コミュニティの力で守られてきた景観 ー江戸風情が残る出水麓の武家屋敷群ー

岡村和久

コミュニティの力で守られてきた景観 ー江戸風情が残る出水麓の武家屋敷群ー

1.はじめに
一万羽以上のツルの越冬地で知られる鹿児島県出水市。九州新幹線出水駅を降りて薩摩街道を南に下り、商店街通りを左(東側)に曲がって路地に入る。緩やかな坂道を少し登ると、急に景色が一変する。丸い石で組まれた石垣が、真っすぐに伸びる住宅地が広がり、まるで別世界に入り込んでしまったような感覚にとらわれる。
江戸時代に建設された出水麓は、薩摩武士の精神が息づく武家街で、建設当時の地割や街路がそのままの姿で残っており、研究者にも注目されている。NHK大河ドラマ『篤姫』のロケ地になったことで知名度が上がり、見学者がたくさん訪れるようになったが、少子高齢化や人口減少などを背景として、後継者不足、空き家や空き地の増加が問題になっている。九州特有の温暖で多湿な気候が、建物の老朽化を進めていることも問題である。この様な現状に向き合い、街の保存と活性化に取り組んでいる『出水麓街なみ保存会』の活動内容とその役割から、出水麓の価値と今後の展望について考察する。

2.所在地、規模、空間構成
出水麓があるのは、鹿児島県出水市の中央に位置する麓町。広さ60ヘクタールのうち43.8ヘクタールが、国の重要伝統的建造物群保存地区になっている。出水麓の中心地である高屋敷は、周囲より一段高い台地上にあり、上竪馬場、竪馬場、諏訪馬場、上山崎、山崎の5集落で構成される。特徴である直線的で格子状の街路は、台地を掘り下げて造られている。
保存計画策定のために出水市が行った調査によると、115軒ある屋敷のうち、35軒が明治時代以前の建築である。威厳ある武家門、剪定された生垣、表情豊かな玉石垣、瓦屋根、これらがリズムよく連なる街路景観は、見たものの心を奪う美しさがある。各所に駐車場が整備され、案内標識も設置されている。

3.武家屋敷群の保存に取り組む『出水麓街なみ保存会』
『出水麓街なみ保存会』は、住み心地の良い魅力ある武家屋敷の街なみを維持し発展させることを目的として活動している。昭和51年設立の『出水麓武家屋敷保存会』が前身となる住民組織で、平成10年に『出水麓街なみ保存会』として新たに発足。平成27年にNPO法人格を取得して、活動の幅を広げている。会員は出水麓地区、約330戸の住民。活動の内容は、多岐にわたる。公開武家屋敷である竹添邸と税所邸の管理が、主な仕事の一つ。公開武家屋敷に2名ずつ配置されている案内ガイドは、保存会が雇用しており、雇用人数は10名。その他には麓まつりを始め、七夕飾り、ひな人形展示、甲冑着つけ体験など、各種イベントを実施している。

4.出水麓成立の歴史的背景
九州全土を制圧した島津家は、天下統一を図る豊臣秀吉に領土を奪われる。関ヶ原の戦いで石田三成の裏切りを受けた島津義弘は敵軍に取り囲まれるが、すてがまりと呼ばれる捨て身の戦法で、敵陣をくぐり抜けて薩摩へ帰還。関ヶ原の戦いに敬意を示した徳川が、島津家に領土を返還した慶長七年(1602年)に薩摩藩が誕生。
九州制圧で多くの武士を召し抱えていた薩摩藩は、独自に外城制度を設けて、藩の統制を図る。113に区分けした領地に武士を配し、地頭を派遣して外城を治めさせた。この外城の中心が、麓である。
政務が行われた地頭仮屋跡は、現出水小学校。江戸初期に島津義弘が移設させた仮屋門は、小学校の校門として利用され、市指定有形文化財に登録されている。
出水麓は、第3代地頭・山田昌巌の時代に完成。肥後国との境にある出水麓は、国防の要であり、113ある外城の中で最も大きい。武家屋敷には、様々な工夫がなされている。石垣と生垣で囲まれた屋敷は、武家門を閉じれば敵兵からの攻撃を防御できる。敵が攻めいった際に妻子を逃すための通路がある。屋敷内で弓矢の訓練ができるようになっている。これらの工夫は、陣地を兼ねた出水麓の特徴をよく表している。

5.武家屋敷群を特徴づける活動
武家屋敷群の歴史的価値は、出水麓伝統的建造物群保存対策調査によって明らかにされ、保存計画は、出水市伝統的建造物群保存地区保存条例で定められている。しかし、歴史的価値の証明や計画だけでは、景観を保つことはできない。生垣の剪定、壊れた石垣や武家屋敷の補修、街路の清掃など、さまざまな努力が必要である。街路の清掃も含めて、住民によって景観が保たれている。この活動の中心を担っているのが、『出水麓街なみ保存会』である。
保存会主催の「麓まつり」で再現された「児請(ちごもうし)」は、出水麓を特徴づける重要なイベントである。山田昌巌が兵児訓練を目的に始めたこの儀式は、兵児の士気を鼓舞するためのもので、出水麓の武士の精神をよく表している。また、武士の心構えを記した「出水兵児修養掟」は薩摩武士の精神を今に伝えるものとして、大切に守り継がれている。

6.出水麓の抱える問題と今後の展望
公開武家屋敷の管理、案内ガイドの雇用と育成、年間を通じた各種イベントの実施により、年間を通して観光客が訪れる。特に近年は、甲冑の着付け体験、着物を着て街を歩く、座禅体験など体験型観光に注力され、外国人観光客にも喜ばれている。観光客による騒音、ゴミ問題は、現在のところ生じていない。住民コミュニティによって守られてきたことが、出水麓の魅力の一つだが、住民だけでは解決できない建物の老朽化、空き家や空き地の増加は、他の伝建地区と同様に深刻な問題であり、武家屋敷の修繕や景観保存に必要とされる資金不足が課題になっている。
資金の獲得に成功した事例として、同県内の知覧麓がある。知覧麓では、武家屋敷所有者が有限責任事業組合を設立して、観光事業に取り組んでいる。出水麓との大きな違いは、見学料の徴収である。飲食店や土産物屋などの商業施設もあり、知覧の観光ガイドアプリ『ぐるりんちらん』を南九州市が提供するなど、行政による観光開発も行なわれている。
出水麓でも、見学料の徴収が検討されている。武家屋敷の数が多く、各戸の修繕費用への流用は難しいが、新たな公開武家屋敷の整備、観光資源開発への活用が望まれている。空き家を賃貸物件にする、歴史的建造物を文化財として保護することも、景観保全につながる。保存会独自で、武家屋敷を整備する取り組みも始まっている。
観光地化の推進、歴史資料館建設なども、問題解決の手段として挙げられる。しかし、岩井正によるレポート『伝建地区(伝統的建造物群保存地区)の現状と課題』(創造都市研究e2(1)、2007年)では、全国の伝建地区調査によって、観光客の増加と空き家の減少に相関関係はないことが実証されており、観光地化が問題解決の唯一の方法にはならないことが明らかにされている。
出水麓を次の世代に引き継いでいくためには、何が大切だろうか。住民にとって、出水麓の存在は、自らの誇りである。「児請」の再現は、歴史を生きた形で伝える努力として、高く評価できる。過去から現在に至るまで、住民コミュニティによって街が守られてきたことは、特に秀でた特徴である。出水麓の美しい景観を守り、次の世代に継承していくためには、住民相互のつながりを深め、何を大切にしていくのかという共通認識を持つことが必要である。住民の高齢化は、保存会会員の高齢化に直接的に繋がっている。
出水麓を支える人材を確保するためには、外へ向けて街を解放していく必要もある。緩やかに人が集まる場所を作ることで、いろいろな人が集まり、集まった人の力によって、街の活性化に成功している事例は、国内にも数多くある。これまで住民が培ってきた暮らし、育んできた精神に注目する。人が集まる仕掛けを作り、集まった人により形成される相互関係は、住民の安心感に繋がり、より豊かな暮らしを営むきっかけ作りになる。『出水麓街なみ保存会』を中心とした住民コミュニティによる、出水麓の今後の発展に期待する。

  • 31486013_01-1 出水麓武家屋敷群の写真資料
  • 31486013_01-2 出水麓武家屋敷群の写真資料
  • 31486013_01-3 出水麓武家屋敷群の写真資料
  • 31486013_02 国土地理院の電子地形図25000(鹿児島県出水市麓町)を印刷したものを掲載
  • 31486013_03 国土地理院の電子地形図25000(鹿児島県出水市麓町)を印刷したものを掲載
  • 31486013_04 出水兵児修養掟 原文(口語訳)

参考文献

揚村固、小山田善次郎、土田充義著『出水麓の成立と街路の設計理念について(薩摩藩の麓計画とその遺構に関する研究1)』 日本建築学会九州支部研究報告(1989年) 
『出水市出水麓伝統的建造物群保存地区保存計画』
2006年 出水市教育委員会告示第15号
2008年 一部改正 出水市教育委員会告示第2号
『第15回 出水麓まつり』パンフレット(2015年11月1日)
出水市教育委員会『出水の文化財 史跡と文化財 改』出水市教育委員会(1994年10月改訂出版、2002年3月再改訂出版)
展示資料解説シリーズ『出水市立歴史民俗資料館 麓武家屋敷/薩州島津家』
土田充義、小山田善次郎、揚村固著『街道からみた薩摩藩麓の屋敷構えと武家住宅に関する研究』鹿児島大学工学部研究報告 (33)(1991年9月)
福永素久著『中近世移行期における城館の成立と地域社会〜慶長期島津氏の場合〜』史学論叢 36 別府大学(2006年3月)
村上訒一/編集委員『日本の町並み調査報告書集成17九州・沖縄の町並み3』東洋書林(2006年1月)
岩井正著『伝建地区(伝統的建造物群保存地区)の現状と課題 ー伝建地区全国アンケートからみたまちづくりのサスティナビリティー』創造都市研究e 2(1)(2007年1月)