古から未来へ、薬草の「時」を紡ぐ - 森野旧薬園
1)はじめに
奈良県宇陀市の松山地区に足を踏み入れると、古からの「時」の流れが全身に迫る。水路の心地よい音に歩みを止め、流れを見つめていると、悠久の「時」に溶け込んでいくかのようである。
その町並みの一角に静かに佇む森野旧薬園は、江戸時代中期に創始され、現存するものとしては日本最古の私設植物園である。大正15年(1926年)には、その貴重さと保存に対する意欲が認められ国の文化財史跡に指定されている。(1)
この森野旧薬園の歴史的文化資産としての意義と今後の課題・展望について考察する。
2)歴史的背景
宇陀市松山地区は、周囲を山々に囲まれた辺境の地でありながら、京都や奈良と伊勢を繋ぐ交通の要衝であったため、古くから中央政権の影響を受けて発展し、2006年には重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。(2)『日本書紀』の推古19年(611年)5月条に、「夏五月の五日に、菟田野(※1)に薬猟す。」と記されていることから、聖徳太子が摂政であった時代には、薬となる動植物の狩場として知られており、生き物を育む肥沃な場所であったと推察される。また、この地区の口宇陀と言われる地域(※2)では水銀が採れたため、輝く水銀と共にそこに生育する生き物には薬効がある、という神仙思想(※3)が根付いていたようだ。(3)
町としての形を成すのは、戦国時代に秋山氏が城を築いた頃からで、城下町(阿貴町)として栄えた後、豊臣秀吉の家臣が治めた際に松山町に名前が変わり、その後、近代には郡役所や裁判所が配置されるなど、昭和初期まで賑わいを見せていた。
この松山地区で吉野本葛を創業から450年余り作り続ける「森野吉野葛本舗」の、裏手に広がる傾斜地が森野旧薬園である。享保14年(1729年)8代将軍吉宗(1684~1751年)が、薬種の国産化を目的に採薬調査を実施した際、11代目当主の森野通貞(通称藤助 号賽郭 1690~1767年)は、薬草見習いとして調査に協力した。その功により、幕府から貴重な外国産の種苗6種が下賜され、それらと各地で賽郭が採取した薬草類とを、自宅内の畑地で育成し、野生種の栽培化を図ったのが森野旧薬園の成立とされる。カタクリの根を精製した「かたくり粉」は、幕府に献上している。明治維新以降、西洋薬の輸入によって日本各地にあった薬園の大半は閉園に至ったが、森野家は代々、吉野本葛の家業と薬園の継続に努め、今に至る。
3)植物図譜『松山本草』
江戸時代、宇陀郡を始めとした大和の各地では、農家の副業として防風、地黄、当帰、芍薬といった薬草栽培が盛んに行われていた。その歴史事象を裏付けるひとつが、賽郭自筆の『松山本草』である。『松山本草』は、丁寧な観察に基づいて描写された薬用植物図譜で、門外不出の森野家至宝を、高橋京子氏(※4)が森野家協力の元、全巻電子化し全容を調査したものだ。「草上、草下、蔓草藤、芳草・灌木、山草・湿草・毒草、水草・石草、穀菜、木、鱗虫・禽獣、介」の10巻で構成され、1003種の動植物が詳しく描写されている。植物は地下部の薬用部位まで精密に描かれ、植物名や開花時期も付されているなど、写真や映像の無い時代の資料として大変貴重なものである。また、彩色された図譜は、非常に美しい。その内容は『大和本草』(※5)で薬類項目に分類された植物の80%以上に相当する(4)ことからも、江戸期以降の薬種、薬草栽培が確かに進められていたことが想像される。
4)指定文化財史跡の現状
長崎県島原市小山町の「旧島原藩薬園跡」、鹿児島県肝属郡南大隅町の「佐多旧薬園」、と宇陀の「森野旧薬園」はいずれも国指定史跡である。旧島原藩薬園跡は幕末の島原藩主、松平忠誠(1824-1847年)が雲仙岳眉山の麓である現在地に薬園を開設したもので、佐多旧薬園は島津藩の家老、新納時升(1778-1865年)がリュウガンを植えた後、島津家が経営に努めた薬園である。しかしいずれも明治の廃藩とともに薬園としての経営は終了し、現在は、遺構の復元や、園の開放という形で残っている。
一方、森野旧薬園は、遺構ではない。明治期、他の薬園が廃れていく中でも江戸期からの薬種栽培が連綿と継承されている。いわゆる公的なものに頼らず、私設であったからこそ実現できたのであろう。ほとんど資料などの無い中で、薬種を育て守るのは極めて困難なことで、森野家の覚悟が伺える。激動の時代を経る中で、絶えてしまった種類もあるというが、それでも開園から約300年近くを経た現在、約250種類の薬種が保たれ、当時の姿を残している。
5)評価される点
漢方薬は自然界の植物、動物、鉱物など複数の生薬の組合せから成っており、ピンポイント処方の西洋薬と違って、一つの処方に多くの有効成分を含んでいる。人が本来持っている自然治癒力を体の内側から高め、副作用も少ないため、高齢化社会の治療薬として需要の高い医薬品である。しかしながら、現在、日本で使用されている生薬の約80%は中国からの輸入に頼っており、自給率に至ってはわずか12%にしか満たない。(5) 世界の生薬市場は国連の「生物多様性条約」で規制されおり、各国が資源ナショナリズムとして囲い込みにかかっている(6)のが実情で、今や生薬の安定供給を目指すためには、国産化が必須なのである。ところが、薬種は野生種が多く、生育方法は殆どが未だによくわかっていないのだ。このような状況に於いて、賽郭の『松山本草』は、薬種栽培の資料として極めて貴重であり、他にも、森野家に残る詳細な記録によって時代や事象の確認が可能であること、博物学的な標本が存在すること、森野家が約300年近く維持管理していること、等は薬種栽培の学術的な考察を可能にする(7)、という点に於いて評価される。また、いわゆる一般的な植物園と違って、現在も下草刈りなど人の手によって二次的な自然環境の再現に取り組んでおり、里山的な生物の多様性が維持されている。その種と地に根差した手法を探りながら、自然環境を丁寧に育み次の世代へと繋いでいく、という現代の「SDG‘s」にも通じる行いこそが、長年に及ぶ薬種栽培の継続を可能にしているのである。
6)今後の課題と展望
現在の森野家20代当主、森野智至氏は紙面にて「今後も手入れをしながら次世代へと繋いでいきたい。そしてその為に、日本の古き良き文化を若い方にも認知してもらえるよう努力していく」(8)と述べられている。今までに経験したことのない高齢化を迎えている日本社会では、健康志向への関心は高まる一方であり、それはそのまま漢方薬の需要の高まりとなる。今後も森野家は過去の文献や標本を活かしながら、生薬の安定供給と希少植物の保全を引き続き目指していくであろう。そしてそれを次世代へ継承していくためには、智至氏が述べておられるように、若い世代への働きかけが重要なのだ。宇陀は勿論のこと、県内の薬種栽培地で生産される「大和当帰」は、高い品質を誇り、根には、血流改善、滋養強壮、鎮痛などに効果があるとされてきた。その上、近年では葉にも、ビタミンやミネラルなど様々な栄養成分が豊富に含まれていることが明らかになっている。(9)美容や健康面からのアプローチ、薬草を使った料理のレシピの紹介、薬草の香りによるリラックス効果など、現代社会の中で関心の高い方面からブランド力を引き出し、その情報発信を軸にしながら生薬の活用を広めていく、というのも一つの方向性であろう。地域の宝として町ぐるみの取組みにも有用だ。いかに次の世代が興味を持ち、薬草を手にするか。勿論、関わる人々の努力は必要だが、漢方薬の枠に留まらず、その魅力の多様な展開と共に、森野旧薬園の薬種栽培は後世へと継承されるべきである。
7)まとめ
森野旧薬園が向き合ってきた歴史は、漢方薬の需要に伴って、今後も資料として活かされ、国産化に励む生薬産業の一端を担っていくであろう。そして、薬草を活用したまちおこし事業などの活動へと展開されていく際には、その歴史や文化が幅広い世代に伝えられ、薬種栽培を継承するための新たな発想や気づきが期待される。それは、文化資産的価値を持つだけでなく、薬種活用の広がりなどを通して、培ってきた「歴史」・紡いできた「時」を、発信し続けるということだ。そうして、森野旧薬園は、松山地区の町並みと共に歩んでいく。
資料作成に当たって、大阪大学招へい教授・森野旧薬園顧問相談役 高橋京子教授、および、森野旧薬園顧問 森野様には、ご多忙にもかかわらずご指導、ご協力を賜りましたこと、厚くお礼申し上げます。
-
①宇陀市の位置 筆者作成
②宇陀市へのアクセス 宇陀市HPより https://www.city.uda.nara.jp
③④松山地区へのアクセスおよび地図 宇陀松山観光案内HPより
https://www.city.uda.nara.jp/matsuyama/access.html
⑤町並み案内図 筆者撮影2122年1月4日 -
筆者撮影:2022年1月4日
①森野旧薬園正門
②森野吉野葛本舗 店舗
③家業である葛粉製造の看板、450年前に吉野で製造を始め、1615年に良質の水を求めて大宇陀に移住し現在に至る
④本葛を精製するU字型水槽
⑤森野旧薬園の栞 筆者’22年1月4日入手
⑥森野旧薬園見取図 筆者’22年1月4日入手 -
筆者撮影:2022年1月4日
森野旧薬園入口、園内植物、桃岳庵 -
大阪大学招へい教授・森野旧薬園顧問相談役 高橋京子教授、および
森野旧薬園顧問 森野様より、ご指導、ご協力いただく
参考文献
註
(1) 森野旧薬園 http://morino-kuzu.com/kyuyaku 沿革より
(2) 奈良県歴史文化資源データベース https://www3.pref.nara.jp/ikasu-nara/
(3) 「古代大和は宇陀から始まった」松尾文隆著、㈱奈良新聞社、2011年
(4)(5)(6)(7)「薬草の博物誌」森野旧薬園と江戸の植物図譜、高橋京子著、LIXIL出版、2015年
(8) 「なら産業ジャーナル vol.11」公益財団法人 奈良県地域産業振興センター、2019年3月
(9)「大和当帰葉」パンフレット 一般社団法人 大和ハーブ協会 発行
注釈
※1:宇陀市の一角、宇陀山地西麓、2006年までは菟田野町が存在したが合併により宇陀市となる
※2:宇陀山地の西部に当たるなだらかな小丘陵地域、 榛原、松山、古市場などの小盆地
※3:中国の思想、水銀を口にすれば身軽になって天に昇れる、長生きができる、という思想
※4:大阪大学、総合学術博物館、招聘教授
※5:貝原益軒(1630-1714)が編纂した本草書。本草とは薬用植物についての学問
参考文献
「薬草の博物誌」森野旧薬園と江戸の植物図譜、高橋京子著、LIXIL出版、2015年
「古代大和は宇陀から始まった」松尾文隆著、㈱奈良新聞社、2011年
「森野旧薬園と松山本草‐薬草のタイムカプセル」高橋京子著、吹田:大阪大学出版会、
2012年
参考資料
奈良県歴史文化資源データベース https://www3.pref.nara.jp/ikasu-nara/
森野旧薬園 http://morino-kuzu.com/kyuyaku
宇陀市 https://www.city.uda.nara.jp
宇陀市松山地区観光案内 https://aknv.city.uda.nara.jp/matsuyama
島原市 旧島原藩薬園跡 https://www.city.shimabara.lg.jp/page936.html
鹿児島市 佐多旧薬園 https://www.kagoshima-kankou.com
(以上、2021年11月~12月閲覧)
「大和当帰葉」パンフレット 一般社団法人 大和ハーブ協会 発行