多民族国家マレーシアにおける日本食レストランの普及に向けた取り組みと課題

川和田 直之

1.マレーシアにおける日本食普及の背景と課題
マレーシアでは、1980年代に導入された「ルック・イースト政策」を通じて、日本や韓国の成功モデルを参考にした政府主導の近代化とグローバル化が進められた。現在も高い経済成長率を維持しており、ASEAN6ではシンガポールに次ぐ国民1人当たりのGDPを誇る。これに伴い、富裕層や中間層の割合が年々増加している(*1)。こうした経済発展を背景に、日本のライフスタイルや文化への関心が高まり、日本食レストランの出店が活発化している。マレーシア国民の約6割を占めるマレー系(ムスリム)は主要な顧客層となっており、日本食レストランの出店にあたっては、ハラール対応が求められる状況が広がっている。

2.ハラールと認証制度の発達
マレーシアは、マレー系(ムスリム)をはじめ、中国系やインド系を含む他民族が共存する国である。この多様性の中で、ムスリムと非ムスリムが共存するため、スーパーマーケットでは、豚肉やアルコール類などのノン・ハラール商品を扱うレジと、ハラール商品を扱うレジが分けられたり、肉類を取り扱う市場では、鶏肉の売り場が入口付近に配置され、ムスリムが食べない豚肉の売り場は奥に設けられるなどの配慮がなされている。また、豚肉がムスリムの目に触れないように壁が立てられるなど、ムスリムと非ムスリムが安心して食物を購入できるよう配慮されている。
「ハラール」とは、イスラム法において「許されるもの」を意味し、ムスリムにとって飲食物がハラールか否かは食生活で非常に重要な要素となる。一方で、明示的に禁止されているものは「ハラーム」と呼ばれ、食物では、死肉(適切な屠畜を経ていない肉)、流血、豚肉、唯一神以外に捧げられたものが該当する。これ以外の食品は原則としてハラールとされている(*2)。イスラム教では、神と信徒の間に聖職者が存在せず、食物がハラールであるか否かは基本的に各ムスリムが自ら判断する。しかし、現代では食品加工技術の進化により、多様な添加物が使用され、ハラール性の判断が困難になるケースが増えている。この課題に対応するため、食品のハラール性を保証する「ハラール認証制度」が誕生した。 ハラール認証制度では、認証機関が定めた基準を満たした食品やレストランに認証マークが付与され、ムスリムはこれを基に安全で安心な食品やレストランを選ぶことができる。認証取得の条件には、生産から輸送、保管に至るまで、サプライチェーン全体、すなわち「Farm to Fork(農場から食卓まで)」がハラール基準を満たしていることが求められる。認証を受けた食品やレストランには、高い安全性と品質基準を備えており、ムスリムだけでなく非ムスリムの消費者にも恩恵をもたらしている。

3.マレーシアにおける認証制度普及の背景
マレーシアがハラール食品の認証制度に積極的に取り組む背景には主に2つの要因が挙げられる。第一に、ハラール産業が経済成長戦略の一環として位置づけられている点である。2030年には世界のムスリム人口が22億人に達すると予測されており(*3)、ムスリム市場の拡大に伴い、ハラール製品やサービスへの需要が増加している。マレーシア・イスラム開発局(JAKIM)は、世界に先駆けて1968年に設立され、国内唯一のハラール認証機関として、厳格な基準に基づきハラール認証を実施している。イスラム教とともに経済成長を遂げてきたマレーシアは、「グローバル・ハラール・ハブ(世界的なハラール市場の拠点)」を目指し、ハラール産業振興を国策として推進している。年間のハラール認証申請件数は、2015年から2019年までに62.6%増加し、8,844件に達した。コロナ禍で一時的に減少したものの、2022年以降は再び増加傾向を示している(*4)。マレーシアは、この世界的なハラールフードビジネスの需要に応えるべく、海外の非ムスリム事業者を誘致するとともに、国内企業をグローバル市場で競争できるプレイヤーへと育成している。これにより、高い経済成長を維持し、グローバル経済における競争優位性を高めることを目指している。
第二に、マレーシアがムスリムと非ムスリムが混在する多民族国家であるため、イスラムのアイデンティティが相対的に意識されやすい点が挙げられる。ムスリムの人口比が94%以上のエジプトやサウジアラビアでは、異教徒はほとんど存在せず、売られている食品やレストランで提供される料理は当然ハラールであるという認識が一般的である(*5)。一方、マレーシアのように非ムスリムが一定数存在する国では、ムスリムは異教徒に対して自身がイスラム教徒であることを意識し、ハラール認証制度への関心が高まる。この点が、ムスリムが圧倒的多数を占める国々で認証制度が進まない理由の一つを説明している。

4.日本食レストランの認証取得における課題とムスリムフレンドリーの可能性
ハラール認証の普及により、認証マークを掲示する商品やレストランが増えたことで、ムスリムは安全で高品質な食品を摂取できるようになった。この流れは非ムスリム消費者にも利益をもたらしている。しかし、日本食レストランがハラール認証を取得する際には多くの課題がある。特に日本食の基盤となる調味料や食材について、ハラール対応品が限られている点が大きな壁である。みりん、醤油、味噌などはハラール対応品の入手が難しく、また日本酒などの使用が制限されるため、本来の日本食を再現する手段が限られる現状がある。さらに、認証制度自体にも課題が存在する。ムスリムの間でもイスラム法の解釈に差があり、アルコール摂取に関する考え方など、許容レベルに幅がある。マレーシアの認証制度はグローバル市場を視野に入れて設計されており、幅広い消費者層に対応するため、最大公約数の基準を採用する傾向にある。この結果、マレーシアの認証基準は他国より厳格であり、年々その基準が強化されている(*6)。
また、ハラール認証制度の考え方には逆説的な課題がある。イスラム法では「禁止されていないものはハラール」とされるが、認証制度では「ハラールと認証されたものだけがハラール」となり、それ以外は「シュブハ(疑わしいもの)」と見なされる傾向がある。このため、実際にはハラールである食品が認証を受けないことで選択肢が狭められる危険性を孕んでいる。
こうした背景の中、近年では「ムスリムフレンドリー」を掲げるレストランが増加している。ムスリムフレンドリーとは、ハラール認証を取得せずとも、豚肉を使用しない、ハラール食材のみを使用するなど、独自の基準でムスリム顧客への配慮を示す取り組みである。他ジャンルのレストランでは、ハラール認証取得が中堅規模以上の企業で主流となる一方、小規模事業者ではムスリムフレンドリーの運営が一般的になっている。このような取り組みは、日本食レストランの普及においても有効であり、ハラール認証に頼らない新たな方向性として注目されている。

5.今後の展望
マレーシア政府は、グローバル経済市場での競争力を高めるため、ハラール認証制度を導入し、ハラール性を計量可能な形で示す仕組みを整えた。この制度は、日本食レストランがハラール性を明確かつ簡潔にムスリム消費者へ伝える手段を提供する一方で、本来ハラールである食品が認証を受けないことで選択肢が狭まる懸念や、小規模事業者の進出を阻む要因となるリスクも抱えている。
こうした状況を踏まえると、認証制度は万能ではなく、ハラール性を判断するための一つの指標に過ぎないと捉える必要がある。レストラン運営者は、認証の有無にかかわらず、顧客への適切な情報開示や発信を行い、顧客との対話を通じて信頼関係を築くことが重要である。これにより、ムスリムが安心して利用できる環境を整え、日本食レストランの普及を促進することができる。

  • 1.ハラール性の情報開示・発信方法の現地調査レポート(非掲載)
  • 81191_011_32283324_1_2_2.ハラール認証を取得しているレストランへのインタビュー記録(2024年10月28日)_page-0001
  • 81191_011_32283324_1_2_2.ハラール認証を取得しているレストランへのインタビュー記録(2024年10月28日)_page-0002 2.ハラール認証を取得しているレストランへのインタビュー記録(2024年10月28日)
  • 81191_011_32283324_1_3_3.ムスリムフレンドリー対応しているレストランへのインタビュー記録(2024年10月30日)+2_page-0001
  • 81191_011_32283324_1_3_3.ムスリムフレンドリー対応しているレストランへのインタビュー記録(2024年10月30日)+2_page-0002
  • 81191_011_32283324_1_3_3.ムスリムフレンドリー対応しているレストランへのインタビュー記録(2024年10月30日)+2_page-0003 3.ムスリムフレンドリー対応しているレストランへのインタビュー記録2(2024年10月30日)
  • 81191_011_32283324_1_4_4.ムスリムへのインタビュー記録(2024年8月15日)_page-0001
  • 81191_011_32283324_1_4_4.ムスリムへのインタビュー記録(2024年8月15日)_page-0002 4.ムスリムへのインタビュー記録(2024年8月15日)
  • 5.ハラールとノンハラールのレジが別に設置されているスーパーの様子(日本エスニック協会HPより)(非掲載)
  • 6.ハラール、ハラーム、シュブハの関係図(ハラル・ジャパンン協会HPより)(非掲載)
  • 7.ハラル認証が付与された食品の例(九州おぎはら産業HPより)(非掲載)
  • 8.マレーシアのハラル認証マーク(ハラル・ジャパンン協会HPより)(非掲載)

参考文献


*1 JETRO、『ASEAN主要国における ハラール認証制度比較調査』、2024年、p.11。
https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/02/2024/d5fea7ae44f7eadc/20240315_r.pdf(2024/7/16,2025/10/24閲覧)
*2 井筒俊彦 訳、『コーラン(上)』、岩波文庫、1957年、p.42,144,198。
*3 JETRO、前掲著書、p.1。
*4 JETRO、前掲著書、p.8。
*5 八木 久美子、『慈悲深き神の食卓』、東京外国語大学出版会、2015年、p.102。
  池上彰、『池上彰が読む「イスラム」世界』、角川マガジンズ、2014年、p.167。
*6 八木、前掲著書、p.92

参考文献
八木 久美子、『慈悲深き神の食卓』、東京外国語大学出版会、2015年。
阿良田 麻里子、『食のハラール入門 今日からできるムスリム対応』、講談社、2018年。
阿良田 麻里子、『文化を食べる文化を飲む: グローカル化する世界の食とビジネス』、ドメス出版、2017年。
山口 裕子、「序: 《特集》ハラールの現代――食に関する認証制度と実践から」、『文化人類学』83巻4号 、2019年、p.554-571。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjcanth/83/4/83_554/_article/-char/ja/(2024年12月23日閲覧)
富沢寿勇、「ハラール産業と監査文化研究」、『文化人類学』83巻4号、2019年、p. 613-630。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjcanth/83/4/83_613/_article/-char/ja(2024年9月9日閲覧)
佐伯啓思、『近代の虚妄 現代文明論序説』、東洋経済新報社、2020年。
小川 聖子・野林 厚志、『現代食文化論』、建帛社、2024年。

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