西宮・宮水がもたらした醸造と生活の文化について
1、はじめに
大阪から神戸までの阪神間の真ん中あたりにある西宮。「宮水」は西宮の一部の地域でのみ湧出することからその名が付き、また、その一帯は宮水地帯と呼ばれる。日本酒を醸すにあたり最適と言われる水は、酒や食の文化を発展させたのは言うまでもなく、この地域特有の文化を形成する元にもなった。小論では、宮水とともにつながれてきた西宮の醸造文化と、そこから派生したものにも注目し評価報告を行うことにする。
2、基本データ
[宮水地帯]
兵庫県西宮市鞍掛町、久保町、石在町、東町(およそ500m四方)[註1]
[宮水の成分について]
硬度 175〜180mg/L
リン、カルシウム、カリウムが多く、適度な塩分も含む。リン、カリウムなどのミネラル分は麹菌や酵母の繁殖を助け、カルシウムは麹による酵素作用を高める働きがある。ミネラル分は多いが鉄分は少ないのも特徴である。鉄分は着色や匂いの原因となり酒質を悪くする。日本の醸造用水の中では最も硬度が高い。名水100選にも選ばれている。[註2]
3、歴史背景
難波、平城、平安といった、かつてのどの都にも近く、西国から都までの道のりでは水路でも陸路でも西宮を横切ることとなる。こうした理由からこの地域では古くから貴族や社寺の荘園が発達した。
室町時代にはすでに酒造りは始まっていたが[註3]、宮水の発見まではこの地帯で醸される酒が美味しい理由はわかっていなかった。また、江戸時代初め頃までは西宮より伊丹・池田がこの辺りの酒の主な産地であった。
1840年、桜政宗の6代目当主・山邑太左衛門によって宮水が発見される。山邑は魚崎と西宮の蔵で造られた酒の違いについて調べるため、様々な試験醸造を試みていた。結果、西宮の蔵で使う仕込み水を魚崎で使うことで同品質の酒を造ることに成功し、これが宮水の発見となる。夏が過ぎても火落ちしない[註4]酒は江戸で大評判となり、杉樽に詰められた酒は江戸に大量に運ばれていった。
明治、大正時代、木造だった蔵はレンガ造りへ建て直され[註5]、蒸気力や石炭が使われるようになると酒造りは一気に近代化されていく。資本主義の発展と国内経済の成長に伴い、この地域の酒造業は更に大きく成長したのだった。
昭和に入ると、世界恐慌、第二次世界大戦により大打撃を受け、空襲により多くの蔵が失われてしまった。それでも戦後の復興を目指し、合理化、構造改革を行い、この地域には再び活気が戻ってきたのであった。
平成7年、阪神淡路大震災により、戦災を逃れた白壁土蔵造りやレンガ造りの蔵の多くは崩壊してしまった。また、消費者の日本酒離れもあり、生産量は大きく低迷することとなった。
4、考察及び評価
[酒・醸造について]
言うまでもなく、宮水が大きく影響を及ぼしたのは酒・醸造文化である。これは西宮だけでなく、日本の酒文化全体に関わっていると言っても過言ではないだろう。阪神間の酒どころは灘五郷と呼ばれ[註6]、西宮もそのうちの一つで西宮郷と呼ばれている。宮水地帯を中心に10の蔵があり、白鹿、白鷹、日本盛など日本酒を飲まない人でも知っているほどの大手も含まれる。
宮水で仕込んだ酒は酸の強いキレのある辛口に仕上がる。これは、宮水に含まれる成分により酵素や酵母が健やかに育つ状態となり、短い期間で発酵、アルコール生成ができるからである。また、安全かつ活発に発酵が行われると、品質を落とす原因となる火落ち菌などの雑菌が繁殖する隙を与えない。夏をすぎても西宮の酒が美味と言われたのは、宮水の成分ありきなのである。
近年、日本酒自体の消費量が落ちてきている上、個性や希少さに価値を求めた地酒ブームもあり、宮水地帯の酒蔵の売り上げは右肩上がりとは決して言えない。しかし、大手ならではこその、研究、分析力などを生かし、日本酒の新しい楽しみ方を次々発信している。料理とのペアリング、日本酒を使ったカクテルの考案や、温度など品質管理の難しい生酒[註7]を缶ボトリングしての製品化など、日本酒の新しい可能性を探っている。
[日本酒から派生した地域文化について]
残念ながら、大震災にて多くの古い建物は倒壊してしまい、現存する蔵は工場的な雰囲気になってしまっている。しかし、宮水発祥の地、宮水庭園などの整備、酒造りやこの地域の歴史などについて書かれた案内板や地図が町中に設置され、各酒造メーカーの資料館、アンテナショップなど、日本酒ファンだけでなく発酵や歴史に興味がある人も楽しめる町づくりがなされている。蔵元に下げられている杉玉や、蔵開きなどの催し、新酒、秋あがりなどの酒の出来上がりを知らせるのぼり旗や看板などによって季節を感じることもできる。これらは、酒蔵の力だけではなく、観光協会や鉄道会社とも協力がなされ、「酒文化の町」としての地域PRがなされている。
日本酒と言うと和のイメージだが、宮水地帯を含む阪神間の洋風文化には明治大正時代の醸造家たちによるところも大きい。醸造家を含む、この地域に住む実業家たちによって成立された独自のライフスタイルは「阪神間モダニズム」と呼ばれ、その様式は街を彩る。今も残る当時の建築物などは重要文化財に指定されている。
この時代の醸造家たちは教育への関心も高く、私立の学校の設立もなされている。美術品などの所蔵も多く、美術館や博物館の設立にも一役買っている。現在の西宮市は文教地区であるのだが、地域の教育や芸術への関心の高さは、かつての醸造家たちの残したものによるところが大きい。
近年、発酵食品ブームがあり、酒粕や麹、甘酒などが注目されている。この地域ではブーム以前より酒由来発酵食品が暮らしに根付いている。上槽の時期[註8]になると町のスーパーでは様々な蔵の酒粕が並び、粕汁や甘酒などを楽しむ家庭も多い。また、アンテナショップや酒イベントなどでは、これらの発酵食品を使った飲み物やスイーツなどが提案されており、また、近隣の和洋菓子店でも酒蔵とのコラボレーション商品なども見かけることができる。
5、京都・伏見について
日本各地に酒どころと呼ばれる地域は数あるが、その中でも京都・伏見について比較することにする。「灘の男酒、伏見の女酒」と対比されており、ありきたりな感もあるが「水」から派生した酒や地域文化を考えるにあたって、伏見以上に適した地域は見つからなかった。
「伏水」と呼ばれる水は甘やかさのある、宮水に比べると軟らかい中硬水である[註9]。宮水仕込みよりもゆっくりと発酵し、きめ細やかで口当たり滑らかな仕上がりの酒は、京の繊細な料理によく合う。
この辺りでは大手、中小メーカー合わせて20以上もの酒蔵が存在する。最近では日本酒だけでなく、地ビールなどが作られたり、観光施設で色々な蔵の利き酒ができるようにしたりと、酒造組合全体で醸造文化と地域の活性化を目指した新しい試みを行なっている。長屋や古い建物、伏見桃山城、伏見稲成大社など近くに観光資源も多く、震災にて歴史的建造物が消失してしまった宮水地帯に比べると、歴史と醸造文化との繋がりが目に見えやすい地域である。
6、おわりに
西宮では宮水がもたらした酒文化を源流に、その時代ごとに少しずつ様々な文化が形成されてきた。酒づくりだけでなく、酒造メーカーだけでなく、それを他につなげるための新しい試み。和の日本酒に洋の建築、料理やお菓子などを合わせるアイデアや柔軟性。歴史を守っていくだけではなく、新しいもの、違うジャンルのものも取り入れ伝統と掛け合わせてつないできたのが、この地域文化の特徴である。
日本酒業界の状況は決して楽なものではない。特に西宮は、伏見のような酒造りと歴史のつながりがはっきり見える街並みも失われてしまっている。しかし、宮水地帯を中心としたこの地域では、幾度となくあった危機の度、新しいものを取り入れつつ、また時代のニーズに合わせ乗り越えてきた。太古より流れる水脈を守り、その都度しなやかに変化しつつ先の時代へとつなげる。宮水をもとに生まれたものが、これからも我々の暮らしを豊かにしてくれることに期待をする。
- 宮水発祥の地。この碑のすぐ近くにある「梅の木井戸」から汲まれた水を使い、山邑太左衛門は試験醸造を行った。結果、宮水が特別であることが判明した。(2019年10月筆者撮影)
- 宮水庭園。白鹿、白鷹、大関の三メーカーによって管理、提供されている。近隣には灘五郷の酒メーカーの宮水井戸が多く点在している。イベント時などのぞき、中への立ち入りはできない。歩道からも見やすいようにワイヤーを使用したフェンスにて区切られている。兵庫県街並み賞、西宮市景観賞を受賞。(2019年10月筆者撮影)
- 阪神間地図と阪神西宮駅から酒蔵通り周辺地図。どちらも駅やアンテナショップなどで手に入る。(2020年1月筆者撮影) 非掲載
- 白鹿で知られる辰馬本家酒造の分家である辰馬喜十郎の自邸として建てられた館。日本建築の技術をベースにした擬洋風建築。(2019年12月筆者撮影)
- 駅や酒販店、アンテナショップなどで手に入る酒関連のパンフレット。女性向けに、日本酒についてわかりやすく書かれたものや、一年を通して行われるイベントの案内など。西宮の蔵元の酒を味わい別に分類した表などもあり、日本酒ビギナーから呑兵衛まで楽しめるよう、様々なものが発行されている。(2019年12月筆者撮影) 非掲載
参考文献
[註1]「えべっさん」で知られる西宮神社の南東側。この地帯では、夙川を起源とする「戎伏流」、かつては海であった地域を流れる「札場筋伏流」「法安寺伏流」の三つの伏流水があり、これらが絶妙にブレンドされ湧出したものが宮水となる。宮水地帯には約30の井戸場があり、70本ほどの井戸が掘られている。地下2〜5メートルと浅い場所を流れているため、環境による影響も受けやすく、1954年より「宮水保存調査会」により地下水脈の保全が行われている。
[註2]水の硬度はカルシウムイオンとマグネシウムイオンの含有量によって決まる。ドイツ硬度1度で水1立方mに対し酸化カルシウムが10g含まれる(酸化マグネシウムは酸化カルシウムに換算する)。戎伏流は酸素を多く含み、札場筋伏流、法安寺伏流は海であった土壌の影響でカリウムやリンなどのミネラルを多く含んでいる。酸素は水中の鉄分と結びつき酸化鉄となり沈殿、除去させる。一般的な日本の水には0.02ppm程の鉄分が含まれているのに対し、宮水は0.001ppmと非常に少ない。
[註3]室町時代の公卿、古典学者である一条兼良による『尺素往来』や『公事根源』に西宮の酒について「旨酒」とする記載があることから、この頃にはすでに西宮での酒造は始まっていたと考えられている。
[註4]火落ちとは、日本酒が貯蔵中に「火落ち菌」により白濁してしまう状態である。酸化し、臭みも発生し、酒質を非常に悪くしてしまう要因となる。火落ち菌は乳酸菌の一種である。
[註5]大量の酒米を蒸す作業のある酒造では、火事が発生することが度々あった。木造からレンガ造りへと建て替えることは、火事による蔵の焼失対策にもなった。
[註6]兵庫県神戸市灘区、東灘区と西宮市の沿海5つの地域。西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷で灘五郷となる。この地域だけで、全国のおよそ三割の酒を出荷している。
[註7]通常、日本酒は加熱殺菌処理である「火入れ」という作業を行い、火落ちするのを防ぐ。その作業をしないままのものを「生酒」という。フレッシュでみずみずしく、香も華やかで繊細さがある生酒だが、そのままでは火落ちの危険性や、酵素や酵母が生きたままの状態なので、常温保存では発酵が進み酒質が変化してしまう。よって生酒は低温での保存、流通が必須となり、火入れ酒よりも取り扱いが難しくなる。
[註8]麹や米、水などを混ぜアルコール発酵させた「もろみ」を絞り、できた液体が日本酒である。上槽とは、この絞る作業のこと。新酒の時期から酒粕も出来上がるということになる。
[註9]良質な伏流水が豊富なことから、伏見はかつて「伏水」と書かれていた。宮水よりも硬度は低めだが、カリウム、カルシウムなどをバランスよく含んだ口当たりの良い柔らかい水である。
神崎宣武著『酒の日本文化』、角川書店、1991年
酒文化研究所編『酒と水の話〜マザーウォーター』、紀伊國屋書店、2003年
前川季義著『米と水と技〜兵庫の酒』醸界通信社、1996年
吉田元著『近代日本の酒づくり〜美酒探究の技術史』岩波書店、2013年
森本隆男、矢倉伸太郎編『転換期の日本酒メーカー〜灘五郷を中心として〜』森本書店、1998年
読売新聞阪神支局編『宮水物語〜灘五郷の歴史』中外書房、1966年
NIKKEI STYLE 兵庫・灘の酒、キレの秘密は奇跡の「宮水」https://style.nikkei.com/article/DGXNASIH0400L_W4A300C1AA1P00/ (2019年11月閲覧)
環境省選定名水百選 https://water-pub.env.go.jp/water-pub/mizu-site/meisui/data/index.asp?info=57
(2019年11月閲覧)
西宮観光協会 https://nishinomiya-kanko.jp/(2019年11月閲覧)
灘酒研究会 http://www.nada-ken.com/main/(2019年11月閲覧)
白鹿 HAKUSHIKA 辰馬本家酒造株式会社 https://www.hakushika.co.jp/(2020年1月閲覧)
月桂冠 お酒の博物誌 https://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/kyotofushimi/water/water01.html(2020年1月閲覧)