制度設計が支える持続可能な芸術祭: バンクーバー・ミューラル・フェスティバルの実践から

江口 空

はじめに
現代の都市において、アートは美術館を飛び出し、地域活性化を担う役割を持つ。しかし、日本の芸術祭の多くが単発的な「イベント主義」に陥り、持続可能性の課題を抱えることも少なくない。文化の単発的な消費ではなく、いかにして地域に根差した価値を創出するかが今日の課題である。

本稿は、この課題への優れた解として、カナダの「バンクーバー・ミューラル・フェスティバル(Vancouver Mural Festival、以下VMF)」を取り上げる。VMFは、巧みな「制度設計」によって芸術的価値、持続可能性、社会的インパクトを両立させる先進事例である。本稿ではVMFを「ソーシャル・デザイン」の実践として分析し、国内外の事例比較を通じてその独自性を明らかにし、今後の都市における文化政策のモデルを提示することを目的とする。

1. 基本データと歴史的背景
VMFは、2016年に非営利団体VMF Societyによって設立された都市型アートプロジェクトである(1)。活動の中心地マウントプレザント地区は、当時ジェントリフィケーション(都市の高級化)が進行し、地域の文化を担ってきたアーティストらが活動の場を失うという課題を抱えていた。VMFは、アートによって地域の固有性を再確認し、コミュニティに対話を促す社会的機能が期待され発足した。

その運営体制は、設立当初から持続可能性を意図してデザインされている。非営利団体が主体となることで透明性を担保しつつ、市や州からの公的助成金と、民間企業からのスポンサーシップを組み合わせた混合財源モデルを確立している(1)。これは、単一の財源、特に年度ごとに変動しがちな行政の助成金に過度に依存する体制の脆弱性を回避するための、意図的なリスク管理設計である。特定のスポンサーの意向に活動が左右されることも防ぎ、NPOとしての独立性を保つ上でも極めて重要な役割を果たしている。

また、アーティストの選出プロセスには、DEI(多様性・公平性・包摂性)の観点が明確に制度化されている。これは、歴史的に男性や白人アーティストに偏りがちであったパブリックアートの世界に変革をもたらす試みである。公募要項でBIPOC(黒人・先住民・有色人種)やLGBTQ+アーティストの応募を奨励し、選考委員会の構成も多様性を担保することで、特定の価値観に偏らない選考を保証している(2)。

2. 事例のどんな点について積極的に評価しているのか
第一に、社会課題解決を目指す「ソーシャル・デザイン」としての制度設計を高く評価する。全アーティストに適正報酬を支払う仕組みは、不安定な芸術家の労働環境という課題に直接向き合うものである。また、壁画制作に際し、建物所有者、地域住民、アーティスト間の合意形成プロセスを必須とすることで、公共空間利用を巡るトラブルを未然に防ぎ、アートを地域全体の「コモンズ(共有資源)」として育む仕組みが機能している(2)。具体的には、デザイン案の事前公開、地域住民への説明会、フィードバックを反映する修正期間などが制度的に設けられている。これにより、壁画が一部のアーティストによる一方的な表現ではなく、地域が主体的に受け入れ、誇りを持てる「我が街のアート」へと昇華される。このプロセス自体が、コミュニティの対話と信頼関係を育んでいる。

第二に、アートによる社会包摂の実践である。VMFは、BIPOCや若手アーティストに発表の機会を積極的に提供してきた。例えば、市内の空きテナントを活用した「Un-Leased」プロジェクトは、都市景観から排除されがちなマイノリティの視点を公の場に描き出すことで、多様な市民が自らの存在を肯定できる「共創」の場を創り出している(2)。彼らにとって自らの作品が街の一部となることは、「この街は自分の居場所でもある」という強いメッセージとなる。

第三に、地域に根差した運営スタイルである。Technical DirectorのBritany氏は「VMFの使命は“壁を飾ること”ではなく、“対話を生むこと”である」と語る(インタビュー、2024年5月)。氏の言う「対話」は多層的だ。それは、壁画の歴史について世代間で、あるいは異なる文化背景を持つ者同士で語り合うきっかけを指す。VMFは壁画を完成品としてではなく、地域社会における永続的なコミュニケーションを誘発する「触媒」としてデザインしている。この姿勢は、単なるイベント運営を超えた文化政策としての成熟を示している。

3. 国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか
VMFの独自性は、類似事例との比較で一層明確になる。トロント市の「StreetARToronto(StART)」も、公的資金でアーティストに報酬を支払い、都市景観の改善を図る点で共通する(5)。しかし、StARTが行政主導であるのに対し、VMFは非営利団体が主体であるというガバナンス構造に決定的な違いがある。行政主導型は政治的影響を受けやすいリスクを抱えるが、VMFのNPOモデルはそれに左右されにくい長期的なビジョンと運営の柔軟性を持つ。この自律性がVMFの先進性を支える核心的なデザインである。例えば行政主導の場合、首長の交代や議会の方針転換によって、ある日突然予算が凍結されたり、事業の方向性が180度変わったりするリスクが常に存在する。VMFのNPOモデルは、そうした政治の気まぐれから距離を置くことで、真に長期的な文化育成を可能にしている。

また、モントリオールの「MURAL Festival」は、商業性や観光資源としての「スペクタクル性」に軸足を置く(4)。対してVMFは、社会包摂や対話といった公共的意義を最優先し、「都市におけるアートの役割とは何か」という根源的な問いに地域住民とともに挑んでいる。その参加型の姿勢は、他の商業的イベントとは一線を画している。

4. 今後の展望について
2024年、VMFは大規模な「夏祭り形式」の一時停止を発表した(6)。しかしこれは後退ではなく、Britany氏の言う「“フェスティバル”から、年間を通じて機能する“文化プラットフォーム”への進化」に向けた戦略的転換である。これは、一過性のイベントではなく、アーティスト、住民、行政らが恒常的に繋がり、新たな文化プロジェクトを生み出す都市の「OS(オペレーティング・システム)」への進化を意味する。具体的には、全壁画のデジタルアーカイブや、AR技術による鑑賞体験の拡張などが構想されている。

この進化の方向性を象徴するのが、先住民アーティストとの協働の深化である。先住民の織物文化を都市に反映させる「Blanketing the City」プロジェクトは、単なるアート展示ではない(3)。植民地主義の歴史の上にある都市で、失われた文化を「可視化」し、土地の歴史を回復しようとする、カナダの重要課題である「和解(Reconciliation)」のプロセスそのものである。これはVMFが、より深い社会的責任を担おうとする姿勢の表れであり、今後の活動の根幹となるだろう。カナダにおける「和解」は、先住民から土地や文化を奪った植民地主義の歴史を直視し、その過ちを償う国家的なプロセスである。VMFがこの重いテーマにアートを通じて取り組むことは、単なる社会貢献活動を超え、都市のアイデンティティそのものを問い直す行為と言える。アートが、忘却されがちな歴史の証言者となり、未来に向けた対話の礎を築く可能性を示している。

5. まとめ
VMFは、単なるアートイベントではなく、「制度」としてのアート活動を設計・運営している点において、突出したモデルである。アーティストへの適正報酬、多様性の制度的保障、合意形成プロセス、そして非営利団体による自律的ガバナンスといった複合的要素が、一過性のプロジェクトとは異なる持続可能性と社会的インパクトを生み出している。VMFの実践は、日本各地の芸術祭が直面しがちな「単発性」や「行政依存」といった構造的課題に対する、具体的な解決策を示唆している。その「制度設計」は、文化による持続可能な地域社会を構築するための、極めて重要な参照モデルとなるだろう。

  • 81191_011_32086001_1_1_1 マウントプレザント地区のビルを彩る象徴的な壁画。VMFは都市の壁をキャンバスに変え、新たな文化的景観を創出している。2025年7月20日、筆者撮影)
  • 81191_011_32086001_1_2_2 「使命は対話を生むこと」と語るVMFのTechnical Director、Britany Lawrence氏。アーティストやコミュニティとの丁寧な対話を重視するVMFの姿勢を象徴している。(2025年5月25日、筆者撮影)
  • 81191_011_32086001_1_3_3 先住民アーティスト、デブラ・スパロウとの協働プロジェクト《Blanketing the City》。失われた土地の歴史を可視化し、カナダの重要課題「和解」に取り組むVMFの先進的な試みである。(2025年7月20日、筆者撮影)
  • 81191_011_32086001_1_4_4 壁画が日常風景に溶け込むマウントプレザント地区。アートは地域住民や来訪者のコミュニケーションを誘発する「触媒」として機能している。(2025年7月20日、筆者撮影)
  • 81191_011_32086001_1_5_5 新しい商業ビル(左)と壁画が描かれた古い建物(右)が混在する街並み。VMFは、ジェントリフィケーションが進む地区において、アートを通じて地域固有の文化的価値を再提示する役割を担う。(2025年7月20日、筆者撮影)

参考文献

(1) Vancouver Mural Festival「About」、https://vanmuralfest.ca/about
(2) Vancouver Mural Festival「Un-Leased」、https://vanmuralfest.ca/community-projects/un-leased
(3) Vancouver Mural Festival「Blanketing the City」、https://vanmuralfest.ca/community-projects/blanketing-the-city
(4) MURAL Festival「About」、https://muralfestival.com/about
(5) StreetARToronto、https://www.streetartoronto.ca
(6) Vancouver Mural Festival(Top)、https://vanmuralfest.ca

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