根子番楽

鈴木 亜衣里

根子番楽

1-1 はじめに
秋田県北秋田市阿仁町に根子集落という小さな村がある。根子に現在では国の重要無形民族文化財に指定されている番楽がある。「根子番楽」はおよそ数百年に渡って守られ継承され続けた舞と音楽を使った民族伝統芸能であり、郷土芸能である。

1-2 秋田県北秋田市阿仁町根子集落について
秋田県の統計によると現在、根子集落には人口約156人、65世帯が住んでいるとされている。しかし、実際には空き家もいくつかあり、実際の住民数は定かではない。根子集落の特徴の一つはその地形にある。集落の中心部には根子川が流れ、民家が集まっている。四方を山で囲まれたすり鉢状の盆地になっており、集落周辺の大地には田畑が作られ、その奥の山には杉の植林が成されている。この集落は源平の落武者が逃げ込み、周辺から見つからないよう周りが森で囲まれた集落として開拓したと言われている。

1-3 「根子番楽」とは
閉鎖的な地形と環境で根子番楽が誕生し、長い年月をかけて現代まで継承されてきた。番楽とはそもそも山岳地帯を中心に広がった祈祷目的の舞楽で、奥羽山脈を境に太平洋側のものは山伏神楽、日本海側のものは番楽と呼ばれている。根子番楽は、武士を主人公にした舞が多く、太鼓、笛、手ひらがね、拍子板、ホラ貝の伴奏にのせて舞うもので、東北地方に伝承されている神楽の中でも特に歌詞や芸態の伝承が確実なものの一つと言われている。毎年8月14日に旧根子小学校の体育館で演じられる。舞台後方にところどころ縦に切り目の入った番楽幕と呼ぶ布幕を張られ、向かって左に太鼓、板を二本の棒で叩く拍子板、手ひらがねの演奏者が座り、右側には笛の演奏者が座る。演目の順番はいつも決まっている。まず楽器演奏が行われ、次に口上を述べてから、演目ごとに決まった幕出歌によって舞手が登場して舞う。一つの曲に少なくて1人、多いと4、5人が登場する。代表作は牛若丸と弁慶を描いた「鞍馬」で、少年が扮する牛若丸が登場して舞い、後に弁慶が長刀を持って登場して牛若丸と戦う。牛若丸は弁慶が払う長刀を飛び跳ねたり、とんぼがえりして避け、弁慶が持つ長刀の柄に牛若丸が立ち、弁慶が牛若丸ごと持ち上げる。牛若丸は、弁慶の長刀の柄を軽く踏んで退場。残った弁慶は、長刀を振り回し、両手で持った長刀の柄を飛び越し、最後に一礼して退場。他に「鐘巻」は、いわゆる道成寺ものである。蛇の化身とされる者が山伏と争って退場した後に、幕の下方から長さ約二メートルの作り物の蛇が出る。この蛇は、頭部は木製で、胴は竹の輪に布を張った蛇腹である。頭部と尾の部分に短い棒を取り付けて、幕の奥から幕の切れ目に棒を通して、表側の蛇を操作する。最後に蛇の口に花火を点火し、火と煙を出して山伏と争うというもので、根子番楽では、必ず最後に演じる人気演目となっている。

2-1 「根子番楽」が特に優れていると思われる点

根子番楽は山伏神楽の流れを組み、舞には鎧をつけ鉄製の刀を打ち交わす武士舞と静かな古典舞の二つに大別される。それらの舞の形は能楽の先駆である幸若舞以前のものであると言われており、歌詞や口上が上級武家らしく文学的に優れている。そのため、「村人は源平落人の子孫と称し、古来弓矢に長じ狩猟を生活としてきただけに、ここの番楽は他のそれに比して勇壮である」と民俗学者の折口信夫氏は評している。また、根子番楽では、獅子舞を行わず、勇壮な武士の舞を中心に伝承し、作り物の蛇や牛若丸の所作など特色ある工夫を加えている事からも、人びとの楽しみとして伝承され演じられてきたことがうかがわれる。動きも観客の興味と注意をそそるような派手なものが多く見られる。ゆったり静かな動きと言うよりもきびきびと弾みをつけ、側転や飛ぶ、跳ねるといった動きが多い舞が中心となっている。そのため、観客を飽きさせない事、又、演者にとっては運動量が多く、スポーツのように健康効果が期待できると言われている点が興味深いと思われる。

2-2  現在の「根子番楽」
番楽の練習は毎週水曜日の夜である。近隣住民や親戚、友達との世代を越えた町内会の延長線のような良き交流の場となっている。「自分の父親も祖父も若い頃牛若丸を演じた。今度は自分の番である。」というような話も多く、練習場所には孫を指導する男性の姿も見られる。根子番楽は根子、及びその周辺地域に住む人々の重要なアイデンティティの一つとして、地域のコミュニティ形成に役立っているのである。筆者が根子を訪れ、番楽の練習と公演を見学した時もまるで家族行事のような身内間の暖かい雰囲気が流れている点が印象的であった。

2-3 根子番楽の持つ意味
根子は「マタギ発祥の地」として知られ、昔は狩猟が主な産業で、毛皮や肉はもちろん、熊の胆(い)が貴重な薬であったため、薬の製造、行商も盛んに行っていた。「根子番楽」はマタギと縁が深く、番楽を舞う人たちは同時にマタギも行っていた。マタギが祀っている山の神様、「山神社」に番楽をもって奉納していたのである。そのため、番楽は神様への奉納の舞とも言える。
しかし、近年は集落の人口減少、とりわけ児童が少なくなり、存続が危ぶまれている。その昔、番楽は世襲制で、一部の家の長男にのみ継承されていたが、やがて後継者不足になり、昭和40年頃以降からは男子のみではなく、女子も演じることが出来るようになった。明治以前に伝承者が限定されていたのは、他地区の依頼に応じて番楽を演じて得られる収入を確保するために、伝授を限定したためともいわれる。

3-1 インドネシアのレンゲルダンス
「根子番楽」と類似した伝統芸能であるインドネシアの「レンゲルダンス」を事例に取り上げたい。
インドネシア、ジャワ島のジャングルの中に位置する田舎町、バニュマスに伝わる伝統芸能「レンゲルダンス」は豊穣祈願、神降ろしの儀としてかつては女装した男性たちによって踊られて来たが、現在では男性の踊り手が不足するようになり、女性も踊るようになった事で継承が守られている。レンゲルダンスの起源は定かではないが、現在ではイスラム教徒が多いバニュマスだが、イスラムが伝来するずっと前から土着の神々への祈祷目的として発祥したと言われている。根子番楽同様に、元々は家族内の男性のみが地域で集まり、歌い手と楽器演奏者、踊り手の役割に分かれて奉納の目的で演じられて来た。近年ではバニュマス出身のダンサーが世界に出て、レンゲルダンスを広め始めた事をきっかけに日本でも知られるようになった。タイトなロングの巻きスカートのような衣装で舞う事もあり、番楽のように飛んだり跳ねたりはなく、膝を深く曲げ、低姿勢で腰を使う動きが特徴的である。全体の流れは根子番楽と同じく、始めに演奏者がマイクを使って口上を述べてから歌い始め、それに合わせて踊りが次々に発表されていく。全員でわずか3、4人の踊り手が何曲も連続で踊ったりしながら、約4時間続く。飛ぶ、跳ねるというような動きはないものの、長時間舞続ける運動量は根子番楽に匹敵するのではないかと推測できる。

3-2 今後の展望
根子の小学校はすでに廃校となっており、根子に住む子供達は外の町の学校に通学している。番楽を舞う子供達や多くの大人達も現在では根子の外から毎週練習のために村を訪れているのである。郷土芸能として東北に位置するこの土地の風土や歴史を反映し、地域文化形成に重要な役割を果たして来てきた根子番楽が今後形を簡易化や省略化などする事なく次世代へと継承していく事が大きな課題であると思われる。日本は特に少子化が進み、秋田県にとどまらず全国的に地方の小さな村や集落は人口減少、とりわけ子供が年々減ってきており、郷土芸能の継承が心配される。現代ではインターネットの普及、又グローバル化に伴い、秘境の郷土芸能は地域の人々限定で守られていくだけでなく、一般的に多くの人々に知られ易い状態になっている。「根子番楽」は世界に誇れる日本を代表する文化芸能活動の一つとして今後も大切に守られていくよう期待したい。

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  • 3jsessionid4aa14ca6eb46b91e9a8b54ea6cf25aef 「根子番楽」 出典「美の国秋田・桃源郷をゆく」
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参考文献

「根子集落へようこそ」http://gingaexp.web.fc2.com/01nekko/nekko.htm
「秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト」http://common3.pref.akita.lg.jp/genkimura/area/list.html
「郷土芸能」 (1958年) (無形文化財全書)  三隅 治雄 (著)
「美の国秋田・桃源郷をゆく マタギの里・根子番楽」http://www.akita-gt.org/study/bunka/neko-bangaku.html