江戸の面影を探して ー復活した「川越唐桟(かわごえとうざん)」をめぐる活動ー

鏑木 さかえ

はじめに
埼玉県南西部にある川越市[1](資料1)。「小江戸(こえど)」[2]と呼ばれる、蔵造りの町並みを目当てに多くの観光客が訪れている。古くから城下町として栄え、また江戸時代には舟運や街道によって江戸文化と結びつき、商業の町としても大きく発展した。幕末明治期の川越商人がプロデュースした「川越唐桟」という織物も、江戸と結びついた文化のひとつである。本稿では「川越唐桟手織りの会」の活動について考察し、文化資産として継承される川越唐桟を巡った活動の報告と今後の展望を示す。

1.川越唐桟手織りの会と川越唐桟とは
川越唐桟手織りの会とは、手織りによる川越唐桟を現代に復活させ、草木染めと手織りの技術の継承を目標とした市民団体である。地元住民を中心とした約30名が、6台の織機が置かれる川越市立博物館に集まり、活動している、週1回の全体活動日は、ほぼ全員参加であるという。結成以来三十年、マンネリ化防止の為、毎年小グループごとに活動計画が話し合われ、自主的な勉強会の開催の他、会報を通じた情報共有など、非常に工夫された活動内容となっている。
そもそも川越唐桟とは、川越の織物商人・中島久平が、江戸幕末の開国を機に、英国製の極細紡績綿糸を買い付け、江戸町人の憧れであった「唐桟」[3]を真似て機屋(はたや)に織らせ、「川越」のブランド[4]を付けて売りだしたものである。欧州製の化学染料の色糸と藍染糸の粋(いき)な色使いや、滑らかで絹のような木綿の肌触りが「川唐(かわとう)」と愛称がつくほど、江戸っ子の間で評判となった。[5](資料1)。川越は江戸の最新ファッションを生み出し、織物がもたらした富によって、「商都・川越」が誕生したのである。手織りの会が「川越唐桟」と誇るのは、この江戸文化と川越が結びついて生み出されたデザインであることに起因する。
しかしこの川越唐桟のブームは、明治30年代頃までで、その後、化学繊維の台頭や機械化による産業構造の変化により、家内制生産であった川越唐棧は、昭和初期には消滅してしまった。

2.川越唐桟復活と手織りの会誕生の背景
川越唐桟のシックで粋な縞模様は、重厚な蔵の町に調和するといえよう。
川越唐桟の復活は、昭和の後期に、蔵造りの町並みの再生[6](資料1)に取り組む「川越蔵の会」が仕掛けた文化再興の活動の中で提唱されたものである。
その復活の流れは二つある。ひとつは蔵の会の井上浩氏[7]が、商家の蔵に残っていた着物や切れ端を見本に、埼玉県入間市の町工場・西村織物に、機械織による復元を依頼したもの、そしてもう一つが、川越唐桟手織りの会による復活である。この会は、井上氏の講演会[8]を機に結成された「川越唐桟愛好会」の手織り部が、1989年に分会・独立したのが始まりである。
幕末・明治期の川越唐桟は、短期間のブームに終わり「極細綿糸の引きそろえによる縞木綿」という特色の他は、明文化された定義もなく[9]、その復元は容易ではなかったと思われる。それゆえ復活の背景には、川越の文化を愛する人々の並々ならぬ熱意があったといえる。

3.「川越唐桟手織りの会」の活動の評価
この会は、殆どが未経験者からのスタートであり、川越唐桟の販売や職人養成の場ではない。つまり、手織りによって復元された川越唐桟(モノ)を評価するというよりは、「手織りによる川越唐桟に取り組む活動」という(コト)に対して評価するべきだと考える。

この活動の中で特筆されるのは、博物館でのボランティア活動についてである。当番制による日曜日の機織り(はたおり)体験の他、毎週木曜日の全体活動日でも、博物館の要請があれば、自分たちの活動を置いて、小学生の校外学習やシニア大学などの団体見学を受け入れている(資料4)。そこで配布される、会の手作りの解説資料や作品の展示、活動記録である『平成の川越唐桟』[10](資料5)などが、見学者に対して川越唐桟の文化の理解と普及に役立っている。
こうした取り組みは、特定の指導者を持たない中、「会員皆平等」[11]という精神を貫き、川越唐桟の文化継承を意識しながら、個々の個性を活かした、円滑なコミュニティ運営が出来ている会の特性に因るものと考える。
しかしこのような協力があるものの、博物館にとっては「博物館同好会のひとつ」という位置づけであり[12]、川越唐桟の常設の展示や解説は無い[13]。また1990年に建てられた川越市立博物館は、観光の中心の蔵造り商店街の町並みから離れた場所にあり、そこまで足を伸ばす観光客は少ない。手織りの会は、活動日以外は外部との接触が無いため、私たちが目的を持って博物館を訪れない限り、その活動を知ることは難しい。
さらに手織りの会へのアンケート[14]では、ボランティア活動については現状のままでよいとする意見が最も多く、会員の会の活動に対する満足度も高い。このことは、会の活動の普及という視点からすれば、問題のひとつに挙げられるだろう。

4.国内外の他の同様の事例との比較ー機械織による復活・西村織物の活動との比較ー
西村織物[15](資料2)の西村芳明氏は、手織りの会の結成当初は糸の提供や技術指導にも協力していたという。西村織物と手織りの会との大きな違いは、川越唐桟を流通品として成立させたこと、私たち消費者が実際に手にすることを可能にしたことにある。現在では、西村織物の製品は、観光ポスターやバック、ストールなどの土産物にも展開され(資料1および5)、観光客などが川越唐桟を知るよいきっかけを作っている。手織りの会の活動が博物館内の活動に集約される中、川越唐桟の普及について西村織物の果たしてきた役割は大きいといえる。
しかし製糸機械技術の進んだ現代では、川越唐桟の品質の特性だけを伝えるのは難しい(資料4)。一方で、手織りの会の伝統的な手織り織機(資料3)が設置された博物館での活動は、川越唐桟の文化の背景を伝える手段として有効である。
埼玉県入間市にある西村織物は、生産地という位置づけであり、復活から三十年以上が経過し、川越との関係は次第に希薄になってしまった[16]。現在は後継者も無く、工場も取り壊されている。織りためた在庫は充分あるというが[17]、個人に頼った生産には限界があるのは明白である。コミュニティによる施策も無いまま、一人の活動に完結してしまったのは、残念なことである。

5.問題解決の為の提案と今後の展望
復活した川越唐桟が地域力活用の手段として注目されるものの[18]、地元住民でさえ、その存在を知らない人も多い。西村織物の市場供給の不安に際し、川越唐桟を伝えていこうとする、丁寧な手織りの会の活動には、大きな期待が寄せられる。手織りの会の課題である博物館の中で完結してしまいがちな活動を、どのように社会と繋げるか?それには多くの人に川越唐桟を知ってもらうきっかけを作ること、川越唐桟を立体的な体験として地域で共有し、暮らしのレベルにまで浸透させことが有効と考える。

近年では「川越きものの日」[19]の成果もあり、着物姿で川越散策を楽しむ観光客も多い(資料6)。そこで蔵造り商店街主催の「江戸の日」のイベント実例[20](資料6)から、レンタル店[21]が協力し、川越唐棧だけに特化した「川越唐桟の日」の実施を提案する。蔵造りの町並みに相応しい、粋で軽快な川越唐桟は、老若男女問わず楽しめる。また商店街側も川越唐棧の半纏やエプロンの着用に協力などすれば、町全体で小江戸川越の世界観が体感でき、大きな話題となるだろう。さらに川越唐桟を着て、手織りの会のワークショップが博物館で開催されれば、より立体的な普及に繋がるだろう。

こうした川越観光と結びついたイベントがあれば、多くの人が参加でき、SNSなどを通じて瞬時に情報の拡散も可能である。しかし根拠のないイベントを仕掛けただけでは、一過性のブームになりかねない。博物館という公共の場所を利用した「川越唐棧手織りの会」の取り組みは、川越唐桟と地域とを結びつける実践的な学習に役立つといえる。またこの活動が、広く社会と双方向的な関係を保つためには、博物館が主体となって常設展示・保存する支援も必要であろう。
今後、市民活動の中から復活を遂げた川越唐桟が、ここにしかない固有の文化資産として共有され、地域社会の暮らしの中へ継承されていくことを期待する。

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    川越市立博物館及び蔵造り商店街周辺 2018年6月~2019年7月 全て著者撮影
  • %e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%91%e6%a6%82%e8%a6%81%ef%bc%88%ef%bc%93%ef%bc%89_page-0001 資料1 
    ①著者製作
    ②川越市立博物館H.P ホーム>一般>利用案内>交通案内地図に著者が加筆したもの。
    出典:http://museum.city.kawagoe.saitama.jp/ippan/riyou.html
    ③出典:川越市公式H.P
    トップ>市政>川越市の紹介>川越市のPRポスターが完成しましたhttp://www.city.kawagoe.saitama.jp/shisei/shinogaiyoshoukai/kawagoe/prposter.html

  • %e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%92%e5%b7%9d%e8%b6%8a%e5%94%90%e6%a1%9f%e6%89%8b%e7%b9%94%e3%82%8a%e3%81%ae%e4%bc%9a%e3%81%ae%e6%b4%bb%e5%8b%95%e3%81%a8%e6%af%94%e8%bc%83%ef%bc%91_page-0001 資料2
    ①②著者撮影 
  • %e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%93%e5%b7%9d%e8%b6%8a%e5%94%90%e6%a1%9f%e6%89%8b%e7%b9%94%e3%82%8a%e3%81%ae%e4%bc%9a%e3%81%ae%e6%b4%bb%e5%8b%95%e3%81%a8%e6%af%94%e8%bc%83%ef%bc%92_page-0001 資料3
    ①出典:蕨市編集発行 『蕨市調査報告書第6集 織物関係者聞き書き-蕨の織物業略史-』P14
     (株)ぎょうせい 1988年3月
    ②③川越市立博物館内 2018年6月10日著者撮影
    ④『平成の川越唐桟 上巻』No.3を著者撮影したもの
    ⑤出典:埼玉県立民俗文化センター発行
    『埼玉県民俗工芸調査報告書第2集 青縞』P.90 若葉印刷 1984年3月
    ⑥出典:『小江戸ものがたり第11号』川越むかし工房 (2007年9月10日発行)P.116
    ⑦出典:『散歩の達人 10』「どっこい職人 川唐織 西村芳明」
    (株)交通新聞社 第11巻第10号通巻127号(2006年10月1日発行) P.42
    ※番手とは 
    日本化学繊維協会H.P
    トップ>化学繊維を知ろう>化学繊維の基礎知識>化学繊維の用語集>糸の太さを表す単位
    https://www.jcfa.gr.jp/about_kasen/knowledge/word/11.html
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    ①川越唐桟手織りの会のFacebookより 2018年7月26日投稿部分
    ②③④川越市立博物館体験コーナー 2018年11月4日著者撮影  
    ⑤呉服かんだ(川越一番街商店街)店内 および番頭の仲貞夫氏
    2018年6月1日著者撮影
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    ① ②『平成の川越唐桟』の製作風景 川越市立博物館内 2018年11月1日著者撮影
    ③『平成の川越唐桟』上下巻 著者所有 2019年2月20日撮影
    ④ ⑤ 「同好会による博物館文化祭」会場内風景 川越市立博物館 2018年12月2日著者撮影⑥川越唐桟振興会の商品群(事務局呉服笠間)呉服かんだ店内 2018年7月26日著者撮影
    ⑦呉服笠間のウィンドウディスプレイ 2018年7月1日著者撮影
    ⑧川越唐桟振興会が出店した川越市幸町の期間限定店舗内 2018年8月3日著者撮影
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    ①②川越市幸町川越一番街商店街周辺 2019年6月11日著者撮影 
    ③呉服かんだチラシ 2019年7月14日入手
    ④川越きものの日の掲示物 川越着物レンタル柚屋(川越市仲町1-4)2019年6月11日著者撮影

参考文献

【註釈】
[1]川越市の概要
埼玉県川越市は、都心から約30㎞圏に位置するベットタウンであり、市内には鉄道各線の13の駅があり、関越自動車道や国道254号の道路網が発達し、各方面に繋がる交通の要地である。また市街地やその周辺では、特産のサツマイモなど都市型近郊農業が盛んな地域でもある。人口約35万人(2018年)。
「世界に発信しよう!EDOが粋(いき)づくまち 小江戸川越」をスローガンとした第二次川越市観光振興計画(計画期間2016年~2025年)の推進により、川越を訪れる観光客は年間約730万人(2018年)にのぼっている。
川越市仲町交差点から川越市幸町・札ノ辻交差点までの約400mの川越一番街商店街(通称:蔵造り商店街)通りは、1999年12月文化庁の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

川越市トップページ>観光→川越市について
http://www.city.kawagoe.saitama.jp/welcome/kawagoeshinitsuite/index.html


川越市トップページ>市政政策施策>川越市の方針>計画産業>観光第二次川越市観光振興計画
https://www.city.kawagoe.saitama.jp/shisei/seisakushisaku/hoshinkeikaku/sangyo-kanko/2kanko-keikaku.html

埼玉県川越市立博物館(川越市郭町2ー30-1)1990年3月開館
http://museum.city.kawagoe.saitama.jp/
(補足:川越唐桟手織りの会が同館で活動を始めたのは、開館2年後の1992年からである。)

[2]小江戸(こえど)の由来
川越は、江戸時代には「武州(ぶしゅう) 川越」と呼ばれていたが「小江戸(こえど)」という愛称が広まったのは、1979年一番街商店街にある民芸品店主の土金富之助が書いた『小江戸川越―江戸文化の残照を求めて』創芸社というガイドブックがきっかけであるという。
『読売新聞 埼玉版』「なぜ小江戸っていうの? 民芸品店主がブーム仕掛け人 江戸と交流、時代映す建物群」2002年4月6日朝刊33面

[3]唐桟(とうざん)とは
「江戸時代に舶載された東南アジア産の縞木綿(しまもめん)のこと。インドのセントトーマス(港、地名をさす=著者補足)から運ばれたことにちなんで当初「サントメ(桟留)」と称したといわれ、絹のような風合いで通人に珍重されました。後に国内でもそれを模した織物が作られ、それと区別して輸入品を「唐桟」とよんだものがやがて総称になりました。」
引用『美しいキモノ 夏 No.252 』「特集 次世代へつなぐ、日本の染めと織り 埼玉県 川越唐桟 一世を風靡した「川唐」を地域で再興」 P.238
㈱ハースト婦人画報社

2015年5月20日発売 通巻225号

[4]「川越」がブランドである理由

「川越は江戸時代の中頃から絹織物の産地として知られるようになった。袴地用の「絹平(きぬひら)」が特に有名で、「川越絹平」、あるいは略して「川越平」と呼ばれていたのである。」
というように、川越唐桟成立以前より、高品質の織物製品を江戸に出荷していた。

引用 川越商工会議所『川越物語 川越商工会議所100周年記念誌』
特集4 物産、名産あれこれ【川越唐桟】P.256
印刷(有)ぷらんず社 2000年

[5]江戸っ子の美学と唐桟縞の流行
江戸時代、幕府は、たびたび絹織物や華美な衣装を禁止する奢侈禁止令を出した。江戸っ子たちはその禁止令を逆手にとって、一見すると豪華には見えない、細部にこだわった粋(いき)な縞(しま)の木綿の着物で、歌舞伎や寄席・芝居見物などのレジャーを楽しんだ。唐桟柄の縞模様は、歌舞伎役者の衣装として浮世絵にも散見する(資料1)。
川越の織物商・中島久平(1826-1879年)は、当時人気歌舞伎役者の市川團十郎に「川唐」を着てもらい、それが「團十郎縞」として大評判となったという。(井上浩『川越唐棧(川越選書Ⅱ)』p.65 たなかや出版部 1985年)

[6]蔵造りの町並み再興とNPO法人「川越蔵の会」
川越の蔵造りの建物は、1893年の川越大火をきっかけに、東京・日本橋の大店(おおだな)を模して、川越商人たちが、防火対策として建てたものである。現在の景観は当時から守り続けられていたものでは無く、昭和の高度成長時代は、鉄道駅を中心とした開発から遅れ、商店街は衰退し、蔵造りの建物も取り壊されることが多くなっていた。これに危機感を抱いた商店街店主たちが中心となり、住民主体のまちづくりを目指して1983年、NPO法人「川越蔵の会」が発足、看板建築とよばれる商業看板の撤去、電柱の地中化などの再整備が進み、往年の景観が復活した。

・NPO法人「川越蔵の会」
一番街商店街の商店経営者や住民、建築家などを中心に会員は約230名(2018年)。専門家や役所と連携し、町並み再生プロジェクトの立ち上げやイベント開催、家屋調査など、活動は多岐に渡る。
川越蔵の会H.P ホーム https://www.kuranokai.org/home.html

[7]郷土史研究家・井上浩氏略歴
1931年埼玉県飯能市生まれ。現在87歳。
元埼玉県立浦和高校・松山高校教諭。
川越市文化財保護審議委員、川越いも友の会理事などを歴任。
川越唐桟復活の中心人物のひとりであり、手織りの会が川越市立博物館で活動するようになった経緯にも井上氏の尽力があった。

<川越唐桟に関する研究論文・著作>
・「川越の織物史」
(蔵造り資料館「染色展」パンフレット『川越の文化財 第14号』)1979年
・「中島久平」(川越市教育委員会『川越の人物史』第一集)1983年
・『川越唐棧(川越選書Ⅱ)』たなか屋出版部 1985年


[8]井上浩の講演会
1985年10月25日 川越市中央公民館ふるさとカレッジにて 演題「幻の川越唐桟」

・川越唐桟手織りの会の発足の詳細
1986年5月 川越市中央公民館育成団体として最初に「川越唐桟愛好会」が発足し。その後、さらに「手作り部(後の川越唐桟振興会)」「手織り部」「研究部」に分会した。
「愛好会」の発起人のひとりである、筒井寛子氏(故人)は、手織りの会発足の経緯について「引っ越してきた時、書物の中で知っていた「川越唐桟」を購入しようと思い…どこにも売っていなくて驚きました。…蔵造りの町並みが注目を集め、中央公民館で…「幻の川越唐桟」という講義があり、蔵の会の人たちを中心に、川越唐桟愛好会が出来ました。そして手作り部、手織り部、研究部ができ、…(埼玉県越生町の)赤松雨竜先生のところで手織りを勉強するグループができ、…「川越唐桟手織りの会」が生まれました。」と書いている。

出典:20年のあゆみ編集委員会編『川越唐棧手織りの会 20年のあゆみ』巻頭あいさつ
自費出版 印刷(有)須賀印刷 2008年
(同誌は、川越市立中央図書館(川越市三久保町2-9)で閲覧可能。)


[9]川越唐桟の定義についての見解→[18]参照
川越商工会議所 川越唐桟Rebornプロジェクトでは、
Ⅱ-1川越唐桟の定義について
「川越唐桟の特徴として細番手の木綿糸を使った平織物ということができるが、現在ははっきりとした定義というものが存在していない。」としている。
川越唐桟Rebornプロジェクト「平成25年度事業実施報書」P.4

[10]折本『平成の川越唐桟』(限定300部)2018年12月1日発行
結成30周年の今年、織りためた生地を使って『平成の川越唐棧』という縞(しま)見本帳が有料頒布された。これは個人的な活動を一旦封印し、6年間を要して会員全員で取り組んだものである。上下巻に渡る30種のデザインには、手織りの会の新しい意匠が加えられ、川越唐桟を伝えて行こうとする手織りの会の大きな成果にひとつとなっている。


[11]川越唐桟手織りの会の元会長の唐仁原ますみ氏は、同会結成20周年記念誌『川越唐桟手織りの会 20年のあゆみ』のあとがきの中で、
「試行錯誤や研究を重ねながら、会員同士が先生となり互いに和をもって運営してきました」
と書いている。


[12]川越市立博物館の対応
川越市立博物館教育普及担当の土井和貴氏によると「川越市立博物館ができることは、今現在の活動が続けていけるように場所を提供することが第一であり、文化祭など、同好会の方の発表の場も提供するが、それ以上の部分は、原則的にそれぞれの会の方々が考えていくことになり(以下略)」としている。(筆者の質問に対するメールでの回答 2018年11月1日付)

追記:同氏からの補足メール(2018年11月4日付け)
外部団体の機織り見学の受け入れについて
・来館者の口コミにより、機織り体験をしたいという予約の問い合わせが年間10~20件ほどある。
・毎年機織り体験を実施している近隣の小学校の他、支援教室(不登校児童等を支援する機関)の体験教室として毎年1~2回の申込がある。
・手織りの体験・見学に関心があるもので、特に「唐桟」に拘った指定は無い。
以上。

[13]川越市立博物館が所蔵する川越唐桟の着物一点。常設展示ではない。
川越市指定有形民俗文化財<川越唐桟着物>1枚 1988年1月29日指定
川越市博物館(川越市郭町2-30-1)所蔵 

[14]
2018年10月末に行ったアンケート集計結果より
会員28名のうち26名から回答(全員が女性)を得た。
質問事項が書かれた用紙に、無記名による自由回答を含む記入方式で実施。
構成は30代1名、50代2名、60代17名、70代5名、80代1名。
居住地域は川越市内が13名、他全員が川越市の近隣に在住。
下記に実施した主な設問(2問)を挙げる。

ⅰ結成30年、現在も30余人の会員が、活動を継続している要因は何ですか?(複数回答可)
□個人のモノづくりの喜び(のべ19名)
□会員間のコミュニケーション(のべ19名)
□川越唐桟の製品の魅力(のべ13名)
□川越市立博物館の場所の魅力(のべ4名)
□その他(無し)

ⅱ博物館での校外学習の受け入れや来館者向けの機織り体験について
□今後もさらに続けるべきだ(9名)
□現状のままでよい(14名)
(現状のままでよいが、できればもう少し減らしたい 1名)
□負担も大きく、自分だけの制作に専念したい(1名)
□その他
・学習態度がよくない児童(高学年)がいる。事前学習不足?
・打ち合わせをしっかりして児童・生徒の意識づけをしてきてもらいたい。
・毎年予定されている体験学習の他、急に依頼される見学や取材も多く、負担も大きい。

以上。

[15]西村織物
西村織物の西村芳明氏(99歳)は、埼玉県入間市在住。
家業が染物屋であることから、染織学校を出て、戦後は織物業に。東北地方向けの丹前(綿入りの防寒用の長着。縞柄が多かった)の木綿を織っていたが、学生時代の友人の勧めや、川越唐桟を研究していた田中浩氏の出会いもあり、唐桟を織るようになったという。

西村織物の製品は機械織とはいえ、手作業による行程が多く、千本を超える経糸(たていと)を爪の先ほどの隙間にセットしていく作業に、夫婦二人で3時間半はかかったという。2004年の新聞記事によれば、月間100反は仕上げていたとある。
(『読売新聞埼玉版 』2004年11月7日朝刊31面「川越唐桟 老夫婦が守る”幻の布”」より)
 西村織物の反物は、川越一番街商店街にある特約店の、呉服かんだと呉服笠間で購入出来るほか、通信販売サイト「小江戸まるまる屋」(事務局:呉服笠間)でも購入できる。
呉服かんだトップページ  https://www.kawagoe.com/kanda/index.html
呉服笠間トップページ https://www.gofukukasama.shop/
小江戸まるまる屋トップページhttps://www.00ya.jp/

[16]西村織物の川越との関係性
1994年、西村織物の工場近くに入間市立博物館(埼玉県入間市二本木100)が開館すると、博物館ボランティア会「野田双子織研究会」の指導に当たるようになる。現在はその会とも離れたが、今でも有志10名ほどが西村氏の自宅に通っているという。

[17]呉服かんだ店主・笠間呉服店主・西村氏本人からの聞き取りによる。正確な数は明かされなかったが、10年先まで充分な在庫があるという。

[18]川越唐桟Rebornプロジェクトの調査結果
関連先行研究として川越商工会議所 地域力活用新事業∞全国展開プロジェクト(中小企業庁補助事業)川越唐棧Rebornプロジェクト「平成25年度の事業実施報告書」(2013年2月)がまとめられている。この中でも、「今後の生産供給の不安」を挙げている。
参照:川越商工会議所 HOME>川越唐棧Rebornプロジェクト
https://www.kawagoe.or.jp/%E5%B7%9D%E8%B6%8A%E5%94%90%E6%A1%9Freborn%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88/

この報告書では、川越唐桟Rebornのプロジェクトマーケティング結果として「川越唐桟の認知向上が急務」としている。
(川越商工会議所 川越唐棧Rebornプロジェクト「平成25年度の事業実施報告書」P52.各種調査事業(1)マーケティング調査 C.調査結果 2013年2月

[19]「川越きものの日」とは
 2011年5月、「きものが似合うまち川越」を目指して、「川越きものの日」実行委員会が誕生し、同年8月から毎月18日を「川越きものの日」と制定した。観光施設で各種割引がある。
埼玉県川越市トップページ>観光>イベント・伝統行事>川越きものの日http://www.city.kawagoe.saitama.jp/welcome/event/kawagoekimononohi.html

[20]先行イベント事例:江戸の日
「江戸の日」とは2016年から毎年3月末の2週間にわたって開催される、川越一番街商店街主催の「春夏冬(あきない)二升五合市(ますますはんじょういち)」イベント企画のひとつ。「一番街商店街がまるで江戸時代にタイムスリップ!」と称し、商店街の店主やスタッフが江戸商人や町人に扮して接客するイベント。歩行者天国のこの日は、路上での時代劇や和楽器演奏、物売りなどの様々な催しが行われる。
参照:川越一番街商店街公式H.P
「平成30年「小江戸川越江戸の日」開催のお知らせ 2018年2月1日」 https://kuradukuri.com/2018/02/01/2248

[21]レンタル着物店について
筆者の調査によると、蔵造り商店街周辺には8店舗ほどのレンタル店がある。(2019年7月現在。)観光ブームに乗り、この2、3年で開業した店がほとんどである。貸し出される着物は京都や浅草といった他の観光地でみかけるものと同じような柄が多い。
(参考:川越店舗数日本最大級 着物レンタル VASARA  https://vasara-h.co.jp/)
川越唐桟をレンタルする店は「美々庵」と「呉服 かんだ」の2店である。
美々庵(ビビアン)http://www.coedovivian.com/


※註釈欄記載のホームページ等のリンク先については、2019年7月25日最終閲覧。

【インタビュー取材】
●呉服かんだ
3代目店主 神田善正氏(42歳)
2018年8月3日 

番頭 仲貞夫氏
2018年7月26日
呉服かんだ店内(川越市幸町3-1)にて


●呉服笠間 
先代女将 笠間貴美子氏(73歳)および 当主 笠間美寛氏 
2018年7月26日
呉服笠間店内(川越市仲町5-10)にて

●川越唐桟手織りの会 元会長 唐仁原ますみ氏(72歳)
2018年7月26日 同年8月21日 同年11月1日(計3回実施)
いずれも川越市立博物館(川越市郭町2-30-1)にて

●西村芳明氏
2019年年6月27日
埼玉県入間市仏子の自宅にて
●小江戸川越変身処 美々庵 船橋氏
2018年10月1日
美々庵店内(川越市幸町14-5)



【参考文献】

井上浩『川越唐棧(川越選書Ⅱ)』
たなか屋出版部 1986年

秦英雄『唐棧考』
茜屋書房 昭和7年


広岩邦彦『近世のシマ格子 着るものと社会』
紫紅社 2014年


中江克己(等)『縞・唐棧 限りない美を生む粋な織物』
泰流社 1976年

川越商工会議所『川越物語 川越商工会議所100周年記念誌』
印刷(有)ぷらんず社 2000年

川越織物市場の会編『川越 商都の木綿遺産 ー川越唐棧 織物市場 染織学校』
(株)さきたま出版会 2012年

藤井美登利『埼玉きもの散歩 絹の記憶と手仕事を訪ねて』
(株)さきたま出版会 2016年


20年のあゆみ編集委員会編『川越唐棧手織りの会 20年のあゆみ』
自費出版 印刷(有)須賀印刷 2008年


川越商工会議所 川越唐棧Rebornプロジェクト「平成25年度の事業実施報告書」
2013年2月
https://www.kawagoe.or.jp/wp-content/uploads/2013_tozanproject_report.compressed.pdf

年月と地域
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