台湾からやってきた道教廟 聖天宮

岡野 佐知子

1.はじめに

埼玉県坂戸市にある道教廟聖天宮を取り上げる。
日本の寺社を見慣れた目には、一目見た途端にその景観の異質性が感じとれるだろう。躍動的な造形と色彩の数々が豪壮な印象を放ち、やがて見る者は「一体、これは何なのだろうか?」という関心を掻き立てられ、引きつけられていくのではないだろうか。
その異質性の根源を探ると、日本の寺社においては少なく、道教廟に顕著なものとして、老荘的な天文宇宙の世界観が浮上してくる。故に聖天宮のふんだんな装飾が表わそうとするのは、仏教的な浄土や死後の世界ではなく、神仙になった者のみが往来できるといわれる天上世界なのである。

2.基本データ

名称:宗教法人 聖天宮(せいてんきゅう)
敷地総面積:7000坪
通称:五千頭の龍が昇る聖天宮
宗教:道教(中国の伝統宗教)
主神:三清道祖(さんせいどうそ:天帝に次ぐ道教の最高神)
建て主:康國典(こうこくてん:大法師)
着工:昭和56年(1981年)
開廟:平成7年9月(1995年)
所在地:埼玉県坂戸市塚越51-1

3.聖天宮建立の由来

建て主の康國典大法師は40代半ばに大病を患った際、三清道祖との縁起によって一命をとりとめた。このことの深謝の念から何人にも開かれたお宮を建てようと場所を探していたところ、お告げにより生国の台湾ではない日本の当地が選ばれた。
およそ15年の歳月をかけて建立されたお宮はすべて台湾から運ばれた資材から成り、日本国内の道教廟としては最大の規模を誇る(註1)。

4.聖天宮の背景にある台湾の風土について

歴史的には元来多様な先住民が島に暮らし、17世紀以降、外来の為政者の交替が続いた(註2)。日本の統治時代50年間の事実も含め、政変の度に外来者の流入・移住が行われた。そうした相次ぐ外来者と先住民の接触によって形成されてきた台湾社会であるが、政情不安のみならず伝染病の流行にも長く脅かされた。そうした中、道教廟が建立されていく。外来者の多くは中国本土出身者であり、彼らが渡海の際にお守りとして携えてきた小さな神像や、故郷の道教廟の線香の灰などが祀られていったのである(註3)。

中国を起源とする道教は、長い歴史の中で儒教や仏教との接触を経て今に至る。故に中国では道・儒・仏の垣根が曖昧であり、民間信仰の影響がそれに加わる。台湾の道教廟に至ってはさらにシャーマニズムの影響がみられ(註4)、祀られる神様も道・儒・仏・その他を入り混じえて繚乱している(註5)。人々はこうした中から自分にとってご利益のある廟を選んで参拝する。

また、聖天宮の法師さん(註6)のお話によると、台湾では個人でお宮を建てる風習があるという。願掛けや病気回復のお礼の他、故郷に錦を飾る意などを理由にして建てられるが、そうした小規模な廟を含めると実に数多くの寺廟が台湾には存在し(註7)、人々の暮らしと密接なことがうかがえる(註8)。

5.境内の景観

境内は正面を東南の方向にして、天門・前殿・本殿へと奥に進む配置であり、前殿の両脇には東側に鐘楼、西側に鼓楼が建つ。屋根を筆頭に境内の随所には、石彫、木彫、陶片から成る龍の造形が配され、その数は五千頭に及ぶ。龍は神の使いとされる。

まず視界に入るのは、黄色い瓦屋根とそのすべての尖端部を飾るうねった龍の屋根飾りだろう。反り上がった黄色い瓦屋根は中国を起源とし、黄色は黄河文明を象徴する色であり、中心を意味する(註9)。屋根の最上部中央は脊頂といい、天門と前殿においては龍玉が[図1、2]、本殿においては双龍拝塔が配されている[図3]。屋根飾りは主に剪粘(註10)という陶片を用いた技術によって作られ、鮮やかな色彩と活き活きと躍動する造形が豊かな生命力を演出している。また、軒下には木彫の釣灯篭がびっしりと配され、一層装飾の夥しさを増幅させている。

鐘楼と鼓楼においては、些か狭い空間を階段づたいに登ることができ、一般に解放され、登れる鐘楼・鼓楼は珍しい。鐘は陽、鼓は陰に対応し、境内にはこのような陰陽の対が他にも、聖籤で用いられる神筈の対や獅子の雌雄の対、男女の別のある参拝作法にもみられる。

廟において多用される赤色は、中国においては南や授かるという意味をもつ[図4](註11)。

前殿と本殿は客庁と行事場を介して繋がり、通路沿いの壁と天井には神仙世界が絵筆により隈なく描かれている。前殿・本殿に聳えたつ高さ5mにおよぶ龍の透かし彫りが施された九龍柱と、贅沢な量感の上に見事な技巧の外壁の石板レリーフは、ともに台湾の観音石から成る。

楠木の螺旋天井(註12)が施された本殿には、本尊の三清道祖、すなわち道徳天尊、元始天尊、霊寶天尊が鎮座し、その前方に南斗星君、北斗星君、四星大元帥がならぶ。それらの神像は彩色された分かりやすい人間の姿をしており、異国文化の一興として味わいがある。その他にも前殿の扉に施された如意四位正神の四像があり、高さ3.5mの迫力による不思議な趣がある。

境内の西側外には、神様に捧げる神紙を燃やす寿金帝が備わっている(註13)。

6.各地に伝わる道教廟との比較

国内では横浜と神戸にある関帝廟がよく知られ、いずれも19世紀末に華僑の人々によって建立された。近年では横浜媽祖廟と東京媽祖廟の開廟が知られる(註14)。海外では香港、マレーシア、シンガポールに華僑の人々に始まった道教廟が存続している。香港では地域に密着して観光地として栄えているが、マレーシアとシンガポールにおいては道教を蔑視する風潮のため衰微の傾向にあり、会員制などの措置をとりながら存続に努めている(註15)。

筆者が訪れたのは、国内関東にある横浜関帝廟、横浜媽祖廟、東京媽祖廟の三廟である。横浜の関帝廟と媽祖廟は同じ中華街に立地し、観光客の参拝が多いため両廟ともに案内係が常駐し、参拝作法も似ている(註16)。他方、東京媽祖廟は観光客の気配は薄く、主に台湾出身者たちの拠り所として開廟されている。他の廟とは打って変わって四階建てビルを廟とし、多文化の街として知られる新大久保の裏手にて、静かな祈りの空間を提供している。

実見から、反り上がった屋根と鮮やかな色の瓦、龍の装飾、鐘楼・鼓楼、金炉の存在が道教廟の特徴であるとうかがえ、手水はないことが分かった。図5に各廟を構成する要素を簡略に示したが、石柱、香炉、金炉、獅子、神筈、天燭台が共通項として挙げられる。
廟の経営姿勢に注目すると、聖天宮は台湾の人による開廟という点では東京媽祖廟と共通するものの、特に台湾出身者たちの拠り所になることは目指しておらず、祈りの空間というよりも観光客の多い横浜関帝廟・横浜媽祖廟の在り方に似ている。(註17)
また、際立って判明したことは聖天宮の広さである。

7.聖天宮の魅力とこれから

広々とした空間に鮮やかに具現された道教の世界、そこにひと時浸ることができるのが聖天宮の魅力ではないだろうか。道教のまなざしから成る小宇宙の為せるわざなのか、聖天宮は私たちの人間臭さを咎めない温かな気配が漂う(註18)。道教の参拝においては、願いや心の悩みをすべて神様に事細かく伝えることをよしとするが、そこに私たちが等身大のまま癒される安堵が生まれ、その安堵が前へ進む力となるように思われる。

他方、聖天宮は地域においては恰好なランドマークとして浸透しており、その物珍しさから各種メディアの関心を寄せている。近年はコスプレイヤーの来訪が増加し、聖天宮側もルールを設けながらこれに応じており、さながら環境展示としての魅力を見出されている。その魅力が最もひきたつのが太極拳まつりであり、当日は各地から集まった太極拳グループたちの演武が繰り広げられる[図6](註19)。

中国の雰囲気を放つ舞台として聖天宮は逸材なのである。見る者の驚きや疑問をよそに泰然と聳えるその姿は、今後も人々を惹きつけてやまないと思われる。そこで案じなければならないのは、聖天宮は宗教法人であることを念頭に置いた節度である。
道教については、中国の人々の素顔を知ることのみならず、日本においては神道や仏教との習合の形跡もみられ、その由来と日中両国の同異を探る際にも鍵となり、聖天宮はそうした探索の一助となるだろう。
毎週土曜日には法師さんによって早朝太極拳の場が開かれる。現在の聖天宮はこの法師さんによって担われているが、何時訪れてもよく立ち働く姿をお見かけする。法師さんのしなやかな采配に敬意を払いつつ聖天宮の弥栄を祈る。

  • %e5%b2%a1%e9%87%8e1 図1.天門の龍玉(2018年8月23日 筆者撮影)
  • %e5%b2%a1%e9%87%8e2 図2.前殿の龍玉(2018年8月23日 筆者撮影)
  • %e5%b2%a1%e9%87%8e3 図3.本殿の双龍拝塔(2018年8月23日 筆者撮影)
  • %e5%b2%a1%e9%87%8e4 境内案内図(聖天宮公式HPより参照)
  • %e5%b2%a1%e9%87%8e5 図4.本殿正面の上部にみられる赤布の八仙綵
    大きな帯状の赤布に、中国の民間信仰において人気のある八仙の刺繍が施されている。(2018年9月24日 筆者撮影)
  • %e5%b2%a1%e9%87%8e6 図5. 横浜関帝廟・聖天宮・横浜媽祖廟・東京媽祖廟の構成要素表(筆者作成)
  • %e5%b2%a1%e9%87%8e7 図6.2018年10月14日に開催された第11回あおぞら武術太極拳まつりの様子。(2018年10月14日 筆者撮影)
    11年目を迎え、当初は延べ人数で100人ほどだった参加者が延べ人数370人に増加し、過去最高の盛況となった。
    主催:坂戸市武術太極拳連盟
    共催:坂戸あおぞら武術太極拳まつり実行委員会
    後援:坂戸市・埼玉県武術太極拳連盟
  • %e5%b2%a1%e9%87%8e8 廟の様子(2018年10月14日 筆者撮影)

参考文献

本文注釈

(註1)聖天宮のパンフレットから抜粋

(註2)オランダ統治38年間(1624-1662)、明鄭氏統治21年間(1662-1683)、清朝統治212年間(1683-1895)、日本統治50年間(1895-1945)。1945年以降、現在においては台湾は中国に属するものとされる。

(註3)劉枝萬『台湾の道教と民間信仰』 風響社 1994年,p.128「六 廟寺の成長」

(註4)若林正丈編『もっと知りたい台湾 第2版』 弘文堂 平成10年、笠原政治・植野弘子『暮らしがわかるアジア読本 台湾』河出書房新社 1995年

(註5)仏菩薩・儒教神・巫神・地方神・職業神など。中には日本人の功労者を神格したものもある。「義愛公は、現甲府市郊外出身の明治期の日本人巡査であった森川清治郎が神格化された存在である。」( 野口鐵郎・田中文雄編『あじあブックス058 道教の神々と祭り』 大修館書店 2004年,p.7)

(註6)聖天宮を開廟した康國典大法師はすでに他界され、現在は宗教法人聖天宮が運営している。

(註7)2002年時点で1万1450廟と確認されている。( 鳥飼香代子編『都市の中の交流空間 台湾人のアイデンティティー空間 道教廟の楽しみ』熊本大学教育学部 鳥飼居住環境研究室 2007年,p.21 ) 

 「 廟名に「宮」の文字があれば道教系で、「寺」の文字があれば仏教系とほぼ考えてよい。この他、「壇」や「堂」は道教系の宗教職能者が私的に設けているものである。
 この区分とは別に寺廟は、成立過程によって大きく「叢林」と「香火廟」のふたつに分けられる。叢林とは、仏僧など宗教職能者が場所を決め、建てた寺廟であり、彼らが寺廟の管理運営を行う。台北では叢林は主に郊外や人里離れた山奥などにあり、仏僧らの修行の場という色合いが強い。これに対して、民衆の信心から建立された寺廟が香火廟である。文字通り線香の火が集まって出来たという意味で、信者によって管理運営される。」( 若林正丈編『もっと知りたい台湾 第2版』 弘文堂 平成10年, p.71-72 )

「一口に廟といっても、実際にはさまざまな形態のものがある。台湾では、神をまつり、不特定の人が参拝に訪れる場としては、『・・・寺』『・・・宮』『・・・堂』『・・・壇』『・・・祠』などの名称が使われる。どのような場にどのような用語を用いているかは、厳密な決まりがあるとは言えないが、仏教色の強い場合は『寺』、一般の大きな廟なら『宮』が使われ、『壇』や『堂』などは個人の家などで祭壇をもうけて外の信者も受け入れているような比較的小さなものに、また『祠』は比較的地位の低い神について用いているようである。」(笠原政治・植野弘子編『暮らしがわかるアジア読本 台湾』河出書房新社 1995年, p.228下段)

(註8)しかしながら台湾においても都市化が進み、寺廟に人々が集うことでもたらされる福祉的な機能について改めて価値を見出されている段階であることも知っておきたい。(鳥飼香代子編『都市の中の交流空間 台湾人のアイデンティティー空間 道教廟の楽しみ』熊本大学教育学部 鳥飼居住環境研究室 2007年、鳥飼香代子『道教廟の地域福祉力に関する研究:台北市、シンガポール市を中心に』 熊本大学報告書 2008年)
 
(註9)黄色の瓦と龍が飾ってあるのがお宮の特徴である。かつての皇帝の建物も黄色い瓦なのは、皇帝は神様と同一視されていたためである。
 中国古代、黄河のふもとに栄えた文明、故に黄河文明とされる。黄河の名の由縁は、辺りの自然の地質によって生み出された河水の黄色による。
「中心」とは、その黄河文明により栄えた中国を「世界の中央にある国」と捉えることによる。

(註10)「元来、大陸から伝えられたもので、台湾では主に寺廟の屋根や軒下に飾られている。装飾題材は想像上の動物の龍をはじめ、鳳凰、麒麟、財子寿三仙、植物、水族動物、戦場人物など、多彩である。かつて、剪粘に使う材料は、すべて使えなくなった茶碗などの陶磁器の破片であったが、現在使われる素材は、主に色ガラスと専用陶片である。
 台湾の夏は長く、暑く、それに午後からスコールによく降られ、したがって建物の屋根に適合する装飾様式はかなり限られている。上記の装飾手法(筆者補足:装飾工芸の7つのこと。石彫、木彫、彩絵、煉瓦彫り、泥塑、交趾焼き、剪粘。)の中で、コストと制作環境、そして何よりも耐久性と修復性を考えると、剪粘が一番ふさわしいとされている。」(張英裕 ・宮崎清 『台湾における伝統建築の装飾に関する研究―北港鎮朝天宮の屋根装飾』 2013年 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssdj/60/1/60_1_1/_pdf/-char/ja,p3)

(註11)劉枝萬『台湾の道教と民間信仰』 風響社 1994年,p.275 「五 結綵(門口の赤色標識)」によると、八仙綵は魔除けの力があるとされ、浄穢両域の境界線を示すとある。この参照をもとに、筆者は聖天宮にある八仙綵も同様のものと捉えようとしたところ、それは違うとのご指摘を受けた。八仙は日本の七福神と同様、目出度い存在であるが「浄穢」や「境界」とは無関係であり、聖天宮の八仙綵はそのような意味はないとのことである。「浄穢」や「境界」は仏教寄りの考え方であり、道教および聖天宮ではそのような考え方はしないようである。このことから、同じ装飾品でも仏教と道教では捉え方が異なることを教えられた。
 以下に、法師さんの赤色にまつわるお話をそのまま記載させていただく。
 「中国の伝統的花嫁衣裳は赤です。それは子供が授かる、幸運が授かる、好機が授かるの意味です。
 天を意味する黄色い屋根から地上に恵みが授かるので赤い柱。
 聖天宮の柱には神様から授かった言葉が書かれてるので赤い柱が多いです。
 中国の南は米どころなので、食料すなわち、天の恵みが授かるともあります。」

(註12)「神様の世界より全ての始まりである『太極』が渦を巻き、やがて『陰陽』、『八卦』、『森羅万象』へと移り行く伝説を立体的に彫像しています。全体は楠木の彫刻に金箔を施し、釘を使わず組まれていて、構造上、重みの分散が難しく珍しい造りです。」(境内案内文より引用)

(註13)金炉のこと。道教廟に特有のものである。神紙は神様へ献上するお金のようなものであり、これをお願いをするときやお願いが成就したときに寿金亭にて焚き上げる。

(註14)横浜関帝廟は1871年、神戸関帝廟は1888年の開廟。横浜媽祖廟は2006年、東京媽祖廟は2013年の開廟。19世紀の開廟である前者の二廟が祀るのは三国志の英雄関羽であり、21世紀に開廟された後者の二廟が祀るのは媽祖という女性の神様である。いずれの廟も本尊に加えて複数の神様が祀られている。

(註15)鳥飼香代子『道教廟の地域福祉力に関する研究:台北市、シンガポール市を中心に』 熊本大学報告書 2008年,p.64-71

(註16)そもそも横浜関帝廟の開廟当初に、同じ廟内に媽祖様が祀られていたことが知られ、そのことを偲んで近年ようやく媽祖廟が再建されたという経緯がある。  
 参拝作法については、まず初めに、門を入って右側にある受付で中国式の長い線香を購入し、それを五つ並ぶ香炉(それぞれ各神様に対応している)に順々に祈りながら線香をあげてゆく。その後本殿の神像の前にて台の上に膝をついて参拝するという手順である。なお、長い線香と台の上に膝をつくことはすべての廟に共通している。

(註17)台湾からやってきた道教廟であることから、聖天宮は日本に在住している台湾の人々の拠り所になっているのだろうと考えられがちであるが、近辺には台湾の人々が多く暮らすコミュニティも見られず、そのような拠点にはなっていない。また、法師さん曰く、台湾から日本に来たのなら日本の観光地に行くだろうとのことである。

(註18)道教思想については、老荘の万物斉同や胡蝶の夢の説が広く知られるが、オントロジー(ontology)もその説明に役立つ概念ではないだろうか。オントロジーについては、宮台真司『万引き家族』評 2018年7月15日付 https://realsound.jp/movie/2018/07/post-221205.html (2019年1月閲覧)より抜粋したものを以下に記す。

 「存在論」( ontology )=「世界はそもそもどうなっているか」
         -中略ー
 「実在論」( realism )=「どうすれば生きられるか(という観点からする構え)」
         ー中略ー
 ー realism が前提とする ontology は約束事ではありません。まして主観でもありません。蛙には蛙の、鯨には鯨の、人には人の ontology がありますが、そこに優劣はありません(多自然主義 multi-naturalism )。ontology を無視した営みは、人や社会を生存できなくします。

(註19)演武と廟の様子はこちらのウェブサイトからよく拝見できる。taikyoku.daa.jp/?p=3138 太極拳 氣凛スタジオ HP(2019年1月閲覧)



参考文献

劉枝萬『台湾の道教と民間信仰』 風響社 1994年
若林正丈編『もっと知りたい台湾 第2版』 弘文堂 平成10年
笠原政治・植野弘子『暮らしがわかるアジア読本 台湾』 河出書房新社 1995年
鳥飼香代子編『都市の中の交流空間 台湾人のアイデンティティー空間 道教廟の楽しみ』 熊本大学教育学部 鳥飼居住環境研究室 2007年
野口鐵郎・田中文雄編『あじあブックス058 道教の神々と祭り』 大修館書店 2004年
戴国煇『もっと知りたい台湾』 弘文堂 昭和61年
李沢厚著、興膳宏・中純子・松家裕子訳『中国の伝統美学』 平凡社 1995年
『旅名人ブックス104 台南 台湾史のルーツを訪ねる』 日経BP企画 2008年
『旅名人ブックス114 香港歴史散歩 摩天楼の谷間に残る史跡』 日経BP企画 2008年
福永光司・千田稔・高橋徹『日本の道教遺跡を歩く 陰陽道・修験道のルーツもここにあった』朝日新聞社 2003年
新川登亀男『あじあブックス013 道教をめぐる攻防 日本の君主、道士の法を崇めず』 大修館書店 1999年
宇佐美文理・青木孝夫編『芸術理論古典文献アンソロジー 東洋篇』 藝術学舎 2014年


参考研究論文

鳥飼香代子『道教廟の地域福祉力に関する研究:台北市、シンガポール市を中心に』 熊本大学報告書 2008年
張英裕 ・宮崎清 『台湾における伝統建築の装飾に関する研究―北港鎮朝天宮の屋根装飾』 2013年 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssdj/60/1/60_1_1/_pdf/-char/ja(2019年1月閲覧)
張英裕・宮崎清『台湾における寺廟装飾「剪黏(ジェンネン)を支えた職人の出自と実像:職人組織と技術伝承』 2002年 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssdj/49/3/49_KJ00000848258/_pdf/-char/ja(2019年1月閲覧)
朱新林『【12-10】日本の道教について』 2012年 www.spc.jst.go.jp/experiences/change/change_1210.ht(2019年1月閲覧)
蕭玉燕・鳥飼香代子『道教廟の利用内容と廟空間の考察―台南市における道教廟の「集い」機能に関する研究(その1)』 日本建築学会計画系論文集(p.79~86) 2004年
蕭玉燕・鳥飼香代子『廟の「集い」利用を進める管理運営について―台南市における道教廟の「集い」機能に関する研究(その2)』 日本建築学会計画系論文集(p.69~76) 2005年
鳥飼香代子・蕭玉燕『台南市における道教廟の空間構成と周辺環境』 熊本大学教育学部紀要.自然科学/熊本大学教育部編(p.7~13) 2005年
鳥飼香代子・蕭玉燕『道教廟の年中行事と集い機能について―台南市東区「関帝廟」ランタン祭りの一日観察調査より』 熊本大学教育学部紀要.自然科学/熊本大学教育部編(p.123~131) 2004年
池上良正『口絵・世界の街から(52)上海の道教廟と門前町―都市開発のなかで』 コミュニティ/第一生命財団編(p.1~4) 2005年


参考資料

【映画】
『セデック・バレ』 ウェイ・ダーシェン監督 2011年
【新聞記事】
「台湾風 線香振って良い年に 坂戸 道教の聖天宮で初詣」 朝日新聞 埼玉 2018年1月4日 朝刊 27頁
「田園の中華風宮殿 浮世離れ コスプレの聖地」朝日新聞 東京版 2015年3月20日 朝刊 28頁
「長さ12メートル「龍神」躍動 坂戸で龍季祭」朝日新聞 埼玉 2012年3月20日 朝刊 28頁
「多国籍 大切に 中華街 ルーツ守り日本に定着」 朝日新聞 神奈川 2015年4月10日 朝刊 28頁
「つながる同胞 食で新聞で寺で 大久保―多文化の街③」 朝日新聞 東京B 2015年12月17日 朝刊 28頁
「神戸と横浜―華僑社会 地域に根 とけ合う文化」 朝日新聞 横浜 2008年1月6日 朝刊 27頁
「みんぱく公開講演会:『日本で暮らす―移民の知恵と活力』 支え合う身近な隣人」 毎日新聞 大阪 2007年3月17日 朝刊 14頁 特集面
「開港場物語(15)中国人の進出 日本と西洋の仲介役(連載) 神奈川」読売新聞 東京 2006年12月17日 朝刊 34頁
「横浜中華街、当世的変身 若者の拠点づくりねらう(時事刻刻)」朝日新聞 3社 1988年12月16日 朝刊 29頁
【ウェブ上の参考資料】
宮台真司『万引き家族』評 2018年7月15日付 https://realsound.jp/movie/2018/07/post-221205.html (2019年1月閲覧)


webサイト

www.seitenkyu.com/ 聖天宮(2019年1月閲覧)
www.yokohama-kanteibyo.com/ 横浜関帝廟(2019年1月閲覧)
www.yokohama-masobyo.jp/jp/main.html 横浜媽祖廟(2019年1月閲覧)
http://www.maso.jp/ 東京媽祖廟(2019年1月閲覧)
www.zhonghua-huiguan.com/index.php?mode=kanteibyo 一般社団法人中国会館(2019年1月閲覧)
taikyoku.daa.jp/ 太極拳 氣凛スタジオ (2019年1月閲覧)

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