ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)における建築保存の意義と未来
はじめに
本建物のある芦屋市は、日本屈指の高級住宅地として知られている。明治末期の大阪は「東洋のマンチェスター」と比喩される工業の発展を遂げ、大気汚染、水質汚染など住環境の悪化に悩まされていた。風光明媚な田舎であった阪神間を、健康的住環境に適した地域として医師が提唱したことで、財を成した大阪船場商人や富裕層家族が住吉川沿いあたりへ移住を始める。当時は別荘地と考えられていた芦屋にも阪神、国鉄(現JR)、阪急電鉄が順に敷設され、職住分離が可能になり、移り住んだ富裕層により優れた住環境を育んできた。旧山邑邸も元は別荘として建てられ、現在修復工事のため閉館中だが、筆者が2017年11月4日保存修理工事見学会にて館長岩井氏の案内により、内部を詳細に見学できたことは本稿作成にとってまたとない好機であった。建築の修復と保存の問題点、意義を考察する。
1.基本データ
所在地:兵庫県芦屋市山手町3-10、℡:0797-38-1720、芦屋川特別景観地区(註1)に位置する。
所有者:株式会社淀川製鋼所
構造:鉄筋コンクリート造、敷地面積5200㎡、建築面積359.1㎡、4階建ての陸屋根。
設計者:フランク・ロイド・ライト(註2)
1924年竣工
1974年国指定重要文化財。
2016年10月より約2年間の補修工事を行っており現在閉館中。
2. 歴史的背景
神戸市灘の酒蔵櫻正宗、八代目山邑太佐衛門の別邸としてフランク・ロイド・ライトによって1918年に設計された。シカゴ万博における日本の建築展示物に感銘を受けたといわれるライト(以降ライトと表記)は1906年初来日する。その後東京の帝国ホテルの設計を支配人林愛作氏より依頼され再び来日し6年間滞在したが、ホテル側と金銭面での折り合いがつかず、竣工を待たずに帰国する。
旧山邑邸は、帝国ホテル建築のため来日中だったライトに、彼の弟子である遠藤新と八代目山邑太左衛門を岳父に持つ星島二郎氏が親友であったことが縁で遠藤新を介して設計が依頼された。星島二郎氏の回想によると、芦屋にライトと赴いた折の様子を「(ライトは)現在の敷地を見て非常に気に入り、是非このような場所で建築させて欲しいと希望した。私はこの建物の設計に当たって、ライトは何にも惑わされることなく、思う存分の仕事ができたように思える。」と語ったそうだ(註3)。旧山邑邸建築予定地は、芦屋川の北端、背後に六甲山を仰ぐ坂にあり自然の常緑樹に囲まれていた。また、南に芦屋浜、大阪湾まで見下ろせる高台の丘陵地をライトが面白いと感じ「有機的建築」を唱えた彼にとっては、魅力的に映ったのではと考えられる。そのため原設計から4層構造(写真1)という立地に則した構造をとった。しかしライトは帝国ホテルの完成前に帰国したので、後を引き継いだ遠藤新と、同じくライトの弟子である南信の二人が中心となり、1924年に施主山邑太左衛門、工事設計監理遠藤新建築製作所、工事施工女良工務店により竣工したのである(註4)。
3.評価したいところ
・ライトは帝国ホテルに携わった6年間、日本で約12件の計画案を引き受けその半数が建築された。母国アメリカ国外で作品が現存するのは日本が一番多く4件で、帝国ホテル(一部)、林愛作邸(改築され一部残る)、旧山邑邸、自由学園明日館のみであること。20世紀の建築の巨匠ライトが設計した住宅として、完全な形で残る作品自体を評価したい。
・筆者が訪れた修復時の見学会での説明によると、ライト建築の特徴のひとつである大谷石(註5)が多用され、関東大震災前に旧山邑邸のために宇都宮からすでに運び込まれていた。狭い玄関入り口はつづく応接室の空間を広く見せるためで、左右対称に大谷石の暖炉が設えられている。あえて緑青を施した(植物の葉の色を模して意図的にした)飾り銅板が美しく、階段、暖炉は大谷石を、床、木建はマホガニーを使用している。施主の希望で和室も三間作られ、使用人部屋も広くはないが機能的である。バルコニーからの眺望も樹木の向こう、遠く大阪湾が望めるよう、周辺の自然環境のなかに溶け込む設計である。ライトが好んだといわれる立地の勾配に合わせて建物にも小さな階段の高低があり、迷路のように面白みのある空間である。当時としては珍しく電化されていたことも特徴的であり、住まいとして設計されたライト建築の特徴を残す作品としても評価したい。(写真2)
4.保存と修復、他の事例との比較
1971年、旧山邑邸が取り壊されマンション建築の話が起こった。それを聞いた日本建築学会の建築史研究関係者の有志は、帝国ホテルの保存運動が東京に保存されることは叶わず、愛知県犬山市の明治村に一部が移築されるという結末に至ったことに鑑み、このような事態を避けるため、旧山邑邸の建築史における重要性、芦屋の地に保存する意義を訴えようと、兵庫県、芦屋市、当時の所有者淀川製鋼所社長及び文化庁長官宛てに意見書を提出した(写真3)。それを見た淀川製鋼所井上利行社長は快諾し、マンション建築を取り下げ、ライト建築の保存に理解を示したことは大きな英断であったと言える。
博物館明治村に移築された帝国ホテル玄関ホール内部は、ライトの建築の特徴を存分に残しているし、明治村設立趣意書(註6)における理念も素晴らしい(写真4)。旧山邑邸は帝国ホテルほどの華やかさはないが、土地に見合う設計を行った場所に建物を保存することの意義を重んじた人々の勝ち取った結果であった。その後の修復と保存の努力を概観する。
【修復工事の変遷】
1974年5月:国の重要文化財に指定される。
1981年7月:調査工事開始
1985年7月~1988年12月:保存修理工事
1989年6月:一般公開
1995年1月~1998年3月:阪神淡路大震災により被害を受け、95年6月より調査・修理工事開始。
1998年5月:一般公開再開
2016年10月:保存修理工事開始
2016年11月:約2年間保存修理のため一時閉館
(註7)
大規模修理は、重要文化財指定を受けて1985年から始まったものが、修理工事費が総額2億3500万円(国庫補助50%、兵庫県補助15%、芦屋市補助10%、所有者負担20%)に対して、1995年の阪神淡路大震災後の災害復旧工事は、総額5億4000万円余(国庫補助70%、兵庫県補助10%、芦屋市補助10%、震災復旧基金補助5%、所有者負担5%)(註8)。
10年という時を経て、日本の文化財保存に対する意識が格段に向上したことを投じられた金額が示している。まだ、2016年からの工事費用は明らかになってはいないが、防水処理、大谷石の擬石復旧など課題は多く相当な額になる可能性がある(写真5)。補修後は一般公開予定である。
5.今後の展望と問題点
貴重な文化財を維持保存するためには、高い理念と財源が不可欠である。震災の多い日本で、耐震性耐火性の高い補修工事を施し、次世代に残すためには、所有者と市民の理解が重要である。修復工事の負担率は所有者より芦屋市が高い、市民の税金である。
芦屋市の景観に関する条例の変遷を見ると、1951年芦屋国際文化住宅都市建設法を制定し、旧山邑邸が重要文化財に指定された同年に芦屋市宅地開発等指導要綱を制定している。1996年には芦屋市都市景観条例、有識者による景観アドバイザーも設置され景観を守る動きは活発化していった。2012年には、芦屋川特別景観地区を取り決め「緑豊かな美しい芦屋の景観をめざして」を冠した街並み保全が全国的に見ても進んだ自治体である。景観保全に関する広報活動、公開再開後の建物利用など工夫も必要である。
淀川製鋼所の社会的貢献と経済的負担を持ちこたえる体力、芦屋市民の景観に関する高い意識なくしてこの建築物を保存することは難しい。周辺では、維持管理の困難から由緒ある洋館が取り壊された後に、マンションが建つことも珍しくはない。
おわりに
阪急芦屋川駅から徒歩10分、芦屋川沿いを北へ登ると開森橋、地元の人が名付けたというライト坂(写真6)が続き、大谷石の重厚な作りを見上げ進むと門が迎える。ライトが好んだ地形に建つ財産を淀川製鋼所、市民と行政が一体となり、ライトの作品としての価値だけではなく、良質な景観、住環境を守ろうとする地にある街並みのシンボルとして保存されることを期待したい。また、芦屋の人々にはその景観環境を享受する権利があり、義務を負っている自覚、愛着が保存を支えるのだと確信する。
- 写真1:ヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)、平面図、立面図、ヨドコウ迎賓館パンフレットより。
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写真2:補修工事中の内部の写真掲載は禁止されたため、ヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)ホームページより外観と内部の様子。
ヨドコウ迎賓館ホームページhttps://www.yodoko.co.jp/geihinkan/index.html、2018年1月8日アクセス。 - 写真3:参考文献②「旧山邑邸理解のために」意見書と会議出席者。2017年12月6日筆者撮影。(非公開)
- 写真4:愛知県犬山市博物館明治村、帝国ホテル、2017年12月6日筆者撮影。
- 写真5:補修工事中のヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)外観、2017年11月4日筆者撮影。
- 写真6:ライト坂の案内板、2017年11月4日筆者撮影。
参考文献
【著者訪問】
・ヨドコウ迎賓館(旧山邑邸訪問)保存修理見学会、見学、聞き取り調査、2017年11月4日。
・栃木県宇都宮市「大谷資料館」、「宇都宮市役所」訪問、聞き取り調査、2017年11月15日。
・愛知県犬山市「博物館 明治村 帝国ホテル中央玄関」訪問、聞き取り調査、2017年12月6日。
【註釈】
(註1)芦屋川沿いの特定地域を芦屋市が2012年に「芦屋市景観条例」よりも厳しい規制を設けた。参考文献⑥参照。
(註2)1867年アメリカ生まれの近代建築の巨匠。シカゴの建築家サリヴァンの元で勤務ののち独立、「プレーリースタイル」「有機的建築」といった建築スタイルを提唱した。日本の浮世絵にも造詣が深く、蒐集家としても有名である。
(註3)参考文献②P5より引用。
(註4)参考文献③P46より引用。
(註5)栃木県宇都宮市大谷の付近一帯から採掘される新生代第3紀中新紀(今から1500万年前)に属する。流紋岩質角礫凝灰岩の総称であります。参考文献⑱より引用。
(註6)「明治時代の各種の歴史資料を収集管理して博物館を設置し、広く一般に公開するとともに、明治の新しい精神に立脚した社会教育の振興により、現代及び将来の国民大衆に歴史の指針を与え、その一般教養の充実を図ることによって、文化の向上に寄与することを目的とする。」参考文献⑯、<設立趣意書より>全文引用。
(註7) 参考文献④、ヨドコウ迎賓館の来歴より抜粋引用。
(註8) 参考文献③P60から引用。
【参考文献】
①大手前大学総合企画室(公開講座担当)『歴史と文化の旅』、2012年、大手前大学
②日本建築学会近畿支部旧山邑邸保存問題特別委員会編『旧山邑邸理解のために:F.L.Wright設計・兵庫県芦屋市現存YAMAMURA HOUSE保存問題関係資料』、1972年3月、日本建築学会
③谷川正巳、宮本和義『フランク・ロイド・ライト旧山邑邸ヨドコウ迎賓館』、2014年、バナナブックス
④株式会社淀川製鋼所 PRグループ「ヨドコウ迎賓館 保存修理工事見学会(平成29年11月3日・4日)」2017年11月4日、著者見学会参加の際の配布資料
⑤ヨドコウ迎賓館パンフレット、2016年、株式会社ヨドコウ製作所発行
⑥芦屋市『芦屋川特別景観地区 概要』2012年、芦屋市都市環境部都市計画課
⑦芦屋市『芦屋景観地区 景観形成ガイドライン』2009年、芦屋市都市環境部都市計画課
⑧芦屋市『芦屋市景観計画 美しい芦屋をまもる・つくる・そだてる』2015年、芦屋市都市建設部
⑨藤村郁雄『阪神間モダニズム 近代建築さんぽ』2011年、神戸新聞総合出版センター
⑩フランク・ロイド・ライト、富岡義人訳『自然の家』2010年、筑摩書房
⑪谷川正巳『フランク・ロイド・ライトの日本 浮世絵に魅せられた「もう一つの顔」』、2004年、光文社
⑫フランク・ロイド・ライト、三輪直美訳『有機的建築』、2009年、筑摩書房
⑬岡野眞『フランク・ロイド・ライトの建築遺産』、2005年、丸善株式会社
⑭明石信道、村井修『フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル』2015年、建築資料研究社
⑮博物館明治村パンフレット(2017年12月6日著者訪問)
⑯NPO法人 大谷石研究会編集、発行『大谷石百選』、2016年、
⑰大谷石内外装材協同組合パンフレット「大谷石の世界」、大谷石協同組合発行パンフレット「大谷石の魅力」、栃木県庁産業政策課訪問(2017年11月15日著者訪問)にて入手。
⑱大谷資料館パンフレット
⑲自由学園明日館ホームページhttp://www.jiyu.jp/index.html、2017年12月26日アクセス
⑳ヨドコウ迎賓館ホームページhttps://www.yodoko.co.jp/geihinkan/index.html、2018年1月8日アクセス。