越谷のオビシャ−継続と多様性 −
〈はじめに〉
越谷市では年の初めに的射を行う行事「オビシャ」が多くの神社で行われ、市内全域に分布している。その中のいくつかを調べ時代や環境の変化の中、継続し多様化していったことについて考察する。
〈弓神事について〉
的射を伴う正月行事は日本各地で多く行われている。弓はもともと狩猟の道具で、戦いの際の武器でもあったが、呪術的な力を持つものとして奈良時代以降、中国の射礼の影響を受け宮中での年中行事として儀礼に用いられるようになった。宮中での弓の行事のうち正月の射礼は歩射、5月は騎射であった。その宮中儀礼が武家から庶民にまで広まり、室町期には正月の村の神社での祭礼としてひろがった。西日本の中国、四国、九州ではモモテ、ブシャ、近畿では特に京都、奈良で多く見られユミウチ、ビシャなどとよばれ招福除災を祈願して行われている。
関東では利根川水系に沿って千葉県を中心に、それに近い埼玉県、茨城県、栃木県と群馬県の一部に分布し「オビシャ」と呼ばれている。五穀豊穣を祈願し豊凶を占う的射が主な内容だが、的射をともなわないものも少なくない。あられのぶつけ合いや藁の大蛇や蓬莱山の飾り物を作くるところもある。当番交代の「オトウ渡し」では、氏子名や当屋の氏名や順番、祭事次第、神饌や調理法、その年に生まれた子の氏名などが書いてある帳簿の受け渡しなどが関東のオビシャの特徴である。
オビシャという名は弓矢を用いた神事であることから御奉射とする説や馬に乗り弓を射る騎射に対して徒歩で弓を射ることから御歩射とする説、古来太陽を象徴する三本足の烏の絵が描かれている的を射ることから御日射とする説などがある。
〈 越谷のオビシャ 〉
越谷市は埼玉県の南東部で千葉県に近く利根川支流の古利根川や中川が市内を流れ、的射や「オトウ渡し」の内容が豊富な「オビシャ」が行われている。
その目的は的射による五穀豊穣の祈願と豊凶の占いや7歳の子供のムラ社会への承認儀礼、当番交代のオトウ渡しによるムラの秩序の更新と継続、直会で地域のコミュニティの絆を強めることなどだ。
1. 平方鹿島神社〈御備社〉
冬の祭礼は神社と当番の一軒を宿として行われ幟が建てられる。宿の床の間に鹿島大神宮の軸を掛け、白弊を置いて神饌を供える。調理は当番の男性が行っていたが、平成元年から仕出し料理になった。各家から男性1名が出席し祭典後に当番が雄蝶雌蝶となり重ね盃で三三九度杯を交わし当番帳を引き継ぐ。夏は神社で氏子全員参加だったが、現在は各家1名で直会を行っている。以前は社有田があり当番が耕作していた。
2.平方香取神社〈オビシャ〉
冬は全員で幟をたて当番の家で直会を行う。料理は当番が自家製の野菜で作っていたが、現在は仕出し料理に変わり、甘酒や赤飯も作らなくなった。翌日に幟と当番帳を引き継ぐ。夏も行事の次第は同じだが直会は各家男性1名だけが拝殿で行う。昭和50年ごろまでは女性や子供も境内に筵をひいて参加していた。
3.女帝神社〈御備射〉
明治45年合祀政策で村社の浅間神社に合併されたが、大正6年に浅間神社が全焼し、昭和8年に焼け残った御神体の台座を奉還し、昭和42年に社殿を再興した。
御備射当日は幟を立てて祭典の後、神饌の「娘飾り」が飾られ直会が行われる。娘飾りを恵方に置き、三三九度杯をかわす当番の引き継ぎの「当渡し」が行われる。娘飾りは昭和12年頃から行われない時期があったが、昭和25年に復活した。現在は材料の入手が困難になり樹脂製になった。社有田は都市化による水質汚染により耕作をやめた。
4.川崎神社〈おびしゃ〉
祭典後、直会を集会所で行なった後に拝殿で年番の交代「申し渡し」で神鏡と白弊、帳簿の入っている厨子が渡され、その後、的射が行われる。鶴亀、松竹梅の的に矢を射る。当たりは豊作、外れは凶作でその年の作柄を占う。約10年前から簡略化が進み鯣で作った松葉と昆布で型取った竹の葉に小梅を添えて、煮干しを二尾つけて配ることや、ニワトコの弓、ウツギの矢は作られなくなった。年番が耕作していた社有田は昭和40年代に社殿の瓦の吹き替えのため売却された。
5.大吉香取神社〈おびしゃ〉
1月は祭典の後、直会で当番交代が集会所で行われ、新旧の当番が盃を3回干した後に「香取神宮当番」と書かれた木札を次の当番に渡す。夏は田植えの終了、秋は収穫の祭りが行われる。
6.下間久里香取神社〈まとい打ち〉
祭典後、拝殿前から鳥居につけられた鶴亀、松竹梅の描かれた的に向かって矢を射る。どこに当たっても縁起が良い。
平成5年に氏子協議で「オオバン」という甘酒占いは行われなくなり、「御幣渡し」という金弊と書類を次の当番に渡すオビシャ当番の交代は簡素化された。
7.大里稲荷神社〈備射〉
祭典後、鳥居の西側につけられた的を神明社の前から関係者、希望者が竹の弓矢で射て五穀豊穣と無病息災を祈願する。その間に赤飯が一口ずつ配られる。その後拝殿でお神酒と甘酒の盃をかわす年番の交代「頭渡し」と直会を行う。
8.東越谷香取神社〈おびしゃ〉
昭和10年代まで7歳の長男が鬼の文字が書かれた的を射る弓取り式を行なっていた。昭和48年からは氏子の7歳の子供が帯解きを兼ね男女問わず参加している。
9.越谷香取神社〈お備社〉
7歳になった男児4、5人が射手になり竹の弓矢で的を射る神事だったが昭和19年に中断した。現在は奉納神楽の前で氏子や希望者が弓を引く。
近くの鷺後香取神社では昭和20年から年2回、お備社を始めた。
10.大成大相模久伊豆神社〈弓射り〉
祭典後、7歳の男児が葦を四角に編んだものに三重の円を描いて作った的を狛犬の恵方の位置に立てかけ女竹の矢で射る。最後に宮司が恵方に向かって矢を放つ。その後、直会を行ない途中で当番の引き継ぎ「当渡し」を行う。
11.大成八坂神社〈弓射式〉
総代、当番と氏子の7歳の男児のみが参列する。祭典後に当番が作った竹製の弓矢で10名ほどの男児が的に一射ずつ矢を放つ。的を射抜いた数が多い方が豊作になる。
12.伊南里神社〈甘酒祭り〉
氏子の中から選ばれた7歳の男児が境内の榊の木に付けられた的を篠竹の矢で射る豊作祈願と農村センターでの直会で甘酒を飲む行事。昭和40年代まで氏子が甘酒の回し飲みをする行事があった。
13.川柳八幡神社〈初祈祷〉
昭和初期まで氏子の男児全員で鬼の文字を書いた的を篠竹で作った弓矢で射った。当たると村に悪神が入ってこないとされた。
以上、13の例を調べた。的射を行うか行わないかの違いはあるが、ほとんどで直会、当番交代を行うことが共通し地域の絆を強めることを大切にしている。それぞれをみていくとオビシャの名や当渡しの方法などの内容が異なり多様である。
昭和になってから社有田の廃止や仕出し料理の利用、市販の弓具の使用、樹脂製の神饌の製作、集会場での直会など諸事情や生活環境、ライフスタイルの変化により負担となり無くなったものや変わったもの、簡素化されたものがある。様々な理由で行事の存続が困難になると氏子たちで合議し変えていった。本来の行事の意味や先祖からのメッセージを忘れなければ、変化や簡素化は衰退ではなく大切なものを続けていくための必要な手段だ。また、やめてしまったものだけではなく、合祀政策で無くなった神社を氏子の熱意で復興し行事を復活させた例や一度中断した行事を別な形で再開した例、また新たに始めた例もある。女帝神社などでは明治になるずっと以前に的射が途絶えていた。このように変化は近年のことではない。大昔はどこでも同じように行なっていたものが、それぞれの事情や何を重視するかを取捨選択していった結果、内容が変化し、そのために多様化していった。越谷のオビシャは、これからも様々な事情に対応しながら変化し継続して行く現在進行形の行事であると考える。
- 〈越谷市内で行われているオビシャ の分布図〉(取り上げた13箇所) 筆者作成
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〈越谷のオビシャ 一覧〉(13例)
行事名にオビシャ がつくもと的射を伴うもの。
内容では、現在行われているものと昭和以降に無くなったもの。 筆者作成 -
〈オビシャの行われている神社〉1.~6.
平成30年12月24日 3.女帝神社、4.川崎神社、6.下間久里香取神社
12月26日 2.平方香取神社
12月31日 1.平方鹿島神社、5.大吉香取神社
どこの神社も年末の掃除、正月の準備がされていた。 筆者撮影・作成 -
〈オビシャ の行われている神社〉7.~13.
平成30年12月24日8.越谷香取神社、
12月31日7.大里稲荷神社、9.東越谷香取神社、10.大成大相模久伊豆神社、
11.大成八坂神社、12.伊南里神社、13.川柳八幡神社
大成 大相模久伊豆神社では、倉庫で「弓入り」の話し合いが行われていた。筆者撮影・作成 -
《女帝神社・御備射 》
幟が建てられ神職による祭典が行われた。拝殿左右に男女当番が座り、他の氏子達は拝殿前で拝礼した。その後、拝殿右奥の集会所で直会、当番交代を行なった。
祭壇前にしつらわれる神饌の「娘飾り」とは、一面に大根、人参の千切りを敷き詰めた麹箱の中に大根で作った男根と貝で作った女体、ゴボウ、フキ、竹で作った鶴亀などを飾り付けたものだ。現在は樹脂製の作り物になった。
平成31年1月13日筆者撮影・作成 -
《川崎神社・おびしゃ》①
女帝神社と同日時に「おびしゃ」が行われていたため終了後の取材。
氏子の方々に拝殿内を案内していただき、タブレットで当日に撮った画像を使って、年番交代、的射について説明していただいた。
平成31年1月13 筆者撮影・作成 -
《川崎神社・おびしゃ》②
巻藁の横につけられた的は、毎年手作りされる。今年は松竹梅、富士山と鶴、昨年の亀に変わって干支の猪の絵柄だ。今年は当たりが良くなかったそうだ。現在はカーボン弓を使用しているが、以前に使用していたニワトコの弓、ウツギの矢、竹を輪にして紙を貼った小振りの的が拝殿の梁の上に保管されていた。以前、的射は拝殿内で行われていたが、現在は拝殿前の境内で行われている。的までの距離が長くなったために的が大きくなった。
平成31年1月13日 筆者撮影・作成 -
《越谷香取神社・御備社》
神楽が奉納されている神楽殿の前で「歩射」が行われる。氏子が引いた後に、希望者も弓が引ける。
平成24年2月11日越谷香取神社提供、筆者作成
参考文献
〈参考文献〉
福田アジオ 『精選 日本民族辞典』、吉川弘文館、平成18年3月
矢作尚也著 『埼玉 ふるさとの民族文化』、さきたま出版会、平成元年6月
倉林庄次『日本の民族 埼玉』、第一法規出版、昭和47年2月
「埼玉の祭りは今」刊行委員会『埼玉の祭りは今』、朝日印刷工業、平成27年12月
内田健『図説日本民族誌』、平文社、平成元年12月25日
金井塚良一・大村進『埼玉県の不思議辞典』、新人物往来社、平成13年12月
大館勝治『埼玉 イエの祭り・ムラの祭り 民族の原風景 』、朝日新聞出版サービス、平成13年12月
水谷類・渡部圭一『オビシャ文書の世界−関東の村の祭りと記録』岩田書店、平成30年10月
小笠原清忠『弓と礼のこころ』、春秋社、平成20年2月
久伊豆神社奉仕会『越谷の神社』、平成14年11月
埼玉県編『埼玉県史研究 第29号 特集:中川流域のオビシャ』、浦和埼玉県県民部県史料編纂室、平成6年3月15日
埼玉県編集『新編埼玉県史 別編1民俗』、 埼玉県、 昭和63年3月
越谷市教育委員会編集『越谷風土記』、越谷市教育委員会、平成14年3月25日
埼玉県立民俗文化センター編『埼玉のオビシャ行事 埼玉のオビシャ行事調査事業報告書』、埼玉県教育委員会、平成6年3月25日
村上瀏治著『越谷の豆知識』、越谷市立図書館 参考調査室 資料
越谷香取神社(越谷市大沢)パンフレット
埼玉県立歴史と民族の博物館『1年を生きる−埼玉の祭りと行事—』リーフレット、平成20年
〈参考URL〉
黒須憲(東北学院大学)『弓射神事に関するー考察』
https://www.facebook.com/pg/DATEINSAI/posts/?ref=page_internal
佐藤ひとみ、中林みどり(文教大学)
『神社祭祀にみる祈りのかたち-越谷のオビシャ ・神饌・祓いの伝統行事を通して-』、
file:///Users/0024u50/Downloads/BKK0002456%20(3).pdf
渡辺綾乃『弓神事の民族的機能』
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/3441/KOJ001703.pdf
日本気象協会 『七十二侯「水泉動」-厳寒の中の太陽を射る奇妙な神事「オビシャ」とは?』
https://tenki.jp/suppl/kous4/2018/01/10/27783.html
関東農政局 『シリーズ「農のこころを尋ねて」-川崎神社のオビシャ-【第40号】』
http://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kokuei/tonecho/dayori/40/40_7.html
『第2回巡回展 「埼葛地区文化財担当会」埼葛のまつり・行事』
http://www.town.miyashiro.lg.jp/cmsfiles/contents/0000001/1880/saikatsu.pdf
埼玉県ホームページ
https://www.pref.saitama.lg.jp/
越谷市ホームページ
https://www.city.koshigaya.saitama.jp/smph/citypromotion/shizen/shiki/fuyu.html
〈取材〉
平成30年12月 3日 春日部八幡神社 宮司,女帝神社代表 押田豊氏 女帝神社「御備射」について
平成30年12月 24日 越谷香取神社 「お備社」写真提供
平成30年12月 26日 真家弓具店(春日部市)
平成30年12月 27日 越谷市生涯教育課 電話取材
春日部観光協会 電話取材
平成31年 1月13日 女帝神社 「御備射」
川崎神社 「おびしゃ」