ユネスコ無形文化遺産 細川紙の原料「トロロアオイ」を家庭で育てる市民参加型プロジェクト「わしのねり」考察
1. 基本データと歴史的背景
1-1 細川紙について (参考文献 註1,2)
生産地:埼玉県比企郡小川町、同県秩父郡東秩父村
細川紙とは:小川地域で生産されてきた小川和紙の手漉き楮紙の代表。
紀州細川村の「細川奉書」に起源を持ち、紙の需要が高まった江戸時代に、すでに紙漉きの里であった小川地域で作られ始め、江戸の繁栄とともに、細川紙は小川和紙を代表する紙となった。細川紙の技術は、1978年に国の重要文化財に指定。
小川和紙の歴史:正倉院文書に、宝亀5(774)年「武蔵国紙」の記述があり、1300年の歴史を持つ。
小川和紙の種類:手漉きと機械漉きがある。手漉きには「流し漉き」と「溜漉き」があり、細川紙は流し漉きの代表。
1-2 ユネスコ無形文化遺産 和紙について(註1)
登録日:2014年11月27日
登録名:和紙・日本の手漉き和紙技術
登録された和紙:「細川紙」埼玉県、「石州半紙」島根県、「本美濃紙」岐阜県
1‐3 トロロアオイについて
アオイ科トロロアオイ属の植物。根を和紙の原料に使用。
1975年-2004年 比で収穫量で8%、栽培面積で11%にまで縮小(註3)。原因は農家の高齢化と後継者不足。生産量シェア75%(2019年75t)を占める茨城県の全農家15戸のうち5戸が、高齢化により2020年に作付けをやめた。この5戸で全国生産の7~8割を占める。小川町では、一時期途絶えたトロロアオイの栽培を2002年に復活させ、茨城に次ぐ生産量(2019年3.8t)だが、現在10戸の生産者全員が65歳を超えており、このまま生産技術や生産量を維持できるかわからない状況(註4)。
1-4 「わしのねり」プロジェクトについて(註5)
主催:企画屋「かざあな」
目的:クラウドファンディングを活用した和紙業界の活性化、手漉き和紙の存続への一歩にすること。生産不足の手漉き和紙に不可欠な原料「ねり(トロロアオイの根)」を家庭で育成、収穫し、「小川町和紙体験センター」とともに、皆で育てた「ねり」を使用した和紙の新商品の開発まで行う。
実績:2021年度参加者74名、支援総額858,600円、出荷量24名、268本、42kg。2022年度参加者62名、支援総額841,700円。集まった支援金は「小川町和紙体験センター」の建物補修修繕費用にも充てている。
2. 事例のどんな点について積極的に評価しているのか
和紙も他の伝統工芸と同様に、職人不足や、現代の生活ニーズとの乖離は知る機会も多いが、原料の生産農家の減少が職人の技術継承以上に大きな課題になっていることまでを知る機会は中々ない。
伝統工芸のこの大きすぎる課題を、真正面から考えつつも、以下の3点の「自分ごと」に考えられる方法でハードルを下げ、市民参加型の取り組みを通じて、原料農家と和紙職人、一般市民を繋ぎ、日本の工芸を未来につながるために小さなムーブメントを興す意義を評価した。
(1)和紙原料に関わる課題を「自分ごと」に
家庭や個人単位で原料のトロロアオイを育てるという方法で、和紙の産地以外でもできる伝統工芸への関わり方を提案し、産地以外には見えづらい課題を浮き上がらせることに成功している。
そもそも、和紙はどのような原料でどのように作られ、現在はどのようなニーズがあるのかなど、この取り組みから和紙全体への興味が広がるきっかけとなる。
(2)応援方法を「自分ごと」に
地域の伝統工芸を応援する方法として今までは、現地に行って体験をしたり、現地には行かなくても、商品を購入することで応援するくらいしかなかったが、クラウドファンディングという新しいお金の使い方を活用し、コロナ禍でも自宅に居ながら参加が可能な応援方法にしている。トロロアオイの育成は必須ではなく、リターンも複数から選択できる。
(3)違う立場の想いを知り「自分ごと」に
このプロジェクトの参加者は、主催者とトロロアオイ農家から栽培方法のアドバイスを受けながら、種まきから収穫・送付までを行う。一般家庭で育てるという特殊な環境下で、どのような育成状況になるか予想できない初年度は手探りではあったものの、WEBでの情報交換の場「寄合」で状況の共有や、生産者との交流も行うことができた。収穫したものの品評や、紙漉き職人さんの話を聴く機会もあり、和紙に関わるそれぞれの立場の人々の想いに触れ、共感できたことで一体感が生まれた。
3. 国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか
私はこの「わしのねりプロジェクト」の比較対象として、同様に家庭で育てて収穫物を送る「メイド・イン・アース和綿の種広がるプロジェクト(註6)」にも参加した。
これは、2003年から継続している取り組みで『日本の在来種のコットンを育てる・守る・つくる・暮らしの中で楽しむ』を掲げ、日本の気候風土に合った太く短い繊維の和綿栽培を広げることを目指している。現在、企業・店舗・行政・教育機関・法人・地域グループ・個人などHP上に200以上の参加者名が並ぶ。2021年度は2200名以上の参加があった。トロロアオイ同様、一般の人々が育成収穫したコットンボールを集め、その後製品化される。春の種まきから秋の収穫、その後の糸つむぎ体験など、主催者と参加者との2者間のフォーマットが完成されている。
現在、日本の綿素材のほとんどが海外産に頼っているが、このプロジェクトを通じて和綿の在来種を知り、「衣」を考えるきっかけになり、在来種を自分達で守る循環ができている良い事例だ。
一方、「わしのねり」はまだ始まったばかりであり、全体的なデザインが完成されているとは言い難い。
しかし、この2つの取り組みで参加者視点から「わしのねり」を特筆すべき点は、参加者(一般家庭)と、トロロアオイ農家、和紙職人(小川町和紙体験センター)の3者が、和紙という伝統工芸を未来に繋げるという目的を持って参加している事、更に各立場の想いを、主催者が真ん中できちんと繋いで循環していることだ。お金を出すだけ、育てるだけ、何かのリターンをもらうだけでもなく、和紙をテーマに様々な人の想いを知ることで、共感したり、感心したり、現地に行けなくても心が動く体験ができることは、コロナ禍で大きく変化したオンラインを使った行動様式には必須である。
4. 今後の展望について
1年目は、収穫物が予想以上の出来だったことで、プロジェクトの実績としても大きく前進した。2年目は、参加者の「ねり」から作った和紙を使った「わしのいえ(宿泊施設)」の構想など、小川町も巻き込んだ地域活性化にもつながる取り組みに発展していく見込みだ。他の和紙の産地や、他の植物原料を使用した工芸品の産地からも注目されていると聴く。
このプロジェクトのように伝統工芸を身近に感じられる取り組みが増え、産地や職人との関わりを持つ仕組みができれば、伝統工芸はもっと現代人のくらしに戻ってくるのではないか。
5. まとめ
伝統は守り伝えていくことと、新たに挑戦していくことが大切であり、今までと同じ方法の継続が難しいなら視点を変え、人々の想いをつなぐことで新たなスタートにつながる。
「わしのねり」プロジェクトの形は生産者・職人・一般消費者がつながる伝統工芸のこれからのモデルとなり、新しい循環の仕組みを作る一歩だと考える。その真ん中にあるのは、「想い」だ。
どんなに流通網が発展し、デジタルツールが発達しても、自然のものを慈しみ、伝統工芸として完成させた日本の文化を守っていくのは生きている人間だ。立場の違う相手の考え方や想いを知ることで、誰かがやってくれるという意識から、自分にもできると想いや考え方が変化していけばひとりひとりの行動につながり、小さなムーブメントから大きな変化につながっていく。
参考文献
註1)小川町産業観光課編 『和紙のふるさと「小川和紙の世界」』2016
註2)小川町観光協会(小川町にぎわい創出課)編『ユネスコ無形文化遺産 細川紙のふるさと小川町』 2021年
註3)日本特用林産振興会 和紙‐文化財を維持する特用林産物:https://nittokusin.jp/bunkazai_iji/washi/ (最終検索2022年7月3日)
註4)日本農業新聞トロロアオイ「生・消」で守る 寄付募り産地維持へ奮闘https://www.agrinews.co.jp/p54078.html (最終検索2022年7月3日)
手すき和紙業界に大打撃 トロロアオイ農家が生産中止へhttps://www.asahi.com/articles/ASM664G74M66UJHB00L.html(最終検索2022年7月3日)
註5)わしのねりプロジェクト https://www.kazaana.net/wasinoneri/(最終検索2022年7月16日)※別資料あり:資料1
註6)メイド・イン・アース和綿の種広がるプロジェクト https://www.made-in-earth.co.jp/special/23209/(最終検索2022年7月16日)※別資料あり:資料2
小川町観光協会(小川町にぎわい創出課)編 『和紙のふるさと おがわまち』2019年
小川町観光協会(小川町にぎわい創出課)編 『和紙のふるさと おがわまち ロードマップ&タウンガイド』2021年
全国手すき和紙連合会著「和紙の手帖」2014年 わがみ堂出版
和紙のふるさと小川町公式HP https://www.town.ogawa.saitama.jp/ (最終検索2022年7月3日)
文化遺産データベース https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/288723 (最終検索2022年7月3日)
日本特用林産振興会 和紙‐文化財を維持する特用林産物 https://nittokusin.jp/bunkazai_iji/washi/ (最終検索2022年7月3日)