川場村の自然と農が紡ぐ“ふるさと景観”と、その村づくり
1.はじめに
関東平野の北部に位置する群馬県は、総面積の64%が森林地帯で、県境に2千m級の山脈が連なる。その山脈を背後に抱く「山の辺」には、「小さな自治体(村)」がいくつかある。その中で利根郡川場村は、人口が約3,200人(1)の県下で下から4番目の小自治体である。明治22年の村制発足以来合併せずに自治を維持し、現在は農林業を軸に環境と調和した村づくりを進める。全国的に農林業の衰退が加速する中、近年は道の駅の集客力(2)で注目されるなど元気な村である。その原動力と取り巻く環境や歴史との関係性を景観の観点から考察し、景観が村の魅力にどう反映されているかを評価する。
2.基本データ
名称:群馬県利根郡川場村
位置:県北東部(役場 北緯36度42分、東経139度06分)
地形:武尊山系(3)に囲まれた林野と扇状地。標高差は全域1,680m、耕地150m
総面積(4):8,525ha(林野7,377ha、耕地493ha)
気候(5):平均気温10.8度、年間降水量 約1,200mm
人口(6):3,187人
主要産業:農林業(一部畜産など)
3.川場村を取りまく景観とその歴史的背景
1)沼田盆地(7)
県北部の武尊山、子持山(8)、赤城山(9)に囲まれ、県境山脈を源流とする利根川と他河川の合流点に広がる扇状地が沼田盆地である。霊峰に囲まれ中央に利根川を抱くこの盆地は、「山の辺+川の辺+平地」に広がる田園景観を呈する。一般に、盆地は日本の原風景を代表する景観の一つとされ、ここにも古代より暮らしの場があった(10)。中世には河川流域に荘園があり、戦国時代には利根川と片品川に挟まれた段丘上(現、沼田市街地)に沼田城が築かれた。利根川は明治初期まで江戸への物資輸送の動脈で、沼田盆地は木材や農産物の集積地として栄えた。その盆地の北東部に川場村がある。武尊山南麓の河川が作る扇状地に耕地と集落があり、盆地の中でも「山の辺+川の辺+平地」の景観を凝縮したような所である。近世以降、郡内農村部の中では一番の稲作地帯(11)で、農林業が生活の基盤である。森林と豊富な水、農耕に適した南向き傾斜地、信仰に基づく集団性や伝統、豊かな環境に依存する住民感情などが背景にあった。
2)自然景観(12)
村の総面積の83%は森林で、耕地面積は僅か7%である。背後に聳える武尊山は日本書紀の日本武尊(13)にその名が由来し、森の恵みで命を支える存在として古代より人々が崇めた信仰の山である。その尾根が平坦部に転化した場所に、複数河川(14)が扇状地と河岸段丘を形成する。南北約6km、東西約3km、高低差約150mの平地に広がる耕作地と、周辺に点在する集落(8地区)が川場の里山景観を生む。朝倉山端部から南を望むと、近景に水田や果樹園、中景の左右両翼に尾根、その両裾野を流れる川の合流付近に景観を引き締める後山(15)がある。さらに遠景の左に赤城山、右に子持山の稜線が浮かび、その先の世界へ想像力を掻き立てる空間構造である(16)。各集落には寺社が祀られる。樋口忠彦(17)の景観工学に基づく類型では、川場全体の景観は典型的な「水分(みくまり)神社」型(18)である。人々の暮らしにやすらぎを与え、心の“ふるさと”を代償できる景観で、代表的な日本の原風景とされる(19)。
3)農林業の景観(20)
武尊山域の民有林は約40%で、この山は生活支える重要な林地である。古くは木材のみならず、狩猟、農耕馬や牛がいた時代には秣場、茅葺屋根の茅場、炭焼きや薪燃料、山菜など食材の供給地でもあった(21)。その後1960年代に輸入木材の自由化やエネルギー転換などの影響で山林需要が低下し荒廃したが、高度成長期以降、特に近年はCO2排出量規制などの要求で山林の重要性が再認識されている。川場では、東京世田谷区との交流事業(22)を通じ、森林の保全育成や景観維持を果たしてきた(23)。一方、農地は扇状地上に広がる。細長く狭い地形の中に4本の一級河川が潤す土地は稀であろう。江戸時代の開墾(24)で耕地が拡大し、現在は水利の効く平地及び段丘下の河川流域に水田が、水はけのよい段丘上には畑(かつて桑、現在は蒟蒻イモが主)が広がり、尾根端の山の辺にはリンゴやブルーベリー、ぶどうなどの果樹が栽培される。多様な農産物が土壌の質に応じて効率よく育てられ、土地の表情は豊かである。地区別の景観、主要産物などを添付で示す(25)。
4)暮らしの景観(26)
村制以前の集落は現在8地区となり、川沿い(川の辺)又は尾根端(山の辺)に集中する。集落毎に個別の寺社が祀られその周囲で生活が営まれた。かつて川場全体で100を越える寺社、祠などがあり、明治期に合祀されほぼ現在の姿になった(27)。飢餓(28)を乗り超え、豊作や安心な暮らしを願う人々の祈りの深さが偲ばれる。寺社を中心にした祭事や伝統芸能は今も受け継がれる(29)。これら集落が暮らし景観の原型であり、その集合体が現在の村の姿である。添付図のように各集落が景勝の地にあり、古代から集落形成の要因としてその景観がいかに重要であったかが判る。
5.評価すべき点
1)川場村の特徴は、時代に即して保たれてきた豊かな農村風景である。自然の魅力と豊かな農業景観が融合した“ふるさと景観”が残されている。威厳のある山容と里山、多彩な農産物、各集落の伝統と集団性、これらが反映された生き生きとした農村の姿が今もある(30)。この姿こそ里山景観の要であり、現在まで維持されてきた事が高く評価される。
2)村は、昭和50年代から「農業+観光」政策を掲げて、農村景観の持つ役割を明確にしてきた。基盤計画に景観の維持と調和を組み込み、その情報を外部にも発信する。例えば、伝統文化の継承、家並みや里山景観の保全と環境との調和をめざす「景観条例」(31)の制定、さらに道の駅活性化による観光客の誘致などである。これら構想は「景観保護計画」(32)に受け継がれ、伝統家屋(庄屋、養蚕農家など)の保護、新規住宅のデザイン基準の設置、環境と調和した公共施設(道の駅「田園プラザ」や「新庁舎」)のデザイン(33)などに具体化されている。
6.特筆すべき点
比較例として多野郡上野村を取り上げる。上野村は県の南西部に位置し、総面積の殆どが山林で人口約1,100人(34)の県下で一番小さな村である。川場同様、明治以降合併せず独自の発展をめざした。埼玉・長野県境を源流とする神流川(35)沿いの集落の景観は、樋口の景観分類に従えば、典型的な「隠国(こもりく)」型である(36)。縄文時代の遺跡も確認され、江戸幕府の天領地(37)となり、信州との交易で木材や木地加工品、山菜などを売り生活を維持してきた。現在も主要産業は林業、木工業、きのこ栽培などである(38)。人口減少は大きい(39)が、豊かな自然環境を強みに観光にも力を入れ、近年移住者が増えている。
両村とも独自の天然資源を活用し、農林業と観光により村の繁栄を支える点は共通する。が、自然の景観と暮らし方の違いは明瞭である。上野村の魅力は、奥深い山々の景観と、どこか秘められ守られてきた山里の文化である。他方、川場村の魅力は、山裾の開けた地に寺社を中心に形成された集落と伝統文化、おおらかな農村の景観である。加えて、首都圏との交流により景観の維持・更新を果たしてきた点が特筆される。川場の自然景観と歴史遺産を発展基盤に位置づけ、都市住民や外部シンクタンクなどとの連携により将来像や新たな景観の構築に成功している。特に世田谷区との交流事業により里山環境維持の意義が共有され、村人の意識が変わり、村の魅力を新たなステージに押し上げる原動力となった(40)。
7.今後の展望
今、川場の景観は変わりつつある。「後山の整備計画」(41)が進行し、今年度には新拠点施設に「新庁舎」が完成する。自然と調和する村の景観がより統一感のある空間になるであろう。「田園プラザ」を訪れる多くの人々が新鮮な食材や田園風景に触れる。今後も外部との交流が村の発展に寄与し、生産人口の減少に歯止めがかかるかなど課題もあるが、農山村の豊かさに光が当たる意味は大きい。進行中の「田園理想郷」(42)構想の今後に期待したい。
8.まとめ
うるわしい里山景観は食の源泉であり、人の土台を作る。川場の景観は、一見普通の里山風景だが、実はとても豊かで長い歴史の中で培われた川場にしかない空間である。人々の生きた証であり保存継承に値する景観である。
参考文献
【注釈】
(1)出典;R3年、川場村住民基本台帳
(2)旅行情報誌「じゃらん」が実施した、「全国道の駅グランプリ2022」(北海道、沖縄を除く)で、道の駅「川場田園プラザ」が第1位になった。年間200万人が訪れる。
(3)(北)武尊山(ほたかさん標高2,158m)、(西)高手山(たかてやま、標高1,374m)、(中)朝倉山(あさくらやま、標高1,289m)、(東)雨乞山地(あまごいさんち、標高1,068m)などに囲まれている。役場の標高535m。耕地の平均勾配2%。
(4)出典;農林水産省HP 2020年農林業センサス
(5)出典;川場村誌 自然編 第三章 気候(p.51~62)
(6)出典;R3年、川場村住民基本台帳
(7)資料1;図1―1~1-2
(8)こもちやま、標高1,296m
(9)あかぎさん、標高1,674m
(10)資料1;図2
(11)出典;『川場村誌』歴史篇 第三部 第三章 表3-20 「寛文八年頃の川場の生産高」より(p.344)
(12)資料1;図1-3、図3~5
(13)ヤマトタケルノミコト
(14)4つの一級河川(薄根川、桜川、溝又川、田沢川)とそれらの支流
(15)うしろやま、標高633m
(16)資料1; 図1-3
(17)樋口忠彦(ひぐちただひこ)、昭和19年生まれ。専門は景観工学。新潟大教授。
(18)資料3,図15。樋口忠彦著『景観の構造』より抜粋。(P96、107、112、126、135、141、149)
(19)樋口忠彦著『日本の景観』「<手つかずの自然>(武尊山域)には畏怖感、荘厳感があり、そこは神の宿る場所となり、<生きられる自然>(里山域)にはやすらぎと安息感があり、そこは暮らしを紡ぎ、歴史遺産が生まれる場所となる。その両者が隣り合わせて存在する場所は、もっとも“ふるさと”らしい日本の原風景である」とされる(p.206~209要約)。
(20)資料2;図10~14
(21)秣(まぐさ)場とは、家畜の飼料となる草を採取する場をさす。
沼田藩を支えた山林資源については、『川場村誌』歴史篇 第三部 第二章(p.310~316)に詳しい。
(22)世田谷区・川場村編集(2001)『健康村 むらづくりの記録』に詳しい。昭和56年(1981)区民健康村相互協力協定(縁組協定)締結。以来継続している。
(23)資料5、表6他
(24)『川場村誌』歴史篇 第三部、第三章、第四節(P343~344)
(25)資料4;表1、資料6;写真「暮らし・農業の景観」
(26)資料2;図9~14、資料4;表1
(27)資料4;表2
(28)災害と飢餓の歴史は、『川場村誌』歴史篇 第三部 第五章(p.374~378)に詳しい。
(29)資料4;表3~5、資料6;写真「寺社の景観」
(30)インタビューした農家の人の声;「ここの高齢者は元気がいいよ。自分の作物が売れるからな。」、「“田プラ”のにぎわいで治安が乱れないか不安もあったが、心配なかった。」など。
(31)1992年、景観条例「川場村 美しいむらづくり条例」制定。
(32)資料7;例A
(33)資料7;例B~E
(34)資料8;図20-1、総面積18,185ha。人口;R5年、上野村統計より。
(35)かんながわ
(36)資料1;図6~8、及び資料3;図15-5、
(37)殆どの山域が天領地「御巣鷹山」に指定された。
(38)資料8;図20―2
(39)出典;総務省国勢調査 2015/2020年比較で-8.3%
(40)a. 世田谷区・川場村編集『健康村むらづくりの記録』より。
b. 資料8;図17、2015/2020年比較で人口-4.3%、世帯数+3.2%。
昭和50年代から現在まで村の世帯数は僅かだが、増加している。
c. 道の駅「田園プラザ」も、区民の要望からスタートした。
三田育雄著『道の駅「田園プラザ川場」の20年』に詳しい。
(41)資料7;例F
(42)「田園理想郷」プロジェクトの概要 webサイト。
http://collabo.tokyo-23city.or.jp/renkei/document/kucho_kouenkai_2021_05.pdf
【参考文献・資料】
<文献>
① 樋口忠彦著(1975)『景観の構造』技法堂出版
② 樋口忠彦著(1993)『日本の景観』筑摩書房
③ 川場村誌編集委員会編集(2019) 『川場村誌』川場村
④ 川場村教育委員会編集(1978)『わたしたちの川場村』川場村
⑤ 世田谷区・川場村編集(2001)『健康村 むらづくりの記録』世田谷区区民健康課・川場村企画課
⑥ 川場村編集(2005)『市民の森林づくり』東京農大出版
⑦ 三田育雄著(2012)『道の駅「田園プラザ川場」の20年』上毛新聞社
⑧「全国小さくても輝く自治体フォーラムの会」編集(2014) 『小さな自治体 輝く自治体』自治体研究所
⑨上野村教育委員会編集(1997)『上野村誌 上野村の自然 地形・地質・気象』上野村
⑩上野村教育委員会編集(2001)『上野村誌(V)上野村の文化財・芸能・伝説』上野村
⑪上野村教育委員会編集(2005)『上野村誌(VIII)上野村の歴史』上野村
⑫上野村教育委員会編集(2019)『上野村誌(IV)上野村の民族(改訂版)』上野村
<web公開資料>
(1)「川場村ホームページ」https://www.vill.kawaba.gunma.jp/kurashi/
(2)川場村(2015)「川場村第4次総合計画(案)」(平成27~平成36年度)
https://www.vill.kawaba.gunma.jp/kurashi/pub-comment/item/dai4_sougoukeikaku.pdf
(3)「川場村みんなでつくる美しいむら条例」H22(2010)制定
https://www.vill.kawaba.gunma.jp/d1w_reiki/H422901010005/H422901010005.html
(4)「田園理想郷」プロジェクト
http://collabo.tokyo-23city.or.jp/renkei/document/kucho_kouenkai_2021_05.pdf
(5)「川場田園プラザ」https://www.denenplaza.co.jp/
(6)「世田谷区ホームページ(健康村ページ)」 https://www.city.setagaya.lg.jp/search.html?cof=FORID%3A10&ie=UTF-8&q=%E5%81%A5%E5%BA%B7%E6%9D%91
(7)「上野村ホームページ」http://www.uenomura.jp/
(8)上野村(2011)「第5次総合計画(H23/2011年~H32/2020年)」
http://www.uenomura.jp/data/ueno_sogo5.pdf
(9)「道の駅 うえの」https://www.michinoeki-ueno.jp/tabloid/03/
(10)「ウッディー上野村銘木工芸館」http://woody-uenomura.shop-pro.jp/
(11)一般財団法人 国土技術研究センター 「道の駅による地域の活性化」
https://www.jice.or.jp/cms/kokudo/pdf/tech/reports/27/jice_rpt27_06.pdf
*上記(1)~(11)は、令和5(2023)年1月24日 最終閲覧