和歌山市雑賀崎の旧正月行事が伝えるもの

粂 浩子

1.はじめに
 和歌山市は、紀伊半島の北西の端、瀬戸内海に注ぐ紀ノ川の河口に開かれた地域で、雑賀崎はその和歌山市の南西の端にある小さな漁師町である。海に突き出した断崖の地形と点在する小さな島々など、瀬戸内海国立公園に指定されている海岸線が美しい。
 雑賀崎では旧正月を祝う。我が国が新暦を採用しておよそ150年、生活全般が新暦に倣っているにも関わらず今に伝えている。
 当地の旧正月は、どのように継承されてきたのか、暮らしや生業、信仰を端として検証し、今後の行方を考察する。

2.地域の概況
 雑賀崎地区は和歌浦湾に面する標高60mほどの岬にあり、漁港を見下ろす南斜面に民家がぎっしりと建てられている[写真1]。
人口は、平成27年の国勢調査で599世帯1278人、65才以上が45%を占める超高齢の地区である(*1)。漁業経営体は44体で、平成10年に比べおよそ半数になっている(*2)。

3.暮らし
(1)生業
 古来、雑賀崎は小型船の「一本釣漁法」で栄え、大正6年ごろには、九州から関東まで移動する数か月に及ぶ「旅漁」をした(*3)。長期の出漁の間、船上で食事や寝泊まりし、魚の販売や給水のために立ち寄る港では、旅先の住民とも親しくし、海を介した他地域との交流は盛んであった(*4)。今は底引き網漁が中心で近海での操業である。

(2)地区内のコミュニティ
 先祖を敬う信仰と共同する暮らし方が当地のコミュニティの根底にある。
 旅漁で遠くへ出かけていても、旧正月、3月の節句などには必ず帰り(*5)、彼岸には漁を休む。現在も漁師を中心に地域の行事が受け継がれている。
 この地区には昭和30年ごろまで「若衆宿」があった。宿仲間は「連中」と呼んで、親兄弟よりも親しい。宿親からはお経の唱え方や漁のコツなど、生活の一切を教わった(*6)。ここで共同という暮らし方が身に付け、引き継がれてきたものと考える。
 
(3)地形と閉そく感
 1983年に雑賀崎隧道が開通するまで、地区外との往来は標高60mほどの岬の尾根を巡る県道(大正15年設置)に接続する細い道路が一本あるだけで、大型車の通行はできず大きな荷物は船で運搬した。
 人的な交流も少なく、かつてほぼ全世帯が世帯主、妻とも地区内出身者で占められていた(*7)。婚姻をきっかけに他地域の習慣や文化が流入することもほぼ無かったと考えられる。

4.旧正月
(1)雑賀崎の正月 [資料1]
 雑賀崎は漁師を中心に旧正月を祝う。
 旧暦の大晦日には、漁船に大漁旗を掲げ、3段の鏡餅を飾って正月準備をする。大晦日、漁師は船に正月の準備をしてから衣美須神社へ参拝し、「一年の無事を感謝し、‘神様’に社殿へ戻り、休んでいただく(*8)」のである。注連縄や松飾りはせず、除夜の鐘撞もない。
 元日は、まず檀那寺である極楽寺へ初詣にでかける。朝6時から鐘撞が始まり、男性は着物で羽織をはおる。参詣者おのおのが鐘を突いたあと、7時から正月の勤めが始まる。
 先祖への畏敬の念が強く、常の暮らしの中でも寺の行事は優先される。なお、寺の行事では旧正月だけが旧暦で行われる。
 翌二日は、お供えのお神酒、洗い米、鮮魚(鯛やエビ)を盆に乗せて衣美須神社へ詣で、白い紙へ包んだ賽銭を供え、新たな一年の無事と大漁を祈る。神社に参詣のあと、漁船へ向かう。「‘神様’を船にお連れする(*9)」のである。
 漁港では露店が出て子どもたちで賑わう。かつては雑賀崎小学校も臨時で休みになった。昨今では漁師も減り、サラリーマン所帯が増えてきたので、極楽寺では、新正月の1日、2日も同様に祝う。雑賀崎では正月が2回あり、子どもたちはお年玉を2回もらえる。
 
(2)隣接する地区・田野浦 [資料2]
 ①田野浦の概況
 雑賀崎から2キロほどしか離れていない田野浦も、同様に海を見下ろしながら南斜面に沿って家が立ち並ぶ。人口626人、252世帯(H27国勢調査)で、世帯数は雑賀崎地区の約半分ほどである。
 田野浦の漁業は底曳き網漁が主体である。平成10年には漁業経営体が36体、漁船40隻あったものが、平成30年には漁業経営体数は6体、漁船6隻にまで減少している(*2)。

 ②田野浦の正月は新暦
 雑賀崎にほぼ隣接しているにもかかわらず、田野浦は新暦の正月を祝う。新暦の大晦日から正月6日ごろまで、漁船に大漁旗を揚げ、衣美須神社(田野浦)へ詣でる。新暦大晦日の夜、神社の総代や世話人は参詣する人にお神酒をふるまう。妙楽寺での正月行事はない。家には鏡餅を飾り、門扉に注連縄飾りを飾る。元もと田野浦は商売や会社勤めの所帯が多く、新暦の方が生活に馴染みやすかったと考えられる。

(3)沖縄県の旧正月
 沖縄県では1960年代ごろに興った「新正月運動」で、旧正月を祝う地域が少なくなったが、糸満市、うるま市浜比嘉島、伊良部町、知念村久高町、竹富町黒島など漁業を中心とする地域では旧正月が主流である(*10)。各地のweb情報などを眺めると、大漁旗を揚げたり正月飾りをしている様子が見られる。

5.旧暦と漁業
 漁師は“天気をよむ”ことが重要である。漁の成果や航海の安全に直結するからである。旧暦は潮の満ち引きや自然の気候に強く関わっている暦であり、天候に左右される仕事には生活に根ざしてきた。旧正月までは、海水温が低く魚が獲れないうえ、風が強く出漁できない日が続く。旧正月前後を休漁時期とすれば、自然に抗うことなく、生業と生活が成り立つ。
 では、漁港が全て旧正月ではないのはなぜか。
 漁業は、漁船の大型化と網漁の普及、魚群探知機やGPS、気象情報などの新しい技術が導入され、かつてほども旧暦の知恵を必要としなくなったことで、旧暦へのこだわりは少なくなったものと考える。
 さらに、獲ってきた魚を効率よく販売するには、消費者の新暦の生活スタイルに合わせることは必然である。漁師町も新暦で暮らすことは全く不自然でない。漁は旧暦で、生活は新暦でと、柔軟に両方の暦を使い分けている。
 
6.今後の展望
 雑賀崎隧道が開通してからは来訪者も増えた。漁船上からの鮮魚の直売は評判がよく、休日と重なると漁港内は他府県からもやってくる大勢の買い物客で賑わう[写真2]。
 一方、町内は空き家が目立つ。これらを再生させて活用しようとする動きもでてきた。2020年6月、公設(和歌山市)民営の「地域交流施設Gatto blu (ガットブル)」が新設された。地区住民が主となる自治会館などとは異なり、来訪者との交流を目的とした公設の施設は初めてである[写真3]。地元小学生が作成したタイルを掲示する[資料2⑦]など、地元住民に親しまれることにも工夫を凝らしている[写真4]。
 雑賀崎は時代の流れを察知しながら、新しく入ってくる文化とこれまでの暮らしをうまく融合させ、柔軟に進化している。

7.まとめ
 雑賀崎が旧正月を繋いできたのは、先祖を敬う信仰心で寺社の行事を重んじることと、先達が体得してきた仲間意識にあると考える。「連中」は「親友」とも少し違うが、この地域の高齢者には拠とでもいえよう。この地に暮らす住民としての先祖崇拝が極楽寺へ、安全と大漁という漁師ならではの祈りが衣美須神社へと向かわせる。旧正月行事は信仰心と仲間意識が繋いでいるのである。
 時代の変遷とともに漁師町の暮らしも変化してきた。また、高齢化でかつての慣習も続けることが難しくなり、コミュニティも希薄になろうとしている。しかし、雑賀崎はこれまでの暮らしを守り継ぎながら、進取を遂げる逞しさを持ち合わせている漁師町である。
 この地区で継承される旧正月は、暮らしや信仰、生業などの歴史の積み重ねが凝縮されたこの地の歴史の象徴である。今後も、旧正月行事は次世代へ受け継がれていくだろう。

  • 1 [写真1]雑賀崎全景(2020年2月28日、筆者撮影)
  • 2 [写真2] 雑賀崎漁港直売風景(2020年11月15日、筆者撮影)
  • DSC_2319 [写真3] ガットブル中庭(2020年11月26日、筆者撮影)
  • 4_%ef%bc%bb%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%91%ef%bc%bd%e9%9b%91%e8%b3%80%e5%b4%8e%e3%81%ae%e6%97%a7%e6%ad%a3%e6%9c%88%ef%bc%88%e5%a4%a7%e6%bc%81%e6%97%97%e3%81%a8%e8%a1%a3%e7%be%8e%e9%a0%88%e7%a5%9e%e7%a4%be [資料1] 雑賀崎の旧正月~大漁旗と衣美須神社~(筆者作成)
  • 5_%e5%b7%ae%e6%9b%bf_%ef%bc%bb%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%92%ef%bc%bd%e9%9b%91%e8%b3%80%e5%b4%8e%e3%81%a8%e7%94%b0%e9%87%8e%e6%b5%a6%e3%81%ae%e4%bd%8d%e7%bd%ae_page-0001 [資料2] 雑賀崎、田野浦位置(筆者作成)

参考文献


(*1)平成27年国勢調査和歌山市地区別人口
昭和50年の国勢調査の地区別人口で雑賀崎地区は869世帯2651人。平成27年は599世帯1278人、65才以上の高齢者は578人。田野地区は平成27年252世帯626人。
http://www.city.wakayama.wakayama.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/001/023/tikubetusetaisuujinkou.pdf
(*2)2018年漁業センサス 経営組織別経営体数表 和歌山県
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/020300/sensasu/d00203061.html
(*3)和歌山市史第8巻506頁
(*4)高野山大学社会学研究室・財団法人和歌山社会経済研究所編『和歌山市雑賀崎地区調査報告書(以下調査報告書と記載する。)』平成4年11月1日 22頁
(*5)調査報告書41頁
(*6)調査報告書44頁
(*7)調査報告書6頁
(*8)(*9)[資料1]寺井氏談
(*10)高良勉著『沖縄生活誌』岩波新書、2005年

参考文献
野村朋弘編『伝統を読みなおす2 暮らしに息づく伝承文化』、藝術学舎、2014年
松村賢治著『旧暦と暮らす スローライフの知恵ごよみ』文春文庫、2010年
高良勉著『沖縄生活誌』岩波新書、2005年
平山昇著『初詣の社会史―鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム』、一般財団法人東京大学出版会、2015年
地井昭雄著『漁師はなぜ、海を向いて住むのか?―漁村・集住・海廊』、工作舎、」2012年

Web参照
「漁師のおいやんが作るサイト はまかぜ通信 旧正月のこと」
http://www1.odn.ne.jp/~cdz95680/kyusyo.html  (2021年1月18日最終閲覧)

和歌山県神社庁公式ホームページ
http://wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=1043 (2021年1月18日最終閲覧)

和歌山市記者発表資料<雑賀崎の古民家を活用した地域交流施設「Gatto blu」がオープンします>令和2年5月28日和歌山市企画課
http://www.city.wakayama.wakayama.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/029/124/20200528-1.pdf (2020年10月27日閲覧)

和歌山県ふるさとアーカイブ「雑賀崎のハナフリ」
https://wave.pref.wakayama.lg.jp/bunka-archive/matsuri/hanahuri.html (2021年1月18日最終閲覧)
雑賀崎には彼岸に先祖が還ってくるという信仰に重ねた「ハナフリ」という口承があり、彼岸には漁を休み、ハナフリを見ようと連れ立って海岸に遊びに出向く。

浜比嘉島で初拝み 旧正月、繁栄願う(琉球新報 2016年2月9日)
https://ryukyushimpo.jp/movie/entry-218406.html (2021年1月26日最終閲覧)

新年を祝う「旧正月」(糸満市ホームページ)
http://www.city.itoman.lg.jp/docs/2018021600022/  (2021年1月26日最終閲覧)

離島総合情報サイト 沖縄のしまじま 久高島(沖縄県ホームページ)
https://www.pref.okinawa.jp/chiiki_ritou/simajima/06kudaka.htm (2021年1月26日最終閲覧)

黒島 旧正月の大綱引き(竹富町ホームページ)
https://www.town.taketomi.lg.jp/calendar/1573188178/ (2021年1月26日最終閲覧)

和歌山市わが街ガイド(白地図)和歌山市ホームページ(和歌山市情報システム課に使用許諾確認) より 筆者 トレース
https://www2.wagmap.jp/wakayamacity/Map

取材協力
*ガットブル運営責任者・オーナー 山平氏 2020年11月26日
*和歌山市企画課 山本氏 2020年11月27日
*極楽寺 大院主 伊井氏73才 2021年1月20日
*雑賀崎金栄丸船長・漁師(「漁師のおいやんが作るサイト はまかぜ通信」の管理者) 寺井氏65歳
*25歳まで雑賀崎在住 K氏 61才 2020年11月26日
*30歳まで田野浦在住 T氏 56才 2021年1月24日
*財団法人和歌山社会経済研究所 T氏 2020年8月17日

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