「引込線」にみる地域アートの新たな可能性

糸永 麻子

1.はじめに

1990年代以降、地域の活性化や課題解決といった文脈の中で、日本各地で地域に根差した芸術祭やアートプロジェクト(以下、「地域アート」と定義する)が多数展開されている。一方、そういった地域アートとは一線を画す活動をしているのが、埼玉県所沢市で2008年より開催されている「美術作家と批評家による自主企画展 引込線」(以下、「引込線」)である。

本レポートでは、第6回「引込線2017」実行委員長の伊藤誠氏へのインタビュー内容を軸に、「引込線」でのボランティア活動で得た自身の所感を交えながら「引込線」の活動を評価したい。

2.「引込線」の概要ならびに歴史的背景

「引込線」は所沢市在住の中山正樹、遠藤利克、戸谷成雄を始めとする、同時代の美術に疑問を持つ数名の作家が立ち上げた展覧会であり、2008年のプレ展覧会を皮切りに、2009年以降2年に1度開催されている。

戸谷成雄が書いたエッセイによれば、コマーシャルギャラリーや美術館におけるポピュリズムの横行、それに起因する芸術作品の質の軽視、「受けるか受けないか、売れるか売れないか」といった価値基準の浸透、美術批評の弱体化といった当時の美術を取りまく状況に対する危機感から、表現者の原点に立ち還り、状況に振り回されない自立した場を作るべく「引込線」が立ち上げられたという[註1]。

「引込線」には、作家に加えて批評家も参加し、企画運営から広報活動まで全て手弁当で行っている。また展覧会、イベント・ワークショップに加え、展示の記録と美術批評を収録した図録の発刊という3本柱から成る、ユニークな構成となっている。なお、「引込線2017」には20組の作家と16名の批評家が参加し、約20日間にわたる会期中約2000名が会場を訪れた。

3.「引込線」の評価すべきポイントと、他の地域アートとの相違点

他の地域アートとの比較を踏まえ、「引込線」の特徴を3つの切り口から評価したい。

3-1. 統一的テーマの排除

まず、展覧会のテーマである。地域アートでは開催年毎にテーマを掲げ、それに沿って作家や作品の選定がなされることが多い。例えば、2017年に開催された黄金町バザールでは「他者と出会う複数の方法」をテーマとし、新たな価値観やその多様性への気付きを鑑賞者に喚起させるような構成とした[註2]。鑑賞者からすると作品を読み解く一つの手がかりとなるテーマを、「引込線」ではこれまで一貫して排除している。

テーマを排除した背景として、発起人を含め「引込線」に関わってきた人の多くが彫刻家である事実に一因があるという。伊藤氏は「鑑賞者に何の手がかりも提示せずに作品を作ることは、作家にとっては腕試し。鑑賞者にとってもハードルは高いが、『皆にとって分かりやすい』のではなく、作品と向き合うことで『自分だけが分かった』と感じてもらえる場が必要。『作品』が生まれる瞬間に立ち会って欲しい」と語る。ロバート・スミッソンは、彫刻を完了した形態としてではなく、時間や空間の影響を受けながら絶えず変化したり消滅したりする流動的なものとして捉えていたという[註3]が、おそらく「引込線」に関わってきた彫刻家たちもスミッソン同様、作品は作り上げた時点で完成するのではなく、特定の時空間に置かれてその影響を受けながら、鑑賞者との間において初めて成立するものと捉えてきたのではないだろうか。その意味において、テーマが一切排除された「引込線」においては、作家は何にも縛られずに自身の表現を徹底的に突き詰める機会を与えられ、鑑賞者は手がかりのない、ある意味不便かつ不親切な状況下においてじっくり時間をかけて作家の表現と対峙する機会を与えられ、その両者が重なり合って初めて作品が生まれる、ということになろう。自身の経験を省みても、昨今の地域アートは展示作品数が非常に多く、短時間で効率的に作品を鑑賞しようと、鑑賞者が駆け足で作品を「消費」するケースが残念ながら少なくはない。その一方、「引込線」ではテーマの排除により、作品が生モノとして「創出」される場に鑑賞者を介在させ、鑑賞者が作品を作品たらしめる触媒機能を果たすような環境づくりをしている点で非常に特徴的といえる。

なお、テーマがないことで展覧会としてのまとまりに欠けるかといえば、決してそうではない。彫刻、映像等作品の形式は多種多様ながら、個々の作品から放たれるみずみずしい表現力や力強いエネルギーは全ての作品に共通して感じられ、それらが展覧会を束ねているといえよう。

3-2.オルタナティブな展示会場

次に、展示会場である。「引込線」では美術館やギャラリーではなく、一貫してオルタナティブな場所を会場としており、これまで所沢市内の鉄道車両工場跡地や廃校となった小学校跡地、旧学校給食センター等で展覧会を開催してきた。例えば中之条ビエンナーレのように、使われなくなった旧校舎や酒蔵を会場の一部として使用するケースはある[註4]が、会場をオルタナティブなスペース1箇所に限定し、美術館等の公共施設に頼らないのは比較的稀な例であろう。「引込線2017」が開催された旧所沢市立第2給食センターには厨房機器や排水溝が残置されており、決して展示に適した場所とは言えない。場の個性も非常に強いが、その場の雰囲気に飲み込まれない作品の強さが逆に際立つ。

「敢えてチャレンジングな環境を選ぶことで作家がその場をどう捉え、いかに日常空間を異化させるか、その力量を問うている」と伊藤氏は語る。単に未使用の地域資源を活用する、といった視点に留まるのではなく、作家が真摯に表現と向き合える場を作ろうとするストイックな姿勢が伺える。

3-3.「質」の追求

上記の点を総括すると、「引込線」は他の地域アートとは異なる文脈に位置しているといえる。例えば横浜トリエンナーレやあいちトリエンナーレの収入の65%~75%が文化庁や県・市の補助金、負担金でカバーされている[註5]ことから推測出来るように、一般的な地域アートでは予算の拠出元が行政であるがゆえに、その大義名分が地域貢献となり経済効果といった「量」の成果を出すことに比重が置かれる結果、集客に結び付く作家・作品の大量誘致を余儀なくされ、相対的に展示や作品の「質」の追求が後手に回っているように感じることもある。一方、「引込線」は作家・批評家が自費で行っているからこそ、「量」で結果を出すことに追われることなく、表現者として「質」にこだわり続けることが出来るのだろう。

4.今後の展望

本レポートでは決して他の地域アートのあり方を批判するものではない。しかしながら、一部の成功モデルを模倣し、似通った地域アートが日本各地でみられる昨今において、表現者としてのあり方を問い続け、地域に媚びることなく表現の「質」にこだわり、その「質」の高さゆえに所沢市内外から多くの鑑賞者を惹きつける「引込線」の活動は、地域アートのひとつのロールモデルであり、新たな可能性を示唆しているといえるのではないだろうか。

「引込線」は、今まさに転換期を迎えようとしている。より多くの鑑賞者にその価値を浸透させ、展覧会を継続していくには資金とマンパワーの確保が不可欠であり、作家・批評家が自費で運営している現状にはどうしても限界がある。表現の「質」を維持し、地域に媚びず、独自のセオリーを貫きながらもいかに資金と人手を集めるかが今後の課題となる。

後援の所沢市は「引込線」をまちを特徴づけるファクターとしてポジティブに捉えており、今後所沢市より助成金を得ることも一つの選択肢となり得よう。その場合もあくまでも作家や批評家が主導権を握りながら、引き続き表現の「質」を追求してくれることを願いつつ、「引込線」の活動に注目していきたい。

  • 1 「引込線2017」ポスター(2017年8月26日筆者撮影)
  • 2 「引込線2017」会場内の様子①(2017年8月26日筆者撮影)
  • 3 「引込線2017」会場内の様子②(2017年8月26日筆者撮影)
  • 4 「引込線2017」会場内の様子③(2017年8月26日筆者撮影)
  • 5 インタビューに応じて下さった、「引込線2017」実行委員長・伊藤誠氏(2018年6月27日筆者撮影)

参考文献

[註1]引込線実行委員会『引込線2015』図録、2015年、40~42ページ
[註2]黄金町バザール2017HP http://www.koganecho.net/koganecho-bazaar-2017/
[註3]松井みどり『アート:“芸術”が終わった後の“アート”』朝日出版社、2013年、43ページ
[註4]中之条ビエンナーレ 国際現代芸術祭 http://nakanojo-biennale.com/
[註5]宮津大輔『現代アート経済学』光文社、2014年、67・81ページ

参考文献:
所沢ビエンナーレ実行委員会『所沢ビエンナーレ・プレ美術展2008』図録、2008年
引込線実行委員会『引込線2015』図録、2015年
引込線実行委員会『引込線2017』図録、2017年
「引込線2017」参加の呼びかけ(配布資料、伊藤誠氏提供)
「引込線2017」企画書(配布資料、伊藤誠氏提供)
松井みどり『アート:“芸術”が終わった後の“アート”』朝日出版社、2013年
宮津大輔『現代アート経済学』光文社、2014年
藤田直哉『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版、2016年
野田邦弘『文化政策の展開 アーツ・マネジメントと創造都市』学芸出版社、2015年

引込線HP:http://hikikomisen.com/
黄金町バザール2017HP:http://www.koganecho.net/koganecho-bazaar-2017/
中之条ビエンナーレ 国際現代芸術祭:http://nakanojo-biennale.com/