ウポポイ(民族共生空間)アイヌ文化・思想の未来の発展に向けて
はじめに
北海道の先住民族、アイヌ民族に対して全国的に知られていない事が多いのが現状だ。
文字を持たない民族。和人との交易もされていたが、明治政府により明らかに物々交換に
おいて段々とアイヌ民族に対して不利益な事が生じていた。
「シャクシャイン」(1)の例を挙げると、幕府は、仲直りしましょうと持ち掛け殺害し
てしまったのだ。
また「北海道アイヌ協会に所属するアイヌ民族の人々に北海道庁は、北海道アイヌ生活実
態調査を7年毎に行っている。620人中その中でアイヌ語を教授できるまで堪能な人は、
調査で28人足らず。」(2)ウポポイの存在は大きいと実感する。
1.基本データ
ウポポイは、北海道白老町に出来たアイヌ民族の存在危機を残す為に出来た施設だ。
「愛称「ウポポイ」は、アイヌ語で「(おおぜいで)歌うこと」を意味する。
ウポポイのロゴは、ポロト(大きい)湖の周辺の山並みをイメージし、博物館のロゴは
四脚の建て方のイメージで作られた。」(4)
「ポロト湖」(5)の周りに、博物館エリア、東エリア、西エリアと分かれている。
入口に入ると、いざないの回廊では神秘的な音と動物の声が聞こえる。
そしてエントランスへ、開放されたエントランスは、左右に店舗などが広がる。
(博物館エリア)
真っすぐ行くと博物館へ入る。
1階は講義室、シアター、お土産屋、海外の伝統工芸など展示され、2階に上がると博物館
だ。入口から壁面にイランカラプテ~と映像が現れる。そして博物館の中へと繋がるのだ。
博物館の展示は「6つのテーマ」(6)(資料2)で展示されている。
当時のアイヌ民族の生活が分かりやすく、6つに分かれて展示されている。
その頃の暮らしや言葉、思想、文化などを伝えてくれる。壁面に動画などでも紹介されて
いる。文字の無い民族なので説明が多い。
博物館の前には、夜にライトアップもされて幻想的なモニュメントも建築されていた。
(東エリア)
博物館を出ると右手にアイヌ民族のチセ(家)が並ぶ。このチセの中で物作り、施設の説
明などがあり、質問タイムなどがある。1度目は刺繍の説明、2度目は「トゥレッポん」(7)
の説明、3度目は木彫りの説明をしながら制作していたのを見学した。
1度目に伺った時、ポロト湖の前で演舞が行われた。神秘的な歌声と踊りであった。
(西エリア)
博物館の左手には橋が架かっており、渡ると体験交流ホールがあり、その横には蝦夷鹿の
モニュメントがあり、夜にはライトアップされて神秘的な音が流れる。
体験ホールの中には大きな窓があり、ポロト湖と山々が見え、四季折々の景色が楽しめる。
更に奥に行くと体験学習館があり、様々な体験が出来る。
4度目に伺った時は、体験交流ホール(ウエカりチセ)で、「弓の踊り(ク リムセ)ムック
リの演奏」(8)を鑑賞した。(資料1)
2歴史的背景
北海道開拓時には、「鮭等の捕獲権、熊・鹿等の狩猟権、各種木本・草本の採集・利用権、
を権利を剥奪した。北海道という名称付与もアイヌモシリ(アイヌの静かな大地)だった。ア
イヌに相談も無しに開拓使が決め、特に道庁は、「北海道国有未開地処分法」により、「他に
従来の採取生活を続け得るべき広大な未処分未開地」(9)アイヌ民族から権利を奪い取った
のだ。
「平成19年国連において「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択された。平成
20年6月6日(金)の本会議において、アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議案
が全会一致をもって可決された。平成30年12月民族共生象徴空間の愛称が一般投票によ
り「ウポポイ」に決定。令和2年7月12日一般公開」(10)だ。アイヌ民族の人口が減
る中、感謝したい政府の動きだ。
「当初は白老の市街地にあった「白老アイヌコタン」を、1965年にポロト湖畔に移設
することとなり、その経営のために白老観光コンサルタント株式会社が設立された。観光施
設は、ポロトコタンとして誕生」(11)ウポポイの前身だ。
3.評価点
Facebook、Instagram、YouTubeなど私はフォローしている。季節によってイベントが紹介
されている。
また北海道では「ニュースで行事など放映されている。」(12)
春夏秋冬とさまざまな儀式があるのだ。アイヌの思想は、山には山のカムイ、川には川の
カムイ、食べられる草花にもカムイが存在する。最初に収穫した物には感謝し、豊作、豊漁
を願い儀式をするのだ。
2回目に訪問時、「トゥレッポん」と戯れた。「体はトゥレプ(オオウバユリ)で、イルプ
(デンプン)として使い、保存食にもなる。」(6)持っている物や姿で、アイヌ民族の事を
分かり、子供も楽しめるのだ。
博物館から出て、チセに向かう側では弓の体験も子供達に教えていた。
ウポポイでは「ゴールデンカムイ」(13)を応援している。脚色されているが、アイヌ
民族を知らない方は、興味の沸く入口となる。
4.北海道旭川市「川村カ子ト記念館」と比較
川村カ子ト記念館は105年になる。日本で一番古いアイヌ記念館だ。旭川が故郷の幼少
期から当たり前のようにアイヌ文化に触れていた。
この記念館は川村カ子トの本人の保存していた物や写真、川村カ子トから先祖代々と受
け継がれ、三代目館長は長男の川村シンリツ・エオリパック・アイヌ(兼一)が受け継いで
いた。
中に入ると受付があり、談笑するテーブルとイスがあり、奥へ行くと川村さんが保存して
いた物など、アイヌの生活が分かるような形になっている。
明治以降は鉄道に興味を持ち測量の仕事をしていた事も展示されていた。
左手には演舞場があり畳に昔のレザーと言われていた物が敷いてあった。懐かしい。
外には、チセがあり中も自由に見学できる。
ウポポイは施設の中では国立博物館で、北海道から樺太、国後、択捉までの歴史が分かる。
博物館エリア、東エリア、西エリアと沢山の展示、体験が出来る。
ポロト湖に沿って建物が並び、面積も広い。
川村カ子ト記念館は、上川アイヌを中心とした生活の展示。全体的に川村家の歴史が分か
る。入口では談笑している、おば様達が居てアットホームな感じだ。
また、「平成30年度日本遺産に認定されている。」(14)(資料4)
共通点として、ウポポイと同じようにイベントを開催したり、SNSで発信したりと努力
してアイヌ文化を伝えている。
川村カ子ト記念館の副館長の川村久恵さんの言葉に、「万象万物にカムイ(神)が宿り、
私たち人間や動物だけではなく、森にも川にも命がある。私たちは一緒に生きている。だか
ら感謝する、大切にする、助け合う」(15)アイヌ民族の思想であり、共通点だ。
「現在老朽化に伴い建て替えの準備中だ。」(16)
あの古びた建物が好きだったのだが、どのようにアイヌの伝承をしていくのか楽しみだ。
5今後の展望
4度伺ったが、無料巡回バス(資料3)が出来て、敷地内を廻るのが楽になった。新しい
建物もあり、ウポポイはどんな空間になっていくのか楽しみだ。
慰霊施設が遠いのが問題点だった、バスのおかげで、手を合わせる事が出来る。
夜になればイルミネーションもあり、「アイヌ文化にゆかりのある動物達を、約8万3千個
の電球で浮かび上がせる。」(17)
6まとめ
既存のアイヌ施設を活用した事は、主人が小さい頃、白老アイヌコタンに遊びに行ってい
た事で知っていた。祖母に連れられて小さい頃何度も訪れていたという。
隣接する温泉に入った思い出がある。
私自身も思い出があり、「ピリカの歌」(18)をよく聞かせてもらった。口の周りが黒
かったのを思い出す。後に知った、それは入れ墨であった。
また北海道の地名、山、川、ほとんどがアイヌ語から付けられた。
例えば、「天塩川は(テッシ・オ・ペッ→梁の多い川) 石狩川は(イ・シカラ・ペッ→回
流する川) 空知川は(ソー・ラプチペッ→滝が幾重にもかかる川)」(19)
これからも文字のないアイヌ民族をどう理解してもらえるか、SNSで発信して理解し
てもらいたいと望んでいる。道民としてアイヌ民族無しでは歴史を語れない。アイヌ民族を
誇りに思う。
-
下の大きい画像 https://ainu-upopoy.jp/ ウポポイホームページより引用
上の画像、右から私自身2021年11月7日訪問、チセの中でトゥレッポんと遊び撮影して頂いた。
上の画像真ん中は2021年10月24日訪問時、チキサニ広場にて演舞が行われたのを撮影。
左上は2022年8月6日、収穫祭にてチセが並ぶ風景を自身が撮影。 -
資料1
西エリア
右上2021年10月24日訪問時自身が撮影体験交流ホールの外に蝦夷鹿のモニュメントが。
上中央体験交流ホールの中から見た景色自身が撮影
右から二番目、チキサニ広場に建設されたモニュメント北海道に住む動物達が表されていて、夜にはライトアップされる。とっておきの冬ウポポイ第1弾のイベント、2022年12月10日訪問時、自身が撮影。
東エリア
右上、チセが並ぶ風景2022年11月7日訪問、自身が撮影
右側三枚、博物館裏にアイヌ民族が食料として育てていた植物2021年10月24日訪問時撮影。
博物館エリア
右下 大きな存在感のある博物館大きな窓でポロト湖と山が一望できるパンフレットより引用
エントランス
2022年8月6日訪問時、入口にトゥレッポんが、イランカラプテとお出迎え。自身が撮影
いざないの回廊
2022年12月10日訪問、左下二枚ぐるぐると周りながら入場する、動物の声、アイヌの歌や楽器の音が静かに流れている。自身が撮影
左のポスト、2022年12月10日訪問、出口を出た時見つけたので自身が撮影 -
資料2
博物館内部、6つのテーマに分かれている。イタク私たちのことば ・イノミ私たちの世界 ・ ウ
レシパ私たちのくらし ・ ウパシクマ私たちの歴史 ・ ネプキ私たちのしごと ・ ウコアプカシ私たちの交流
①当時の衣類、地域によって異なる。
②当時の道具や儀式に使うもの、武器などが展示されている。
③当時の交易など分布が分かる。も分かりやすく解説されている。
④現在も物作りで活動している北海道のアイヌの方々
⑤現在活躍しているアイヌの俳優さんシェフ、建築家など紹介されている。
⑥当時の手作りの履物、道具など。
⑦アイヌ語が子供ににも分かりやすく説明されている
中央の画像はパンフレットより撮影
2021年10月4日、2021年11月7日、2022年8月6日収穫祭、2022年12月10日訪問時、自身が撮影 -
2022年8月6日収穫祭にて訪問、自身が撮影。アイヌ民族にとっては犬は貴重な存在だった。
当時食べていた物や暮らしが分かる。特に犬は大切な動物であった。 -
資料3
上の画像 http://kyodoshi.com/article/11017 全国12新聞社加盟
kyodoshi.com 2021.12.17 苫小牧民報社 ウポポイでサッチェプ作り 130匹のサケずらり 白老 2023年1月18日閲覧 画像引用
2022年12月10日訪問 下2枚の画像、無料循環バスが走っていた。以前は無かった。歩くのが大変な方には便利になった。自身が撮影 -
資料4
川村カ子トアイヌ記念館 令和1年8月2日訪問
①川村カ子トアイヌ記念館正面 令和1年8月2日自身が撮影 令和4年12月20日作成
②川村カ子トの写真 行事の写真 令和1年8月2日自身が撮影 令和4年12月20日作成
③上川アイヌのリーダーになったモノクテ、川村カ子トアイヌ記念館パンフレットより令和4年12月20日自身が撮影 令和4年12月20日作成
中には川村家の話から始まる。先祖は明治までオホーツク海に面した地域、丸瀬布(まるせっぷ)に暮らしていた。
幕末から明治期にかけて上川地方を一帯を治めたクウンツンクレから首長を受け継いだのは、川村モノクテでした。
アイヌのリーダーは四つの条件を兼ね備えた者が、民主的に選出していきました。
パエトク雄弁家で ラメトク勇気にあふれ
シレトク威厳があり テケトク手先が器用
明治中頃川村家は近文(ちかぶみ)に移り住みました。 この頃近文は、開拓から追い立てられ旭川近郊のアイヌ
が集められ、1つの大きなコタン(村)を形成していました。
アイヌ文化の正しい理解の為に、大正5年イタロキシマでは博物館を始めました。
これが川村カ子トアイヌ記念館の前身です 令和4年12月20日パンフレットから閲覧引用
記念館を始めたイタキシロマとアペナンカ、測量に従事した、カネトアイヌ 2代目館長。
④川村カ子トアイヌ記念館内部 中央に交易や狩りに使った船がある。
⑤外にはチセが建てられている自由に中を見学出来る。
⑥チセの内部、囲炉裏の周りに茣蓙を敷いて囲んでいたのが想像出来る。
⑦入口から入った時の全体の画像。左側には動物のはく製があった。
⑧上川アイヌのリーダーモノクテの木彫り像。
⑨行事の時に使う道具。神に感謝する道具 -
① ウポポイパンフレットより令和4年12月20日自身が撮影。博物館のロゴ 四脚の屋根の建て方のイメージ。
② ウポポイパンフレットより令和4年12月20日自身が撮影。ウポポイ(民族共生象徴空間)のロゴ。上の波のような部分は、大きいポロト湖表し、下は村を表す ①②は、2022年8月6日京都大学「収穫祭」@北海道白老郡 アヌココロ アイヌ イコロマケンル 国立アイヌ民族博物館と基本展示の概要 著者 国立アイヌ民族博物館 笹木一義さんからの説明にて。引用
③川村カ子トアイヌ記念館パンフレットより令和4年12月20日自身が撮影 令和4年12月20日作成 -
http://fuchinu.blog133.fc2.com/ アイヌ刺繍 -フチヌ工房ーより
刺繍の種類。自身が書いた 2022年8月6日収穫祭にての添付画像
2021年10月24日訪問時、チセの中で刺繍の実演があり、質問した。
色々な模様を好みで組み合わせて刺繍していくとの事、
尖った部分は悪い物が来ないように、尖らせるとの事だった。謎だったのがやっと分かったのだ。
参考文献
(1)博物館の中で、壁面には動画が流れ、戦いの歴史を紹介していた。藩の対応が悪い
為、1669年松前藩 に戦いを挑んだ。アイヌは弓しかない、松前藩は鉄砲で戦い、和解
したが、アイヌの中心的 存在だったシャクシャインが殺された。 シャクシャインの戦い後、
女性は国後島に移され、男性は一生妻を持つことが出来なかった。更に1789年クナシリ
メナシの戦いがあり、松前藩は慌て、鎮圧隊は16人の首をはねた。現在ではシャクシャイ
ン法要祭、真歌の丘で9月に行われている。(令和4年12月1日)芸術教養演習2自身の
レポートから抜粋引用
(2)https://www.ainu-assn.or.jp/ainupeople/life.html ホーム>アイヌ民族とは>
アイヌの生活実態 令和4年12月19日閲覧引用
(3) 「鮭等の捕獲権、熊・鹿等の狩猟権、各種木本・草本の採集・利用権、言いかえれば
河 川・山の利用権等。また「開拓使」はそれらの権利を剥奪した。北海道という名称付与
もアイヌモシリ(アイヌの静かな大地)の無主地扱いもそうだが、これらはアイヌに何の相
談も無しに開拓使が決め、特に道庁は、「北海道国有未開地処分法」により、「他に従来の採
取生活を続け得るべき広大な未処分未開地」
芸術教養演習2自身のレポートから抜粋 令和4年12月1日抜粋引用
(4)京都芸術大学「収穫祭」@北海道白老郡 アヌココロ アイヌ イコロマケンル 国
立アイヌ民族博物館と基本展示の概要より 著 国立アイヌ民族博物館 笹木一義さん
2022年8月6日 令和4年9月15日引用 ウポポイ!この夏、民族共生象徴空間に
浸る 日時:8月6日(土)から抜粋引用
(5)https://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%83%AD%E3%83%88%E6%B9%96-134830
ポロト湖(読み)ポロトこ
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「ポロト湖」の解説
北海道南西部,白老町にある湖沼。別称ポロト沼。面積約 0.33km2。周囲約 4km。最大深度
8.6m。湖面標高 5m。湖名はアイヌ語で「大きな沼」を意味し,西隣には「小さな沼」を意
味するポント湖がある。1965年国道36号線に沿いの白老アイヌコタン(集落)が湖畔に移
転し観光地となった。1967年白老民俗資料館,1984年アイヌ民族博物館,2020年には国立
施設の民族共生象徴空間(愛称ウポポイ)が整備され,先住民族アイヌの文化や風習の伝承・
保存がはかられている。湖畔の国有林は遊歩道が整備され,自然休養林に指定されている。
周辺では 5ヵ所の縄文遺跡が発見されている。令和4年12月18日閲覧引用
(6)京都芸術大学「収穫祭」@北海道白老郡 アヌココロ アイヌ イコロマケンル 国
立アイヌ民族博物館と基本展示の概要より引用
イタク私たちのことば ・イノミ私たちの世界 ・ ウレシパ私たちのくらし ・ ウパシクマ私
たちの歴史 ・ ネプキ私たちのしごと ・ ウコアプカシ私たちの交流」 著 国立アイヌ民
族博物館 笹木一義さん
(7)2022年10月24日訪問、チセの中でトゥレッポんの説明が行われた。オオバユリ
根を蒸して、潰し、円盤状にして乾燥させ、冬の保存食として食べていた事を説明された。
自身が聞き取り引用
(8)ウポポイにて頂いたパンフレットより、アイヌの歌・踊り・語り(シノッ)アイヌの祈
り・歌・踊り(イノミ)それぞれの意味が解説されている。令和4年12月2日閲覧引用
(9)https://webronza.asahi.com/culture/articles/2018081400004.html 論座>文化・
エンタメ>記事一覧>記事 アイヌから奪われた「先住民の権利」とは何か
著者 杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史) 令和4年12月19日閲覧抜粋引
用
(10)https://ainu-upopoy.jp/about/ ホーム>ウポポイについて
平成19年9月国連総会で「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択(日本も賛成)
平成20年6月衆参両院において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会
一致で採択
平成21年7月「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告において「民族共生の象
徴となる空間」の整備を提言
平成26年6月「『民族共生の象徴となる空間』の整備及び管理運営に関する基本方針」閣議
決定。民族共生象徴空間が北海道白老郡白老町へ整備されることが決定
平成29年6月「『民族共生象徴空間』の整備及び管理運営に関する基本方針」の一部変更を
閣議決定。運営主体を「公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構」に指定
平成30年4月「公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構」と「一般財団法人アイヌ民
族博物館」が合併し、「公益財団法人アイヌ民族文化財団」に名称変更
平成30年12月 民族共生象徴空間の愛称が一般投票により「ウポポイ」に決定
令和2年7月12日一般公開」令和4年12月1日閲覧抜粋引用
(11)https://artscape.jp/report/curator/10158258_1634.html ホーム>レビュー
/プレビュー>キュレーターズノート>ポロトコタンのあゆみ 1976-2018 毎月1日、15
日号発行 美術館・アート情報のWebマガジン
立石信一(国立アイヌ民族博物館運営準備室)2019年11月01日令和4年12月19
日閲覧引用
(12)https://news.yahoo.co.jp/articles/185ab50137c7ff78471a5f5debf2b966c824f04c
Yahoo japanニュース 2022/09/11 川に戻ってくるサケの豊漁を願うアイヌの伝統儀式
「アシリチェプノミ」が札幌の豊平川で行われました。明治以降サケの全面禁漁に伴って儀
式も一時消滅しましたが、およそ40年前に復活。(2022年9月11日放送)令和4年9月
11日視聴引用
(13) https://kamuy-anime.com/ アニメ ゴールデンカムイ 作者は野田サトル ホー
ムページ 令和4年12月21日閲覧参照
https://twitter.com/kamuy_official Twitterゴールデンカムイ(公式)
@kamuy_official 「週刊ヤングジャンプ」(毎週木曜発売)2022年4月、約8年の連載
に幕を下ろした『ゴールデンカムイ』は累計発行部数2300万部超の大ヒットを記録した。
令和4年12月21日閲覧引用
(14)https://www.daisetsu-kamikawa-ainu.jp/news/6187/
ホーム>ニュース>アイヌ文化を体験(4)川村カ子トアイヌ記念館 〜川村久恵副館長の
言葉〜 聞き手)ライター孫田二規子 令和4年12月18日抜粋引用
時代に合わせて新しい物や事を取り入れ、文化のあり方も当然変わってきていて、衣服は、
儀式の時以外は、皆さんと同じような洋服を着て暮らしていますし、食事だって、皆さんと
同じようなものを食べています。
変わらないのは「万象万物にカムイ(神)が宿り、私たち人間や動物だけではなく、森にも
川にも命がある。私たちは一緒に生きている」「だから感謝する、大切にする、助け合う」
といった精神的支柱となる考えです。令和4年12月18日閲覧引用
(15)https://www.daisetsu-kamikawa-ainu.jp/ カムイと共に生きる上川アイヌ ~大
雪山のふところに伝承される神々の世界~ ホーム>日本遺産認定ストーリーと文化財>
川村カ子トアイヌ記念館 令和4年12月18日閲覧参照
(16)https://www.hokkaido-np.co.jp/article/719372 2022年8月19日 05:00
北海道新聞ホームページ令和4年12月20日閲覧引用
(17)令和4年12月10日ウポポイに訪問 チラシを頂きその中で紹介されていた。
12月2日~1月22日 15時30~17時まで 博物館とポロト湖の間の広場チキサ
ニ広場にて開催される。
(18)https://youtu.be/eiOx0_WHt1A ピリカの歌 令和4年12月18日閲覧引用
(19)https://www.facebook.com/burasatoru 和田哲(ワダ サトル) 札幌・北海道の
歴史と古地図を愛する50歳。YouTube「ブラサトルチャンネル」配信中。旭丘高31期→日
大法学部卒。色々と教えて下さる友人でもある。令和4年9月26日Facebookでの投稿 天
塩川(てしおがわ(テッシ・オ・ペッ→梁の多い川) 石狩川(いしかりがわ イ・シカラ・
ペッ→回流する川) 空知川(そらちがわ ソー・ラプチペッ→滝が幾重にもかかる川)を
閲覧引用
【参考文献】
・ポロトコタンのあゆみ 著者 立石信一 (国立アイヌ民族博物館運営準備室)
令和4年12月1日閲覧引用
・高倉新一郎『アイヌ政策史』日本評論社、1942年、534頁 令和4年12月4日閲覧
・地域芸術実践1本学通信教育部「収穫祭」にて 著 国立アイヌ民族博物館 笹木一義
さん
配布された物より 2022年8月6日 令和4年9月15日引用
資料4 川村カ子トアイヌ記念館パンフレットの1ページから抜粋引用
【Web閲覧】
https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/1411676.html 文化庁ホーム
ページ ホーム >広報・報道・お知らせ > 報道発表 >2018年 >象徴空間の愛称は「ウ
ポポイ」!!~愛称・ロゴマークを決定~ 令和4年9月1日閲覧引用
https://www.ainu-assn.or.jp/ainupeople/life.html 公益社団法人 北海道アイヌ協会
ホーム>アイヌ民族とは>アイヌの生活実態 令和4年12月19日閲覧
https://artscape.jp/report/curator/10158258_1634.html著者 立石信一 (国立アイヌ
民族博物館運営準備室)令和4年12月1日閲覧
https://www.sangiin.go.jp/japanese/ugoki/h20/080606-3.html トップ >参議院の動
き >平成20年の参議院の動き >アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議 令和
4年9月15日閲覧引用
https://ainu-upopoy.jp/about/ ホーム>ウポポイについて 令和4年12月1日閲覧
https://news.yahoo.co.jp/articles/185ab50137c7ff78471a5f5debf2b966c824f04c
Yahoo japanニュース 2022/09/11 川に戻ってくるサケの豊漁を願うアイヌの伝統儀式
「アシリチェプノミ」が札幌の豊平川で行われました。明治以降サケの全面禁漁に伴って儀
式も一時消滅しましたが、およそ40年前に復活。(2022年9月11日放送)令和4年9月
11日視聴引用
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/719372 2022年8月19日 05:00 北海道新聞ホームページ
令和4年12月20日閲覧引用
http://kyodoshi.com/article/11017 全国12新聞社加盟
kyodoshi.com 2021.12.17 苫小牧民報社 ウポポイでサッチェプ作り 130匹のサケずらり
白老 令和5年1月18日閲覧 画像引用
https://www.daisetsu-kamikawa-ainu.jp/ カムイと共に生きる上川アイヌ ~大雪山の
ふところに伝承される神々の世界~ ホーム>日本遺産認定ストーリーと文化財>川村カ
子トアイヌ記念館 令和4年12月18日閲覧参照
https://youtu.be/eiOx0_WHt1A ピリカの歌 令和4年12月18日閲覧引用
http://fuchinu.blog133.fc2.com/ アイヌ刺繍 -フチヌ工房ーより 画像を見ながら書いた
https://www.facebook.com/burasatoru 札幌・北海道の歴史と古地図を愛する50歳。
YouTube「ブラサトルチャンネル」配信中。旭丘高31期→日大法学部卒。 和田哲(ワダ
サトル)令和4年9月26日投稿閲覧引用
私自身この方に色々と提案してもらい感謝している存在だ