ノリタケの森 生まれた街にある公園、企業、そして文化

小林哲

『ノリタケの森 生まれた街にある公園、企業、そして文化』

Ⅰ.はじめに
ノリタケの森は私の生まれ育った地元にあり、20年以上前にはなるが、その周辺で毎日のように中学の同級生たちと遊んだ。当時から街の風景は大きく変化したものの、今も懐かしく思い返すことができる。本レポートでは、ノリタケの森を調査対象とし、その運営母体であり、日本有数の食器メーカーである株式会社ノリタケカンパニーリミテッド(以下(株)ノリタケ)の歴史を踏まえながら、その芸術・文化における活動について評価報告する。

Ⅱ.ノリタケの森の基本データ
ノリタケの森とは、(株)ノリタケが、2004年に迎えた創立100周年事業の一環として、名古屋市西区則武町にある本社敷地全体約3分の1に当たる4万8000㎡(東京ドーム1個分)を、豊かな緑ある公園へと整備し、2001年10月にオープンした。名古屋駅から徒歩15分ほどの所に立地していることから、再開発が進む名古屋駅周辺の高層ビルを背景にしながらも、非常に静かな時間が流れている。
その公園内には、いくつかの赤レンガ造りの建物、煙突や窯などが各所にある。これらは(株)ノリタケの長い食器作りの歴史を物語るモニュメントであり、それらは「ヒストリカルゾーン」として、ノリタケの森の象徴的な光景となっている。次に、入場料(大人500円、子供300円)が必要となるが、(株)ノリタケの歴史や食器を鑑賞することが出来るウェルカムセンターやノリタケミュージアム、食器作りの工程を学び、体験できるクラフトセンターからなる「カルチュアルゾーン」。そして、現在の(株)ノリタケの製品が一堂に揃うショップやレストランのある「コマーシャルゾーン」の、3つのゾーンによって構成されている。
また、陶芸教室、陶芸家などの作品展が定期的に開催され、夏休みの子供向けの恐竜展、クリスマスイルミネーションやライトアップ、レストランでの結婚パーティーなど、多様なイベントも開催されている。そのため、近隣住人だけではなく、多くの人々が楽しめる施設となっている。

Ⅲ.ノリタケの森が成立した歴史的背景
まず、ノリタケの森の成立に大きくかかわる、(株)ノリタケの歴史について理解する必要がある。創業者である森村市左衛門(1839-1919)は、江戸時代から明治時代への激動期、海外から人や物の往来が活発になるなか、舶来品売買などで財を築いた。そうした商売の経験を通じ、日本の発展には海外との貿易強化の必要性を痛感する。そこで、福沢諭吉の助言や支援もあり、慶応義塾に勤める弟の豊をアメリカへ送り出し、1876年にニューヨーク六番街で小さな雑貨店を始めさせる。骨董品や古物も含め、市左衛門が日本から輸出した品々は大変珍重され、店は大変繁盛した。そして、より大きな貿易が見込める卸売業への転換を果たした後、アメリカでの洋食器販売に大きな可能性を見出す。しかし、洋食器を使う文化のない日本では、当然ながらその製造技術はなかったため、生地研究や製造技術開発を進める。そうして、古くから焼き物の町として有名な、愛知県・瀬戸の職人らと密接に協力し、加えて、海外に製品輸出する最適な場所として、この則武町に工場を建設する。同時に、(株)ノリタケの前身である日本陶器合名会社が1904年に創立された。試行錯誤を重ねながらも、今では当たり前に並ぶ洋食器が、この赤レンガの工場で本格的に生産された。また、これら食器生産で培った高い技術力を源流に発展したINAXやTOTOなどの企業もあり、この則武工場の歴史の一端とも言える。
その後、世界大戦からの復興、そして経済の好不況を経ながら、則武町での食器生産は1978年に停止され、国内外の他工場へ生産拠点が移される。操業が停止したことから、建物の老朽化が一層進み、安全面から取り壊しが検討される時期もあったが、長い期間、その姿のままそこに留まる。そして、創立100周年を迎えるにあたり、当時の面影を大切にしながら、地域社会や住民への感謝の意を表し、自然環境への寄与や地域観光の促進をテーマに掲げる企業の社会貢献活動の一環として、2001年にノリタケの森が誕生した。

Ⅳ.ノリタケの森への評価
ノリタケの森について、3つの点から評価したい。
第一に、文化と、それを生み出した産業を同時に、そして身近に触れることが出来る点である。ノリタケミュージアムには、長い歴史や懐かしさを感じさせる食器類から、豪華絢爛な壺まで、数多く展示され、デザインの多様性や日本文化が欧米化する歴史の変遷を知ることが出来る。そして、蒐集家も存在する「オールド・ノリタケ」と呼ばれる20世紀初頭に作られた食器を含め、その美しさは多くの人を魅了する。また、隣接するクラフトセンターでは、食器の原材料についての説明に始まり、成型から絵付けまで、実際の生産機械を備え、職人による製作過程も見学することが出来る。そこは、小規模ながらも、食器のテーマパークであり、楽しみながら文化や産業に触れ、学ぶ機会を提供している。外国人観光客も含め、来場者の増加が期待されており、地域活性化の一助にもなっている。
第二に、都市における公園としての機能である。広い敷地内は美しく整えられており、芝生や季節の花が人々の目を楽しませる。緑少ない街に暮らす人々にとっての憩いの場であり、近隣の子供たちの遊び場となっている。また、大規模な緑化により環境改善が進み、多くの生物が生息するようにもなった。人と自然とが共存することを可能にし、そして、災害時の避難場所になるなど、街の重要な生活環境基盤としての役割も果たしている。
第三に、(株)ノリタケの社会貢献の企業姿勢である。ノリタケの森では、この地で生まれた文化や歴史、そして懐かしい光景を残しながらも、今日生活する人々が快適に暮らす新たな街を作る、地域環境をより良きものにする取り組みである。多くの企業が社会貢献活動に取り組むなかにあって、地域社会への貢献度は特筆すべきものであり、この緑と文化的資産が将来に引き継がれていることを期待する。ただし、今後の展望には一抹の不安もある。国内食器メーカーを取り巻く環境は厳しく、 (株)ノリタケの食器事業は赤字である(事業多角化により企業としては黒字)。ある百貨店の担当者からは、今後は中国などでの販売拡大は期待できるものの、黒字転換の実現は非常に厳しい状況にあると聞く。つまり、この企業姿勢を維持することが難しくなる事態は危惧される。
最後に、同じ則武町(ノリタケの森から徒歩5分)にある、トヨタ産業技術記念館と比較する。トヨタグループの創業者である豊田佐吉が発明した、自動織機の製造工場があった場所であるが、自動織機だけではなくトヨタ自動車の歴史、その製造技術を展示している。社会見学で訪れる子供たちも多く、科学館のような施設である。ノリタケの森と比較すると、地域との関連性はやや希薄であり、街の住民が日常に訪れることのない施設である。一方で、共通点として、赤レンガの建物が保存され、一種の観光地として地域活性化につながっている。そして、薄暗い廃墟のようだった工場跡地であっても、新たな役割や機能を与えられることにより、魅力ある場所へと転換できる可能性を示す。古いものを活用した街づくりや地域活性化に参考となる事例であると考える。

V.おわりに
今回の卒業研究を通じ、何気なく過ごす街、使う食器であっても、興味関心を持ち、そして学び、調査することによって、これまでとは違う新たな視点を得ることができた。改めて、食器の美しさ、地元の歴史や魅力といったことに気付くことで、自身の生活が、少しだけ豊かなものになったと思える。今後も、日々の生活にある様々な事物を、そうした新たな視点で見直していきたい。

  • 987383_0e574691cbec4046a4c2da1a5b197069 現地調査時撮影
  • 987383_e49ce0c7bab140a78278c8624aa5a727 (パンフレット)ノリタケの森
  • 987383_d90575ee24ed41e3829cb8d7d223259f (パンフレット)ノリタケの森クラフトセンター

参考文献

・砂川幸雄 著 『森村市左衛門の無欲の生涯』 草思社 (1998)
・藤井信幸 著 『世界に飛躍したブランド戦略』 芙蓉書房出版 (2009)
・大森一宏 著 『近現代日本の地場産業と組織化』 日本経済評論社 (2015)
・ノリタケ100年史編纂委員会編 『ノリタケ100』 株式会社ノリタケカンパニーリミテッド (2004)
・井谷善惠 著 『オールド・ノリタケの歴史と背景』 里文出版 (2009)
・大賀弓子 編 『オールド・ノリタケと日本の美』 平凡社 (2002)
・森川崇洋 著 『華麗なるオールド・ノリタケの世界』 マリア書房 (2003)
・菅家正瑞・佐藤正治 編 『企業メセナの理論と実践』 水曜社 (2010)
・三浦典子 著 『企業の社会貢献と現代アートのまちづくり』 渓水社 (2010)