「Din Don」からみる日本の音風景
1 Din Donとは
Din Donとは、兵庫県神戸市のベイエリアにある「神戸ハーバーランドumie」(以下「umie」)のセンターストリートに設置されている、アメリカの彫刻家ジョージ・ローズ氏の作品である。ガラス張りの鉄塔の中でたくさんのボールが転がり落ちるのだが、その最中にボールが鉄琴やシーソーといった様々なカラクリの上を通る。下まで落ちたボールはゆっくりと上部へ運ばれ、半永久的に、そして不規則にボールは転がり続ける。一見、2002年からNHKで放送されている「ピタゴラスイッチ」に登場する「ピタゴラ装置」[1]を想起させるが、その違いは明確で、「音」が奥深い魅力を引き出している。
2 街のおもちゃからアイコンへ
2-1 遊び心と演出
てっぺんに青い風車がついた奇天烈なこのボールマシーンは、通り過ぎようとする人を思わず立ち止まらせる。撮影時に小さい子どもがガラスにへばりついてボールの行く先を目で追いかけていたが、この場所を通る時はこうした子どもたちをよく見かける。Din Donはumieのメインエントランス付近に設置されており、訪れる人たちを歓迎し、また太陽のように屋内空間を明るく演出している。
2-2 ハーバーランドの成長と共に
1992年のまち開きと同時期に設置されたが[2]、この年は神戸港周辺に「ニューオータニ」や「モザイク」といった、現在の神戸のランドマークといえる建物が次々に完成した年でもある。1995年には震災により各商業施設は営業を中止せざるをえなくなったが[3]、その後地下鉄海岸線の開通や新たな商業施設の完成など、神戸の玄関口として街の人だけでなく、訪れる人たちに常に新しい顔をみせている。そこに海外のアーティストの作品を置き、それがumieのアイコンとなったことは、現代の多様性を予感させるものであったといえるだろう。現在設置されているDin Donは2016年に修復されたものである[4]。
3 音響の観点からみる
3-1 倍音
ある音の基音の周波数よりも上に自然発生する周波数のことを倍音というが、[図1]の画像は瞬間的な周波数の分布と倍音の様子を表している。ピアノなどの楽器には基音に対して整数倍の倍音が含まれるが[5]、自然界の音は非整数倍の音を含むといわれる。雨や風などがそうである。また、しゃがれ声といった、民謡などにみられる声や和楽器もこれに該当する。図1の左側の画像は、Din Donでボールがあるカラクリに当たった瞬間あたりの周波数をとらえたものだが、基音より高い帯域の倍音は、右の電子ピアノの周波数と比べて基音に対しある程度の整数比で倍音が発生していないことがわかる。
3-2 反響音
Din Donは反響物に囲まれた西側入口付近に設置されており[写真2]、反対側の東側入口付近でも十分に音を聴くことができる。施設内は買い物客でにぎわっているが、会話の邪魔になるほどの騒音ではない。ボールが移動する音は、小さく、または大きくなったりを繰り返すため、音圧は高くならない。このため反響音もいつまでも残るわけではないので、うるさいという印象は受けなかった。だが、非整数倍の音を含む自然界の音と比べると、周波数や振幅(音の強さ、ダイナミクス)の変化から導き出される「ゆらぎ」のような、リラクゼーション音楽にみられるような音だと筆者は感じることはなく、音程を伴って奏でられる音楽でもない。だが不思議なことに、その音は周りの環境になじんでいるのである。
4 音風景を構成する音
4-1 サウンドスケープ
サウンドスケープという概念はカナダの作曲家マリー・シェーファーが提唱した、「音楽を聴くのと同じ態度で、環境の音を聴く」[6]というものである。この聴覚的景観では一つの音だけを聴くのではなく、ある環境の中にある音、例えば海の波の音に耳を傾ける場合、沖からきこえてくる船の音や砂の上を歩く音など、その風景のなかにある音を包括的に聴くということである。
umieのセンターストリートを歩くと、Din Donの音が鳴り響くなかで、行き交う人々の話し声や、足音、入口の自動ドアが開いた時に流れ込んでくる外の音など、様々な音がきこえてくる。Din Donは人工的な存在ではあるが、ボールがカラクリの中で動く音はすでにumieの環境音となり、人間が生む音と混ざり合っている。
4-2 日本の音風景
日本には、日本独特の音が存在し、海外から来る人には特に敏感に捉えられることがある。角田忠信氏は日本人と西洋人の左脳と右脳にみられる差について研究を行っている人物である[7]。一般的に日本人と西洋人両方において、右脳は音楽脳、左脳は言語脳であると知られている。しかし、角田氏の過去の研究により「持続母音、感情音、虫、鳥、動物の鳴き声、波、風などの自然音、邦楽器音などは日本人が言語脳で聞いているのに対し、西洋人は音楽脳で聞いている」[8]ということが分かった。
日常の中できこえてくる音は、その国独特の音である場合がある。日本ならば風鈴の音、鈴虫の泣き声、梵鐘の音などだ。明治期の英文学者兼作家であった小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)などは日本の「下駄の音」や「物売りの声」などの音風景を非常に興味を持って書き残しているという[9]。上述したように、言語脳で音を理解する日本人は、このために音風景を擬音語に変換することに長けていたのかもしれないし、音楽脳で音を理解する西洋人は、日本の音風景を音楽を聴く時のように美的感覚をもってきいていたのかもしれない。
4-3 西洋人が表現する日本の音
そして日本の音風景は古代の人々にも情緒あるものとして捉えられていたことが、清少納言『枕草子』からも分かる。190段に「…奥に、碁石の笥に入るる音あまたたび聞こゆる、いと心にくし」[10]という一文があるが、ある翻訳本では「From within comes the frequent sounding go stones dropping into the box. Delightful too to hear…」[11]と訳されている。この英訳は現代語訳として捉えるが、原文の意味を表現するうえで、非常に明解である。該当する一文の前後の文をふまえると、静かな夜にひっそりと起きている人々の様子を障子を隔てて聴き、衣擦れの音や火箸を使っている音がある風景から、当時の日本の情緒ある風景を想像することができる。情緒ある風景といえるのは、清少納言がこれらの音を「いとをかし」と思っているし、現代の日本人でもその風景を思い浮かべて「日本らしい」と思うことができるからである。この英訳は少なくとも日本人の筆者にはシンプルであると思えるが、同時に海外の人々が日本の風情を想像しやすいものでもあると思う。小泉八雲も上述した『枕草子』の翻訳本の一つの翻訳者であるメレディス・マッキンニー氏も、きっと英語での日本の音風景の表現に尽力したことだろう。
5 現在の音風景を守り、育てる
現代の日本に来た海外の人々が、かつてのような日本の音風景には出会う機会は少なくなったかもしれない。下駄の音、風にのってきこえてくる風鈴の音も少なくなった。だが今の日本、またはその土地の音風景は必ず存在する。絶えず動く波の音、人々の話し声と混ざったDin Donの音は神戸ハーバーランドの音風景を構成している。そしてこれらを含むたくさんの音の響きが、五感で感じる風景の一部となっている。工業化が進み、かつての日本らしい音というのは全国的に減りつつあるのが現状だろう。だが、四季を伝える音や活気づく人たちが放つ音であふれる風景は、今のありのままの日本の音風景であり、その土地に根付く独特のものでもある。そしてこれらの音は、いつか振り返った時に視覚的風景と一緒に流れてくることだろう。
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[写真1] 2022年7月5日、神戸ハーバーランドumieにて筆者撮影
Din Donはumie 1階西側入口付近に設置されている。 -
[図1] 2022年7月9日、筆者作成
筆者が録音した音源をもとに行った、Din Donと電子ピアノの倍音構成の比較(周波数測定には「Studio One」付属の「Spectrum Meter」を使用)。非整数倍の周波数は自然音や邦楽器に、整数倍の周波数は西洋楽器に多いとされる。 -
[写真2] 2022年7月5日、神戸ハーバーランドumieにて筆者撮影
天井が非常に高く、四方が高い壁に囲まれているため、音が長い時間反射し続けることができる。だがDin Donの音は一定の音量で持続しないため(音圧が低い)、反響音も短くなる。 -
[写真3] 2022年7月5日、神戸ハーバーランドumieにて筆者撮影
ボールが移動する様子。鉄琴の音やゼンマイが回る音など、様々な音が鳴っている。 -
[写真4] 2022年7月5日、神戸ハーバーランドumieにて筆者撮影
Din Donの全体像。
参考文献
[1] NHK for School「ピタゴラスイッチとは?」
https://www.nhk.or.jp/school/youho/pitagora/(閲覧日:2022年7月9日)
[2] umie KOBE HARBORLAND 公式HP「ニュース・イベント」
https://umie.jp/news/detail/49(閲覧日:2022年7月9日)
[3] 神戸ハーバーランド公式HP「おかげさまで25周年」
https://www.harborland.co.jp/25th/(閲覧日:2022年7月9日)
[4] CREATIVE MACHINES 「Din Don」
https://www.creativemachines.com/din-don(閲覧日:2022年7月9日)
[5] 竹内一弘『エレクトロニックミュージシャンが知っておくべきミックス&サウンドメイクの手法』2017年、シンコーミュージック、122頁
[6] 岩宮眞一郎『図解入門よくわかる最新音響の基本と仕組み』秀和システム、2007年、168頁
[7] 角田忠信『日本人の脳機能のユニークさと文化』1978年、テレビジョン学会誌第32巻、486頁
[8] 吉永 誠吾『日本人と西洋人の脳の左右差の違いは我が国の音楽教育に何を示唆するのか』1997年、熊本大学教育学部紀要人文科学第46巻、72頁
[9] 岩宮眞一郎『図解入門よくわかる最新音響の基本と仕組み』秀和システム、2007年、177頁
[10] Japan Kowledge「うつくしきもの枕草子 清川妙 第五回 心にくきもの」
https://japanknowledge.com/articles/blogutsukushikimono/005.html(閲覧日:2022年7月16日)
[11] Meredith McKinney『SEI SHONAGON The Pillow Book』2006年、PENGUIN BOOKS、182頁