基礎データ「経済」の項参照。https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/vietnam/data.html(2023年5月7日閲覧)
[28] 蕪木優典他『これからのベトナムビジネス2020』東方通信社、2020年、p.14〜p.24。
[29] 日本貿易振興機構(ジェトロ)ホーチミン事務所、農林水産・食品部 農林水産・食品課「日本食品消費動向調査 ベトナム」2017年3月、p.16−17。https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/02/2017/5950207b8dccdcff/rp-vn-jpfood201703.pdf(2023年5月2日閲覧)
[30] 政府電子ポータル 政策と法整備「ベトナム工芸村の保存と開発に関するプログラムを承認」
https://xaydungchinhsach.chinhphu.vn/thu-tuong-chinh-phu-phe-duyet-chuong-trinh-bao-ton-va-phat-trien-lang-nghe-viet-nam-119220709094047383.htm(2023年5月7日閲覧)、2022年7月7日付決定No.801/QD-TTg
https://thuvienphapluat.vn/van-ban/Doanh-nghiep/Quyet-dinh-801-QD-TTg-2022-Chuong-trinh-bao-ton-va-phat-trien-lang-nghe-Viet-Nam-2021-2030-521131.aspx(2023年5月7日閲覧)
[31] Huynh氏によると、最近、若い人や元々職人ではない人で、ソンベ焼きの美しさに魅力を感じて、作り手になりたいという人も増えているという。
[32] 【資料2、Q.5】参照。
[33] 筆者がおこなったアンケート調査(※)によると、回答者の48.1%がソンベ焼きを「使ってみたい」、77.8%が「購入したい」と回答した。また、その理由として「ベトナム南部の伝統だから保存したい」という伝統的な価値を認めるものから、「両親との思い出」、「アイデンティティ」など精神面への言及もみられた。
※実施期間:2023年4月6日〜20日、有効回答人数:27名、実施方法:Google form。ホーチミン市に所在するVan Lang大学の越本陽喜講師ご協力の元、学生を含む10〜40代から回答を得た。
[34] Nangは、ホーチミン市で常設的に商品を取り扱う店舗が3軒、日本におけるem Meoでのオンライン及びポップアップ店での販売、その他ホーチミン市内の雑貨店などでの販売のほか、絵付けワークショップやSNSなどで器のストーリーや歴史を含めた情報発信をおこなっている。
[35] TUHU CERAMICS、PROJECT https://tuhuceramics.com/home-grid/(2023年5月7日閲覧)
[36] 前掲31)参照。
[37] 柳宗悦「手仕事の日本 他16作品」青空文庫、2015年刊行(Kindle版)、序文第二段落。
底本1:柳宗悦『手仕事の日本』岩波文庫、岩波書店、1985年第1刷発行、2009年第37刷改版発行、2010年第38刷発行。
底本1の親本:柳宗悦『柳宗悦全集 著作篇第十一巻』筑摩書房、1981年。
、第一章「品物の背景」、第二項「歴史」第二・三段落。
[38] 川本あかりは、文化遺産について「ローカルな文化を過去と関連づけながら外向きの『文化』に仕立て上げる特殊な文化生産のモード」であると述べる。ソンベ焼きは日本における文化遺産ではないものの、ローカルなものを現代において文化遺産として評価するというこの考え方を敷衍して、ローカルなソンベ焼きという文化を資産として現代において評価することもできると考える。岩本通弥・門田岳久・及川祥平・田村和彦・川松あかり編『民俗学の思考法ー〈いま・ここ〉の日常と文化を捉える』、2021年、慶應義塾大学出版、p.101。

参考文献及び参考URL
小倉貞夫『物語 ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』中央公論新社、2014年第6版。
川島博之『中国、朝鮮、ベトナム、日本 極東アジアの地政学』育鵬社、2021年初版第1刷発行、同年電子版刊行。
柳宗悦「手仕事の日本 他16作品」青空文庫、2015年刊行(Kindle版)。
底本1:柳宗悦『手仕事の日本』岩波文庫、岩波書店、1985年第1刷発行、2009年第37刷改版発行、2010年第38刷発行。
底本1の親本:柳宗悦『柳宗悦全集 著作篇第十一巻』筑摩書房、1981年。
底本2:柳宗悦『民藝四十年』岩波文庫、岩波書店、1984年第1刷発行、2011年第29刷発行。
底本2の親本:柳宗悦『柳宗悦全集 第十巻』筑摩書房、1984年。
底本3:柳宗悦『工藝の道』講談社学術文庫、講談社、2005年初版発行、2011年第3刷。
底本4:増田れい子編『日本の名随筆 別巻71 食器』作品社、1997年。
底本4の親本:柳宗悦『民藝四十年』宝文館、1958年。
底本5:柳宗悦『民藝とは何か』講談社学術文庫、講談社、2006年第1刷発行、2009年第5刷。
早川克美『芸術教養シリーズ17 私たちのデザイン1 デザインへのまなざしー豊かに生きるための思考術』藝術学舎出版、2014年。
和辻哲郎『風土ー人間学的考察ー』復刻版、響林社文庫、2015年。
蕪木優典他『これからのベトナムビジネス2020』東方通信社、2020年。
岩本通弥・門田岳久・及川祥平・田村和彦・川松あかり編『民俗学の思考法ー〈いま・ここ〉の日常と文化を捉える』、2021年、慶應義塾大学出版。
ベトナムスケッチ「ベトナム南部の陶器の街へ ソンベー焼きのすべてに迫る」
http://www.vietnam-sketch.com/archive/south/area/hochiminh/2008/12-001.html
(2023年2月22日閲覧)
美術手帖「デザイン史」と歩く現代社会、第1回「アーツ・アンド・クラフツ運動」と「日常のデザイン」ー現代にも通ずるウィリアム・モリスの理想とは?:https://bijutsutecho.com/magazine/series/s71/26965?utm_source=btid-newsletter&utm_medium=email&utm_campaign=20230423sent(2023年5月2日閲覧)
日本貿易振興機構(ジェトロ)ホーチミン事務所、農林水産・食品部 農林水産・食品課「日本食品消費動向調査 ベトナム」https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/02/2017/5950207b8dccdcff/rp-vn-jpfood201703.pdf(2023年5月2日閲覧)
《つくり手ファイル》ベトナムヴィンテージを未来に伝える em Meoのうつわ 伊藤貴子さん https://info.envelope.co.jp/information/file20220312/(2023年5月7日閲覧)
L'OFFICIEL ART&DESIGN
https://www.lofficielvietnam.com/art-design/lam-dieu-gi-do-di-nang-ceramic-va-cong-cuoc-phuc-dung-net-dep-cua-gom-mien-tay-na
(2023年5月7日閲覧)
TUHU CERAMICS Website https://tuhuceramics.com/(2023年7月27日閲覧)
グェン・ティ・ラン・アィン、野上建紀「バッチャン焼の過去と現在」、『長崎大学 多文化社会研究』volume6、2020年。https://nagasaki-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=672&item_no=1&page_id=13&block_id=21(2023年5月17日閲覧)
外務省 ベトナム社会主義共和国基礎データ
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/vietnam/data.html(2023年5月19日閲覧)
LHM ART&CULTURE https://www.lottehotelmagazine.com/ja/art_culture_detail?no=325(2023年7月27日閲覧)
HANOI TOURISM DEPARTMENT, Bat Trang Pottery Village https://tourism.hanoi.gov.vn/accommodation-management/zone-tourist-destination/bat-trang-pottery-village50177.html(2023年5月17日閲覧)
政府電子ポータル https://xaydungchinhsach.chinhphu.vn/thu-tuong-chinh-phu-phe-duyet-chuong-trinh-bao-ton-va-phat-trien-lang-nghe-viet-nam-119220709094047383.htm(2023年5月7日閲覧)
2022年7月7日付決定No.801/QD-TTg
https://thuvienphapluat.vn/van-ban/Doanh-nghiep/Quyet-dinh-801-QD-TTg-2022-Chuong-trinh-bao-ton-va-phat-trien-lang-nghe-Viet-Nam-2021-2030-521131.aspx(2023年5月7日閲覧)

取材協力
[2023年3月19・20・21日開催のイベント「Toi Yeu Viet Nam」内でのトークショー聞き取り及び写真撮影]
秋元 良一氏(京都芸術大学 芸術教養学科生)
大岩 麻衣子氏(同上)
市川 日麻子氏(同上)
[店舗におけるバッチャン焼きの写真撮影等]
鳥海 浩子氏(京都芸術大学 芸術教養学科生)

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