有田における地場産業のデザインの考察―イタリアのソロメオにみる新しい継続の可能性―

竹尾 賀子

はじめに
佐賀県有田町(以下有田)は泉山磁石場を発見以来、日本磁器発祥の地として400年以上続く人口約1万9,000人のものづくりのまちである。多様で優れた製陶技術を長年に渡って伝承してきた。しかし、1991年のバブル崩壊以降から市場規模が縮小し、分業制にともなうサプライチェーンの維持も難しく[1]、有田は苦境に立たされている。
一方、イタリアのウンブリア州ペルージャ県のソロメオ村(以下ソロメオ)[図1]は、高級服ブランドのブルネロ・クチネリ社[2]の本社移転[図2]から、今年で40年をむかえる人口約500人のものづくりのまちである。同社は自社工場生産では間に合わず、州内を中心に300超の工場(工房)に生産を発注している[3]。
この報告では、歴史の差はあるものの、同じ手仕事に重きをおく有田とソロメオの地場産業を評価・比較し、有田の新しい継続の可能性について考察する。

1.有田の製造技術発展と伝承の歴史について
(1)創始期
有田焼は、1610年代がはじまりとされ、創始期には朝鮮半島の技術で中国風磁器が製作されていた[4]。

(2)大輸出時代
1644年の中国内乱により、中国磁器の輸出が途絶え、代替品の生産が有田に求められた。1650年代以降、約1世紀にわたる大輸出時代に突入したことで、著しく技術が向上した[5]。

(3)国内向け生産時代
海外輸出が衰退すると、有田は国内向け生産に主軸を移した。19世紀中期には、瀬戸や砥部などの磁器が流通し、国内に磁器が行き渡った。そこで有田では窯場全体の底上げ・向上を図り、高級磁器生産に集約・特化していった[6]。

(4)自由化・明治時代
1871年の廃藩置県により、有田の職人は、初めて自身の作品を自由にアピールできるようになった。職人たちが競って腕を磨いたことで、明治期に有田の技術はさらなる飛躍を遂げた[7]。

(5)戦時中
有田も軍需工場への転換を強いられたが、「柿右衛門窯」、「今右衛門窯」、「香蘭社」、「深川製磁」、他陶芸家2名が1942年に国の「技術保存」の指定を受けたことで、有田の伝統技術は次世代へと受け継がれた[8]。

(6)近年
2016年の「有田焼創業400年事業」を契機に、外部とのコラボレーション活動を通じたブランディングや新商品開発の取り組みも行われている[9][10]。有田の商工会議所や共販組合[11]が中心となり、毎年ゴールデンウイークに「有田陶器市」が開催されていたが、コロナ禍では「Web有田陶器市」のオンライン開催となった[12]。
現在、有田の生産品は陶芸家の美術品、香蘭社の碍子などの工業品もあるが、大部分が伝統工芸士らの実用的な工芸品である。これらの生産品は有田の地で生産されている。

2.有田の評価される点について
(1)継続の理由
有田の各窯は性格も異なり、多様な表現様式を持つことから[13]有田全体としては変化する需要に切れ目なく製品を供給できた。それにより長年の継続を可能としてきた[14]。
有田には時代の変化に合わせて新しいものづくりに挑戦し続ける伝統と、「家」を継ぐという風土が強く残る。利益よりも次世代につなぐことを重要視してきた後継ぎ達の精神的気質で400年以上続いてきたともいえる[15]。

(2)産業史跡
「天狗谷窯跡[図3]」、「山辺田窯跡」、「原明窯跡」、「泉山磁石場跡[図4]」が1980年に国の史跡として指定された。上有田地区の町並み(有田内山)が国の重要伝統的建造物群保存地区に1991年に選定された。

(3)高度な手仕事技術
明治期になると機械ロクロが国内で広まったが、有田では職人の手仕事が速かったため、その導入が遅れた。しかし、後に多くの手仕事が残る特徴ある産地となった[16]。「現在でも有田は機械と手仕事のバランスの良い産地である」[17]。
また、明治期の有田焼の超絶技巧作品は、各国で開催された万国博覧会で、ジャポニズムとして世界から高評価を受けた[18]。近代でも、人重要無形文化財(人間国宝)の認定者を複数輩出している[19]。

3.有田とソロメオのものづくりの比較
(1)共通点
有田とソロメオの共通点は、自然豊かな地で生活を豊かにする美的な製品生産を行い、地場産業というローカリズムや、手仕事が多く残る職人のアイデンティティが色濃いまちということである。

(2)製品美意識の比較
有田焼の美意識は白磁や余白の美を表現した柿右衛門様式[図5]から、色鍋島様式[図6]や古伊万里金襴手様式[図7]など絢爛豪華なものに至るまで幅広い多様な美が表現されている。
一方、会長兼CEOのブルネロ・クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI[20])は、美しいものは素朴で平易であるとし[21]、自然を手本としている。

(3)地場に生きる意義の比較
有田に以前はあった佐賀県立有田窯業大学校[22]では技術者養成の取り組みが行われた。卒業後の県外出身者は、有田の師弟教育と大学校の産業教育の理念の違いから有田への継続的な定着は難しかった[23]。経営後継者の継承への思いは強いが、大学校出身者にとっては、有田で従業員として長く働き続けるための意義が不足していたと考えられる。
一方、ソロメオではブルネロ・クチネリ社内の職人技術学校の学生は、無料の学費と収入が保障されている。美しく整えられたものづくりの環境[24]や、高めの収入、職人の尊厳を大切にする経営哲学に意義を感じた多くの職人が同社の従業員として定着している。これらの企業運営はブルネロ・クチネリの提唱する「人間主義的資本主義」[25]の哲学にもとづいて行われている。

(4)規模・業績の推移・職人の給与の比較
2017年の有田焼生産の従業者は、1988年の最盛期4,250人から1,201人の約72%減少した。製造品等出荷額は、1991年の最盛期413億円から98億円と約76%減額している。報酬面では有田焼生産の1人あたり年間現金給与額は、1996年の最盛期325万円から270万円の約17%減額している[26]。
一方、ブルネロ・クチネリ社は、創業時は数人の小さな工房であったが、現在は従業員約1,700人と増員し続けている。売上は2009年に1億5,814万ユーロ、2019年には6億776万ユーロ(日本円換算約770億円)と順調に売上規模を拡大している[27]。また、設立当初から「経済的倫理的な側面における人間の尊厳」を守る労働の理想を掲げ、職人の給与はイタリアの一般企業より2割高く設定されている[28]。
双方の販売推移を[図8、9]に示す。

(5)業績の背景の比較
有田の業績低迷の理由は、旅館や料亭等の大口需要の減少、100円ショップなどの低価格な海外製品の台頭、消費者の価値観や生活様式の変化などによる国内市場規模の縮小が挙げられる。
一方、ソロメオの業績成功の理由は2つあり、ひとつはメイドインイタリーのカラフルなカシミヤ製品がドイツ市場で受け入れられたことである。もうひとつは人間の尊厳や哲学的ビジョンが人々に伝わり、倫理的消費が増加したことであった[29]。「この成功は特別なことではなく、世界中の似たような状況でも試せると確信する」とブルネロ・クチネリは語っている[30]。
割高である同社の服の対価は購入者にとって、製品価値のみに支払われるものではない。職人の応援、ソロメオへの地域還元に共感し、また、服を着ることでメッセージを発信するという購入者の自己表現にもつながっていると考えられる。このことは、マルクス・ガブリエルの提唱する倫理資本主義の時代の表れであろう[31]。

4.今後の展望
有田の地場産業の継続には何が必要だろうか。九州陶磁文化館の鈴田由紀夫館長[32]は、「有田の地場産業を守るということは、単価100円の機械工業製品を海外の工場で大量生産することや、単価100万円の芸術品を少量つくる陶芸家を増やすことではない。単価1,000円から数万円程度の工芸品を有田の地で中量生産することで地域雇用が守られ、結果、地場産業は継続していく」と語った。
地場産業の手仕事によるものづくりとは、均一で画一的なグローバリゼーションである工業製品では生み出せない価値を持つ。職人の手仕事には責任と道徳があり、作り出される美しさが追求されている[33]。有田の地場産業は技術を受け継ぐ職人がいなければ守ることができない。それには職人がよいものをつくれるまちづくりや、適正な利益による職人の給与向上や、尊厳を守る仕組みつくりが必要といえよう。

5.まとめ
有田のまちづくりとしては、40年前から論議されており、当時の有田町役場では「観光産業」は目指さない、あくまでも産業が基本であり、観光が付随する「産業観光」を目指していた[34]という。このように観光客目線でなく、職人目線の新しい産業観光のまちづくりを行うことができれば、外部からの職人の定着が促され、後継者問題の解決にもつながるであろう。
また、ソロメオにあって有田に足りない価値とは、「人を動かす哲学」といえよう。今後、生きている文化財としての有田らしい「精神的価値」を示し、有田のあり方を広く伝えて支持を得ることで、倫理的消費が生まれ、有田の新しい継続の可能性がみいだされると考える。

  • 1 図1、図2ソロメオについて
  • 2 図3、図4有田の産業史跡
  • %e6%a7%98%e5%bc%8f 図5、図6、図7有田焼の伝統様式
  • 4 図8、図9、販売額推移の比較

参考文献

参考文献

【注釈】

[1]有田では「香蘭社」や「深川製磁」などの一貫制作を行う組織も一部存在するが、基本的には、土屋、型屋、生地屋、窯元といった分業制で生産され、多くの職人が携わるため、どの行程がなくなっても磁器生産はできない。そのため、技術継承と雇用確保は有田焼の非常に大きな課題となっている。「特に陶土製造業、型製造業、生地製造業などに代表される特殊な技術を要する事業者では、深刻な後継者不足に直面しており、若者にとって魅力ある職場づくりにより、若年層の町外への流出を防ぐことが重要である」。
(佐賀県西松浦郡有田町『有田町過疎地域持続的発展計画-令和3年度~令和7年度』、2021年、10頁)

[2]ブルネロ・クチネリ(Brunello Cucinelli)社は、綺麗な色のカシミヤニットのメーカーとして1978年設立。2012年ミラノ証券取引所に上場。2019年の売上は日本円に換算して約770億円、同営業利益は約105億円、世界137店舗で販売する。
(ブルネロ・クチネリ著『人間主義的経営−ソロメオの夢−私の人生と人間のための資本主義』岩崎 春夫訳、クロスメディア・パブリッシング、2021年、225頁)

[3]「世界に約1,700人いる従業員のうち、およそ1,000人が本社で働く」。「本格的な生産は州内を中心に信頼する300超の工場に発注するが、納品された服は不作為抽出ではなく、1点1点すべてをチェックして品質を管理している」。
(後藤洋平『イタリアに持続可能な職人の村-日本も地方に本拠地を』朝日新聞デジタル、2018年11月24日記事)

[4]朝鮮半島の陶工職人である李参平らにより磁器生産技術がもたらされた。しかし有田の磁器生産は朝鮮半島で生産されていた白磁器ではなく、中国の青花と呼ばれる染付製品を模倣するかたちで始まった。この様式は「初期伊万里様式」と呼ばれる。
(有田町歴史民俗資料館『有田町歴史民俗資料館東館・有田焼参考館―展示ガイドブック』有田町教育委員会、2013年、19頁)

[5]1700年頃の大輸出時代は有田による磁器の独占率が高く、最も発展した時代であると言える。深川は、その頃の有田の様子を次のように述べている。要求される見たこともない形状の皿、壺などを寸分違わず手仕事で製作しなければならないのと同時に、大量生産の納期対応のため、短時間焼成を狙った鋭い傾斜の登り窯が相次いでつくられた。職人たちは高い利益と、高い技術への挑戦がモチベーションの原動力となり、有田の技術力は飛躍的に伸びたことが想像に難くない。
(深川正『世界の中の有田―私の東西交渉史』西日本新聞社、1975年、167-170頁)

[6](上記[4]同、33頁)

[7]江戸期の有田磁器は「大明成化年製」という中国磁器を模した装飾的な意味合いの銘が主に入れられていた。明治の自由化により、生産者意識の表れとして製造者がブランド名や自社マークを入れはじめた。パリ万博会が大きな契機となり、自分の銘で世界に売り込めるという生産者意識は、より高まった。
(鈴田由紀夫『明治有田超絶の美』高林祐志(世界文化社)、2015年、7-11頁)

[8]他陶芸家2名とは「川浪喜作」、「満松惣市」。
(有田観光協会『ありたさんぽ』、有田焼とは)

[9](アネモメトリーNo.32-33『状況をデザインし 好循環を生みだす』京都芸術大学)

[10](アネモメトリーNo.46『しくみをつくり、まちを動かす』京都芸術大学)

[11]「肥前陶磁器商工協同組合」、「佐賀県陶磁器工業協同組合」、「有田焼卸団地協同組合」等の共販組合が有田の窯元や地元の販社を繋ぐ活動をしている。

[12]2019年の「有田陶器市」来市者数は約126万人。同年の有田町の年間観光客数が約243万人であることから、半数以上の観光客がゴールデンウイーク期間に有田町を訪れたことになる。2020年の「Web有田陶器市」への参加店数は129社。ゴールデンウイーク期間のアクセス数は約46万ユーザーで九州外の女性のアクセスが多かった。
(有田町『有田町統計書-令和2年版』、28頁)

[13]有田焼には、「白磁、陽刻、染付、色絵、青磁、瑠璃釉、銹釉、辰砂」といった表現方法がある。主な伝統様式として「柿右衛門様式」「色鍋島様式」「古伊万里金襴手様式」がある。
(上記[8]同、有田焼とは)

[14](上記[4]同、25頁)

[15](伝トーク!!実行委員会『場所前 (第1回)・後篇「伝トーク!! 令和二年場所」イントロダクション~産地としての有田の現在とこれから~』)

[16](伝トーク!!実行委員会『場所前 (第1回)・前篇「伝トーク!! 令和二年場所」イントロダクション~産地としての有田の現在とこれから~』)

[17]鈴田由紀夫(九州陶磁文化館・館長)にインタビューを行った。(取材日:2022年1月11日)

[18](上記[7]同、21頁)

[19]戦後、十二代・十三代・十四代今泉今右衛門、十四代酒井田柿右衛門、井上 萬二らが人重要無形文化財(人間国宝)に認定されている。1976年に「柿右衛門製陶技術保存会」および「色鍋島今右衛門技術保存会」が国の重要無形文化財保持団体に認定されている。

[20]1953年生まれ。人文主義者の企業家でデザイナー。イタリア共和国労働騎士勲章、大十字騎士勲章、ペルージャ大学哲学・人間関係倫理学名誉学位、独キール世界経済研究所の「グローバル経済賞」などを受賞している。
(BRUNELLO CUCINELLI『board of directors』)

[21]「美は外見ではなく、人間の内面の性質が形になったものです。美しいものは素朴で平易であり、美の存在するところには真実が存在します。素朴さは大きく豊かな精神の統合の結果であり、発想や素材の不足によるものではありません。平易さは明確さであり、美への理解を深め、人間の資質を向上させます」(上記[2]同、116頁)

[22]県立有田窯業大学校は1985年に開校し、2019年度で閉校。約2,000人を輩出した。現在は、佐賀大学・有田キャンパスへ佐賀県から国立大学法人へ移管されている。
(西日本新聞社『有田窯業大学校、本年度で幕 34年で2,000人輩出 最後の卒業生巣立つ』、2019年3月13日朝刊記事)

[23]経営者が重視するのは素直さや謙虚さなどで、徒弟教育の方式は「見て覚える」で先輩と同じことをして作業を覚えることが要求される。有田窯業大学校では「なぜそうなるのか、追求して答えを出す」産業教育であることから窯大生の立場からは、学校で学んだ方法が使えない職場で働くことは精神的に負担となった。
(上野浩美『伝統工芸産業における徒弟教育と産業教育−有田・窯業の事例研究−』九州大学大学院、2005年)

[24]熟練の教官の指導に従った実技科目からなり、アパレルパタンナー科、レディーステーラリング・ドレーピング科、メンズテーラリング・ドレーピング科、ニット製品の修理・補修科、食料栽培科、庭園管理課、壁画芸術科が学習できる。授業に通い、週に5日仕事をして報酬を受けとる。
(BRUNELLO CUCINELLI『ソロメオ職人学校』)

[25]ブルネロ クチネリの提唱する「人間主義的資本主義」とは、企業が、自然に最大限配慮した製品を、社員の道徳的・倫理的・経済的尊厳が守られる職場環境で作製し、正当な利益を出し、その利益に見合った自然的・社会的貢献を行い、それらとの調和をとりながら会社を運営していくことを目標とする。
(上記[2]同)

[26](竹田英司『佐賀県有田町の稼ぐ力に関する調査研究−2020年度長崎県立大学受託研究成果報告書』長崎県立大学論集(経営学部・地域創造学部)54(3)、長崎県立大学、2020年、37頁)

[27]ブルネロ・クチネリホームページ、Income statement 2009年〜2020年のNet revenuesを参照。
(BRUNELLO CUCINELLI『Financial highlights』)

[28]ブルネロ・クチネリCEOは「労働者の尊厳を損なわない仕事の形」を追い求めてきた。職人は単なる工員ではなく、「アーティストである」との考え方で大切にされている。職人給与はイタリアの一般企業より2割高いが、利益を抑えてでも、仕事に見合った給料を支払うことで、クオリティーは維持され、結果的に企業の成長につながるという考え方である。
(繊研新聞社『ブルネロ・クチネリに見る企業の生き方』、2017年2月13日記事)

[29]「成功の理由のひとつはメイドインイタリーのカシミヤ製品が革新的で現代的であったこと、もうひとつは人間の尊厳哲学的ビジョン、人類に向けたプロジェクトというメッセージが人々に伝わったことでした」
(上記[2]同、128頁)

[30]「私たちの村で成し得たこと、それはとても素晴らしいことだと私には思えます。しかしそれは何も特別なことではなく、イタリア、ヨーロッパ、あるいは世界中の似たような状況でも試せるはずだと確信しています」と語っている」
(Apparelweb.com『ブルネロ・クチネリ−本社のあるソロメオ村修復事業を完成』、2018年9月17日記事)

[31]「真に倫理的な企業を想像してみてください。ポスト・パンデミックの世界において、それは持続可能なビジネスモデルで大成功を収めると思います、これは、私がウイルスから得た最大の気づきの一つです」
(マルクス・ガブリエル著、大野和基編『つながり過ぎた世界の先に』高田亜樹訳、PHP研究所(電子版)、2021年、34頁)

[32](上記[17]同)

[33](小野寺啓治『手仕事のデザイン』今田達(同朋舎出版)、1985年、21頁)

[34](上記[15]同)

参考文献

アネモメトリーNo.32-33『状況をデザインし 好循環を生みだす』京都芸術大学
(確認日:2021年10月15日)

アネモメトリーNo.46『しくみをつくり、まちを動かす』京都芸術大学
(確認日:2021年10月15日)

有田観光協会『ありたさんぽ』
https://www.arita.jp/aritaware/
(確認日:2021年12月29日)

有田町『有田町統計書-令和2年版』
https://www.town.arita.lg.jp/site_files/file/2021/202103//6063b8f9b4b6any6SG7Q9.pdf
(確認日:2021年12月29日)

有田町歴史民俗資料館『有田町歴史民俗資料館東館・有田焼参考館―展示ガイドブック』有田町教育委員会、2013年

有田焼継承プロジェクト編(著)『有田焼百景:有田焼創業400年保存版』ラピュータ、2016年

今泉元佑『陶磁大系21鍋島』下中邦彦(平凡社)、1972年

上野浩美『伝統工芸産業における徒弟教育と産業教育−有田・窯業の事例研究−』九州大学大学院、2005年
https://www.hues.kyushu-u.ac.jp/education/student/pdf/2005/2HE04073M.pdf
(確認日:2021年10月15日)

梅棹忠夫、吉田光邦、米山俊直監修、日本観光文化研究所編『海を渡った日本のやきもの』ぎょうせい、1985年

小野寺啓治『手仕事のデザイン』今田達(同朋舎出版)、1985年

朽見行雄『イタリア職人の国物語』岩田光正(J T B日本交通公社出版事業局)、1995年

後藤洋平『イタリアに持続可能な職人の村-日本も地方に本拠地を』朝日新聞デジタル、2018年11月24日(記事)
https://www.asahi.com/articles/ASLCL5JB1LCLUCVL002.html
(確認日:2021年12月30日)

佐賀県西松浦郡有田町『有田町過疎地域持続的発展計画-令和3年度~令和7年度』、2021年
https://www.town.arita.lg.jp/site_files/file/2021/202110//615cea55ac405mADxhVrL.pdf
(確認日:2021年12月29日)

鈴田由紀夫『明治有田超絶の美』高林祐志(世界文化社)、2015年

繊研新聞社『ブルネロ・クチネリに見る企業の生き方』、2017年2月13日
https://senken.co.jp/posts/brunello-cucinelli-20170101
(確認日:2022年1月15日)

竹田英司『佐賀県有田町の稼ぐ力に関する調査研究−2020年度長崎県立大学受託研究成果報告書』長崎県立大学論集(経営学部・地域創造学部)54(3)、長崎県立大学、2020年
http://hdl.handle.net/10561/1727
(確認日:2021年12月29日)

テリー・イーグルトン著『美のイデオロギー』鈴木聡、藤巻明、新井潤美、後藤和彦訳、紀伊国屋書店、1996年

伝トーク!!実行委員会『場所前 (第1回)・前篇「伝トーク!! 令和二年場所」イントロダクション~産地としての有田の現在とこれから~』
https://www.arita.jp/dentalk2020/
(確認日:2021年10月15日)

伝トーク!!実行委員会『場所前 (第1回)・後篇「伝トーク!! 令和二年場所」イントロダクション~産地としての有田の現在とこれから~』
https://www.arita.jp/dentalk2020/
(確認日:2021年10月15日)

永竹威『カラー日本のやきもの有田3』納屋嘉治(淡交社)、1975年

永竹威『陶磁大系20柿右衛門』下中邦彦(平凡社)、1977年

西日本新聞社『有田窯業大学校、本年度で幕−34年で2,000人輩出 最後の卒業生巣立つ』、2019年3月13日朝刊記事
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/493728/
(確認日:2021年10月15日)

深川正『世界の中の有田―私の東西交渉史』西日本新聞社、1975年

ブルネロ・クチネリ著『人間主義的経営−ソロメオの夢−私の人生と人間のための資本主義』岩崎 春夫訳、クロスメディア・パブリッシング、2021年

マルクス・ガブリエル著『世界史の針が巻き戻る時とき−「新しい実在論」は世界をどう見ているか』大野和基訳、後藤淳一(PHP研究所)、2020年

マルクス・ガブリエル著、大野和基編『つながり過ぎた世界の先に』高田亜樹訳、PHP研究所(電子版)、2021年 

Apparelweb.com『ブルネロ・クチネリ−本社のあるソロメオ村修復事業を完成』、2018年9月17日記事
https://apparel-web.com/news/apparelweb/71623
(確認日:2022年1月15日)

BRUNELLO CUCINELLI『ソロメオ職人学校』
https://www.brunellocucinelli.com/ja/solomeo-school.html
(確認日:2021年10月15日)

BRUNELLO CUCINELLI『甘美な周辺環境』
https://www.brunellocucinelli.com/ja/pleasant-peripheries.html
(確認日:2021年10月15日)

BRUNELLO CUCINELLI『board of directors』
http://investor.brunellocucinelli.com/en/governance/board-of-directors
(確認日:2022年1月15日)

BRUNELLO CUCINELLI『Financial highlights』
http://investor.brunellocucinelli.com/en/financials/financial-highlights
(確認日:2022年1月15日)

【取材】
日程:2022年1月11日12時(コロナ禍のため電話取材)
協力:九州陶磁文化館・館長・鈴田由紀夫氏

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