根室金刀比羅神社例大祭    -祭りが表現する市民と神との一体感-

ブラウン 久

はじめに
北海道三大祭り(註1)の一つと言われる根室金刀比羅神社例大祭は、毎年8月の第二金、土、日曜日に開催される。(註2)根室の町はこの3日間祭り一色となる。人口が減り寂しくなった町中に、昔のような活気を取り戻すこととなる。例大祭は、金刀比羅神社に於いて、御神輿に神が乗り、渡御して家内安全、商売繁昌、海の安全等を願い民が神を身近に感じる最も重要な祭典である。

1-1 基本データ
根室琴平町の金刀比羅神社を出発し、市内を神輿巡幸する。奴行列を先頭に、先導金棒、巫女、獅子、猿田彦、雅楽寮、稚児、神職総代と続く。金色に輝く約1.5トンの御神輿(写真1)を、約120人の担ぎ手によって力強いかけ声と共に市内を練り歩く。この行列の後に、「東部」「第三区」
「西部」「第一区」の四祭典区(写真2)が、それぞれ山車を乗せた行列が続く。御神輿は御旅所(註3)に一泊し、次の日は神社へと帰って行く。神輿巡幸の前夜は宵宮祭で、昔は神社の境内で催し物が行われていたが、現在は町中で露店が出るだけで行われてはいない。

1-2 歴史的背景
根室金刀比羅神社の創祀(そうし)は、1806年(文化3年)、高田屋嘉兵衛(註4)により、金刀比羅大神を奉斎(ほうさい)した。高田屋嘉兵衛は、江戸幕府の命を受け北方海域の航路開拓と漁業振興に力を注いだ人物であった。香川県にある金刀比羅宮の神が、海の神を祀っていたことで、自分の航海の無事を祈り、その神体と共に根室へと辿り着いた。その神体を祀ったのが根室の金刀比羅神社の始まりである。初代神輿は1888年(明治21年)に献備され、神輿渡御が始まった。(註5)山車の供奉(ぐぶ)は1904年(明治37年)、根室雑貨商組合の方々が始まりであった。1918年(大正7年)、東西の二祭典区制となった。1920年(大正9年)、県社昇格となり四祭典区制となり現在へ受け継がれてきた。1km にもなる行列をつくる一年に一度の祭りである。

2 祭りの評価
神輿渡御は町中の御旅所で一泊する。これにより本殿まで行かずともここで祈願することが出来る。御旅所は露店に囲まれた所に位置し、近くには町の商店もあり、全てがこの中心で済ませる事が出来る。これは小さな町の利点だと考える。つまり神に祈り、祭りを見て、露店を歩き、買い物が出来る。全てがコンパクトに集中されている事は評価出来る。
この祭りの特色の一つに、「北方領土返還」のスローガンも山車と共に掲げられる。根室より数キロ先に見える島々で、戦後ロシア領となった。日本人が忘れてはならない島々を思い起こさせてくれる祭りでもある。(註6)
例大祭は山車を車で引く以外、人力で神輿を担ぎ(人力奉担)続けて来た事に氏子(市民)は誇りを持つ。
令和2年、この例大祭は「北海道指定無形民族文化財」(写真3)に指定された。そして市からの助成金が出るようになり、ますます市民の祭りに対する熱の入れようが見て取れる。
山車は、歴史上の人物、動物、子どものアイドル等、木の骨組み(張型)で造り豪華さを競い、山車は奉納される。これは一回毎に壊され、次の年にはまた新しい山車を造る。伝統を守って行くことは大事であると同時に、現代との融合も考えた。いかに市民が参加しやすく、興味が持てるかを模索していく事も評価される。例大祭は地元民の生活に密着した漁業、農業を盛り立てる事に貢献している。

3 他の事例との比較
北海道の三大祭りのもう一つ、北海道神宮例祭(写真4)と比較してみる。札幌の人口は1,967,361人である(令和7年9月1日現在)。根室は21,918 人である(令和7年12月末現在)。(註7)かなりの開きがあり、それ故祭りの規模も想像出来る。
まず山車について比較すると、根室は踊り手は山車と一緒に歩き、特定の場所で踊る。札幌は踊り手は山車の上で踊る。根室は山車の張型の飾りが札幌より大きくて、毎年題名を変えて造り直される。次の飾りを何にしようか考える楽しみと、一緒に造り上げる活気と連帯感が生まれる。札幌は木材を使用して造られている。毎年同じものを大事に使い、その時々で修正しながら使っている。同じものを使うことで伝統の重みを感じ、それを伝えて行くことの責任を担っている。
北海道神宮は4柱の神体が祀られ、開拓三神と明治天皇である。札幌は北海道開拓の地から都市へと変化していった。根室は海に接し、昔から漁業の開拓が盛んな地であった。それ故根室金刀比羅神社は、海に関係する三神が祀られている。漁業航海、海上安全、豊漁、商売繁昌等の神である。
神輿渡御の開始は札幌が1878年(明治11年)、根室は10年遅れて1888年(明治21年)であった。渡御の際、御祭神の下に車が設置され、繋がれた紐を人力で引いていくのが札幌である。根室は人力で担がれ長い渡御を人々が交代しながら進んで行く。
北海道神宮例祭は、毎年6月14、15、16日の決まった日で開催される。14日の宵宮祭には、各種の芸能が神宮内の舞台で奉納される。露店は社殿に行く途中と、中島公園に多く出店される。社殿は円山公園の中にあり、自然に囲まれホッと出来る場所である。根室は前にも述べたように、1ヵ所に全てが集まりコンパクトである。年配者が多くなっている根室にとっては、とても身体に優しい祭りである。勿論これは大都市と地方の町の違いであり、比較であって、どちらが良いかと言うものではない。

4 今後の展望
根室も少子化、企業の縮小で祭りの形態の変化を余儀なくされている。山車を引くのは人の手から車へと変化した。これには年々山車に乗せる物が大きくなったことも一つの理由である。例大祭の日程も100年以上固定されていたのが、企業との関係やパンデミックにより変えることとなった。
根室金刀比羅神社、前田穣宮司(写真5)は、市民同士が繋がりを持ち、誇りを持ち、生き甲斐を感じ、熱い思いを持ってお祭りを守って行こうとしている。漁業の不漁、企業の縮小等で、御浄財(寄付)が減ってきている。御浄財減少は神社の運営や例大祭に影響を与える。宮司は、存続の危機を感じているわけでは無いが、決して悪くはないこの現状を今後も維持することに力を注ぎたいと考えている。
根室を出た人々の地元との繋がり、現役の祭りに携わる人々との繋がりの強さを感じる。これは一度祭りに参加、経験することで、この時期、継承しに帰って来ると、第一祭典区の鈴木貞夫委員長(写真5)は述べている。委員長は第一祭典区として小学校に出向き、祭りの説明をし小道具を見せ、手にとって実際に音を出して見せる等の体験授業をしている。この取り組みが現在は一区だけであるが、近い将来他の三区もそれぞれに活動してくれる事を望んでいる。委員長の祭りにかける意気込みと情熱は、会話の中で徐々にヒートアップした。お祭りが好きで大切にし、どうしても未来へ残していかなければならないという思いを間近で感じた。現在山車は町の看板屋が造っているが、これは来年から自分たち第一祭典区の仲間と協力して造っていこうと考えている。そして今大事な事として、根室の企業で働く外国人の参加協力が欠かせないとも語っている。
これにより参加者の絆はもっと強くなり、祭りの維持に力が入ると考える。このような人々が祭りに関わる事で将来に期待が持てる。小さな町の例大祭は、根室の人々に喜びを与え、町が一つになる時である。そしてこれは市民にとって神を感じる重要な行事なのである。

5 まとめ
祭りの太鼓や金棒の音、ざわつき、人々の笑顔、活気が漲る空気、根室は息づいている。お話を聞かせて頂いた宮司や委員長ら全ての人々が例大祭を特別なものとして捉え、彼らの人生の中の重要な基点として考えている。祭りの3日間は1万人以上の人々が集まり楽しむ。
祭りの後は、その盛り上がりを持続しようと食のイベントが続く。人口が少ないが故に町の活気を繋げていこうと開催される。それはこの例大祭が起点になっているのは確かである。課題はあるが、市民と神が一体となることでこの祭りを未来へと繋げていこうとしている。

  • 470597_1.png 写真1 根室金刀比羅神社例大祭の御神輿 令和7年8月10日 筆者撮影
  • 470438_1.png 写真2 根室金刀比羅神社例大祭四祭典区 令和7年8月10日 筆者撮影
  • 81191_011_31781106_1_3_20250626_112727 写真3 北海道指定無形民族文化財指定証書 令和7年6月25日 神輿殿・お祭り資料館にて筆者撮影
  • 470598_1 写真4 北海道神宮例祭 令和7年6月15日 筆者撮影
  • 81191_011_31781106_1_5_20260128_131626-COLLAGE 写真5 左 前田穣宮司 令和7年7月1日 社務所にて筆者撮影
    右 鈴木貞夫委員長 令和7年8月14日 委員長宅にて筆者撮影、両氏より写真使用許可有
  • 470440_1.png 根室金刀比羅神社例大祭の様子 令和7年8月10日 筆者撮影
  • 470441_1.png 北海道神宮例祭の様子 令和7年6月15日 筆者撮影

参考文献

(註1) 北海道三大祭りと呼ばれるのは、北海道神宮例祭、江差姥神大神宮渡御祭、根室金刀比羅神社例大祭である。(根室の場合、神社からは三大祭りの一つとは提示していない。)

(註2) 例大祭の継続的な開催を事由に、1919年(大正8年)から2019年(令和元年)まで8月9、10、11日と定められていた日程を、パンデミックで中止された(令和2、3、4年)以降、2023年(令和5年)より現在の日程とした。

(註3) 1900年(明治33年)御旅所の新設により、一泊するようになったと記録されている。(神輿殿・お祭り資料館より)資料館は社務所にある。

(註4) 高田屋嘉兵衛は、淡路島に生まれた(1769年~1827年)。船持船頭となった後には、蝦夷地御用船頭となり択捉(エトロフ)航路開拓をし、1805年(文化2年)根室漁場を請け負い、当地の漁業振興に尽力した。

(註5) 1935年(昭和10年)二代目が献備されると同時に、初代は国後島泊神社に譲渡された。

(註6) 残念ながら2025年の例大祭では、北方領土返還に関するものは見られなかった。現在のロシア情勢が関係していると考える。戦後の厳しいソ連の監視下で御神体が奉還され、金刀比羅神社で祀っている。それぞれの例祭日には元島民が神社で祭典を行い、北方領土の一日も早い返還を祈念する。

(註7) それぞれの市のホームページより。

参考サイト
註7より
根室市のホームページ https://www.city.nemuro.hokkaido.jp 右上のMENU をタップ、サイト内検索欄に、根室の人口、を入力、根室市住民基本台帳人口数について、を開く。
札幌市のホームページ https://www.city.sapporo.jp 左上のサイト内検索欄に、人口統計、とタイプし、人口統計/札幌市を開く。

広報根室 特集 金刀比羅神社例大祭を読む。https://www.hokkaido-ebooks.jp 右上の虫眼鏡をタップ、フリーワード欄に、広報根室令和7年9月号、と入力、下のこの条件で検索するをタップする。

根室金刀比羅神社に戦後奉還された北方領土の神社
https://www.nemuro-kotohira.com 左上の三本線をタップ、北方領土の神社を開く。 

参考文献
発行者 北海道根室市琴平町一丁目四番地、金刀比羅神社社務所内、金刀比羅神社奉賛会
『「金刀比羅神社御創祀百八十年記念誌」』
編集責任者 金刀比羅神社祢宜 前田康
発行日 昭和六十一年八月八日

発行者 北海道神社庁長 佐藤公聰
『北方領土の神社-千島・北方領土社寺教会日露共同調査報告書-』
編集 北方領土文化日露共同学術交流実行委員会
発行日 平成17年9月1日

著者 宮本誉士、大東敬明、森悟朗
『北海道神宮と札幌まつりの歴史』
編集 北海道神宮社務所
発行日 1989年9月

発行者 児玉芳明
『札幌まつり』さっぽろ文庫68
編集 札幌市教育委員会文化資料室
発行所 北海道新聞社
発行日 1994年3月22日

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