
根付文化を未来へ-根付師・陽佳の創作活動と継承への取り組み
はじめに
「根付」は国際的に NETSUKE として知られ、世界的な美術市場やコレクターの間では高い評価を受けている*1。しかし、日本国内においてはその歴史的背景や造形美、文化的意義について十分に理解されておらず、根付師として活動する人材や研究者も限られている。このままでは根付文化が国内で途絶えてしまう危険性がある。
こうした状況の中、国際根付彫刻会会長・向田陽佳(1968~)は、創作活動の傍らソーシャルメディア(SNS)を通じて根付への正確な認識を広めるとともに、次世代への継承に向けても精力的に活動している。本稿では、根付文化の置かれた現状を踏まえ、陽佳の創作活動と継承への取り組みを文化資産と評価し、その特徴と意義を報告する。
1ー1 根付とは
根付*2とは、印籠や煙草入れなどの堤物を帯から提げるための留め具である*3。起源には諸説あるが*4、江戸中期から後期にかけて流行し*5、精緻な彫刻を施した装身具へと発展した。国内には何千万、あるいは何億個が存在したとされる*6。しかし、幕末から明治にかけて生活様式が大きく変化し、国内需要は減少した*7。一方で海外では高く評価され、明治期には輸出品として発展したが*8、戦後にはわずかな作家が制作を続けるのみとなった。その中で、米国人収集家キンゼイ夫妻*9の助言を受け、1977年に根付研究会(現・国際根付彫刻会)が発足し*10、現代根付*11の流れが始まった。
根付は本来実用品であり、帯や着物を傷つけない形状、紐通し穴、全方向への彫刻といった構造的制約をもつ。これらの制約が独自の造形美を生み、美術工芸品としての発展を促した。
1-2 陽佳について
陽佳は大学で書を学び、書家として活動しながら大手企業の宣伝部に就職し、順調にキャリアを築いていた。しかし、ある時偶然目にした根付の魅力が忘れられず、恵まれた職業的地位を手放し根付師の道へ進む決意を固めた。当時はカルチャーセンターで根付教室が開講されていたわけではなく、学ぶ機会を得ることは容易ではなかった。そんな折、偶然参加した根付展のギャラリートークで駒田柳之(1934~)*12に出会う。これが転機となり、陽佳の前に根付師への道が開けたのである。
いくつもの偶然が重なり陽佳は根付師となったが、小児期からの無類の本好き・絵画好き、日常的に着物を着る家庭環境、母親と取り組んだろうけつ染め、草木染め講座受講、書家としての修練、会社員経験など、そのすべてが一本の線となって根付師の道へとつながった必然ともいえる。
根付制作は、牙彫用彫刻刀である左刃を自作することから始まるが、陽佳は左刃を作るとすぐに制作へと踏み出した。初期には紐通し穴の位置や強度について師から指摘を受けることがあったものの、次第に創作の要点をつかみ、国際根付彫刻会への入会を許され、作家としての歩みを本格的に始めるに至った。
2 陽佳の創作活動
陽佳の作品は素材の多様性に富み*13、その特徴を巧みに活かしている。たとえば、図2-⑲では象牙やマンモス牙に見られるシュレーゲル線を蜻蛉の複眼に利用し、図3-②では鹿角の鬆(す)を朽ちかけた柄杓の質感として取り入れている。
また、題材も多岐にわたり*14、一人の作家とは思えないほどの幅広さを示している。その背景として陽佳には書家としての素養があり、古文や漢文で記された古典籍を読みこなすことができる。可能な限り古い資料にあたり、題材の原典を探りながら作品化している点は、他の作家には容易に真似できない特徴である。この資料探索は陽佳にとって楽しい作業であり、新たな題材の発見につながっている。
さらに、彫刻を体系的に学んだ経験がないにもかかわらず、初期から完成度の高い独創的な表現に取り組んでいる。その造形の緻密さは特筆すべきものであり、数㎝の根付が数㎜の根付を付随させている拡大図(図4-②、5-①、5-㉖)にも、高度な技量が示されている。
書家でもある陽佳の作品は、箱書きや小袋を含めて一作として仕立てられている点も特徴である。鱗一枚一枚を丹念に彫り、素材や題材、依頼主と対話しながら仕上げられた作品には、情熱と祈りが込められており、観る者に大きな感動を与える。また、常に所有者の幸福を願って創作に臨む姿勢は、作品の細部にまで刻みこまれている。陽佳は完成作を前にして「よく作れたな」と感じることがあり、創作中は深い没入状態にあることが推測される。
3 陽佳独自の染色技法
陽佳は小児期、漆の木の下で遊んだ際に酷い漆かぶれを経験し、漆を使うことができない。他の作家の中には漆芸を学び、鮮やかな色彩を漆で表現する者もいるが、それができない陽佳は、代わりに天然染料を用いた独自の染め分け技法を生み出した。
たとえば図4-③は、ヤシャ染め単色仕上げであるが、マスキングを施さず、磨きと染色を繰り返すことで微妙な色合いを精妙に表現している。研磨によって表面が削られるため、最終的な形を保つには失われる分を見越して0.数mmの厚みを残した状態で染めを施さなければならない。
また、図4-⑧のように複数の染料を用いる場合、染料を重ねる順番を誤ると想定した色調にならないため、工程全体を何度も頭の中で思い描き、細心の注意を払って作業を進める。グラデーションを出す際には、染まり具合を見極めながら慎重に染色時間を調整する必要がある。
この工法は、陽佳による長年の研鑽によって築き上げられた極めて高度な染色技法である。
4ー1 陽佳の継承活動
根付が美術館で鑑賞するものとなった現代では、触り心地や経年変化の「なれ」を味わうことはできない。また、自慢の根付を見せ合い洒落や粋を楽しむ文化も、一般には継承されていない。その状況下で、数少ない作り手や愛好家が根付文化を残そうと努めているが、陽佳は継承に向け以下3つの活動を主に行っている。
① SNS を利用した発信
Instagram や X などの SNS を通じて、作品画像や制作技法を積極的に公開している。根付が一つの塊から彫り出されている基本が浸透しておらず、粘土細工や塑像と誤解されるため、正しい認識を広め、根付の魅力を伝えることを目的としている。
② カルチャーセンターでの指導
現在、カルチャーセンター3か所において講師を務める。たとえ作品の締め切りが近くても講座の前には時間をかけて準備し、決して手を抜かない。その情熱を背景に生徒のレベルは高く、中には作家になった者もいる。
③ 小説執筆
陽佳は「このままでは根付が100年後、200年後に残らないのではないか」という強い危機感から、根付文化を後世に伝えるための小説を執筆中である。解説書ではなく小説という形式を選んだ理由は、解説書はもともと関心のある読者しか手に取らないが、小説であれば根付を知らなかった読者が物語を通して興味を抱く契機となり得るからである。根付師が登場するファンタジー仕立ての物語には、陽佳が長年培ってきた知識と技術のすべてを込める。このように小説という形で根付文化と根付師の卓越した技術を伝え残そうとする試みは、根付文化継承に向けた新たな一歩であり、多才な陽佳ならではの挑戦である。現在は半分書き終えた段階であり、忙しい創作の合間に執筆を続けている。
4-2 大学での継承課題
陽佳は神戸芸術工科大学大学院において、計4回にわたり非常勤講師として根付文化の教育や継承に携わってきた。また、大阪芸術大学では2009年より在学生による高円宮殿下記念根付コンペティションが毎年開催され、受賞者からは根付作家*15も輩出している。しかし、伝統工芸の中心地であり、日本で唯一の根付専門美術館*16を有する京都においては、芸術大学である本学が存在するにもかかわらず、根付に関する講義や学生向けコンペティションは実施されていない。このことからも、根付が芸術の一分野として十分に認知されていない現状がうかがえる。
海外では、根付は浮世絵や蒔絵と並び、日本オリジナルアートの1つとして紹介されることもある。まずは日本国内において芸術分野の一領域として地位を確立することが肝要であり、そのためにも、各芸術大学が根付文化を教育する基盤を整備し、技術継承の担い手を育成することが必要である。
5 まとめ
陽佳の活動は単なる個人の芸術表現にとどまらず、根付文化継承に向けた実践的取り組みをも含んでおり、重要な文化資産と評価される。しかし、文化継承を個人の力だけに委ねるには限界があり、作家・教育機関・社会が連携して根付文化を未来へとつなぐ体制づくりが求められる。
参考文献
【註】
*1:海外オークションでは根付の取引が盛んであり、2022年には American Collections の競売において、最高価格441,375ドル(当時の為替レート1ドル=131.6円で約5,808万円)で落札された記録がある(参考資料[1])。
*2:「根付」という語が文献上で初めて確認されるのは、1671年刊の『寶藏』であるとされる。根付を指す、あるいは根付に相当する名称としては、根著・根着・根附・帯ぐるま・帯挟・帯挿・帯つけ・懸錘・墜子・緒とめなどが挙げられる。「付」は「さずける・あたえる」、「附」は「つく・つける」の意味をもつことから、用途に照らせば本来は「根附」が正しい表記といえる。しかし、現在では「根付」が慣用的に用いられているため、本稿ではこの表記に従う(参考文献[1]24-25頁)。
*3:根付には形態による分類があり、文献上は以下のように整理されている(参考文献[1]26-30頁)。
・環(帯車)根付:根付の前段階とされる。帯が細い時代に環状の根付に帯を通して用いられたが、着脱は容易ではなかった。
・掛落(から)根付:太い環状の根付で、堤物の紐を環に結び付けて使用した。
・鏡蓋根付:円形の台に金属板を嵌め込んだ形式で、蓋裏に紐を結び、台中央の孔に紐を通して用いる。
・饅頭根付:扁平な円形で饅頭に似ることから名付けられた。裏に二孔を設けたもの、蓋と身から成る合子形で鏡蓋式に紐を通すもの、裏に金具を付けて紐を通すものなどがある。
・柳左根付:饅頭型の根付を空洞にし、透かし彫りを施したものである。
・形彫根付:人物・鳥獣などの形を立体的に彫り表したもので、17世紀後半には制作されていた。
・面根付:能面・狂言面などを模した面状の根付である。
・箱型根付:方形・長方形の被蓋造の小箱で、蓋裏に紐を固定し、鏡蓋式に紐を通す。木製漆塗りが多い。
・差根付:細長い形状で、一端に紐通し穴を穿ち、他端を帯に挿し込んで用いる形式である。
・その他:瓢箪・貝・珊瑚など自然物をそのまま用いたもの、磁石・日時計・矢立などを象ったもの、印鈕や刀の柄を利用した唐彫の根付など、多様な形式が存在する。
*4:根付の起源については諸説あり、決定的な結論は出ていない。上田令吉は『古事記』に記される日本武尊の燧袋を提げたものが根付の原型とみなす説を提示しているが(参考文献[2]9頁)、これは実証的な成立とは結びつかないとされる。一方、荒川浩和は根付を堤物の一部として捉え、とりわけ印籠の発達を重視しており(参考文献[1]44頁)、根付は江戸期の堤物文化の成熟とともに成立したと考えられている。
*5:江戸期においては、寛文~天和(1661〜1684)にかけて印籠や巾着の使用に伴い根付の需要が増え始め、元禄~正徳(1688~1716)には一層根付が流行した。享保~宝暦(1716〜1764)には煙草入れの普及とともにさらに多くの根付が制作され、文化文政期(1804〜1830)には全盛期を迎え、豪商から一般庶民に至るまで、贅を尽くした根付を複数所有していたとされる(参考文献[3]16-18頁)。また、1781年刊行の『装剣奇賞』には根付工として54名の工人が記載されており、この時期にはすでに専門の根付職人が一定数存在していたことがわかる。
*6:根付の全盛期である文化文政期(1804〜1830)には町人文化が爛熟し、身分を問わず贅を凝らした根付を所有した一方で、普段使いの実用的な根付も数多く制作された。一人が複数を所有することも一般的であったため、当時は国内に何千万個、あるいは何億個もの根付が存在していたと考えられている(参考文献[4])。
*7:根付衰退の要因は、高円宮妃久子殿下によれば次の四点にまとめられる。第一に、煙管筒が流行し、差根付のように帯に直接挟んで用いる形式が一般化したこと。第二に、黒船来航以降の物情騒然とした社会状況に加え、佩刀禁止令の影響もあり、贅沢品に費用をかける風潮が弱まったこと。第三に、1872年の大政官布告により、公式の正装が裃・印籠から洋装へと転換したこと。第四に、巻き煙草の流行によって煙草入れが廃れたことである(参考文献[5]18頁、[2]78-79頁)。
*8:日本の美術工芸品輸出の契機となったのは、1867年のパリ万博であるとされ、この際に根付も数点出品された。明治期、政府は美術工芸品の輸出を積極的に推進し、1873年のウィーン万博には約40点の根付が出品された(参考文献[5]18頁)。
これと並んで、根付輸出の端緒としてしばしば言及される有名な逸話がある。1853年、ペリー率いる黒船来航の折、浦賀の人足頭であった三河屋幸三郎が腰につけていた寄せ面根付(能面、狂言面やひょっとこ面などの小さな面が複数寄せ集められた形彫根付)を、随行していた米国人が大変気に入って強く欲しがり、身振り手振りで懇願した。言葉の通じない幸三郎は恐怖心からこれを渡したが、米国人が礼として手渡した品物が、当時貿易条約のない状況下での無断取引とみなされ、幸三郎は拘束され牢に入れられたという。米国人はこれを知り、役人に事情を説明して幸三郎の縄を解かせた。翌年、ペリー一行が再来日した際にもこの米国人は同行しており、再び幸三郎と出会うと、購入資金を渡して根付を買い集めるよう依頼し、大量に米国に持ち帰った。この一件を機に幸三郎は神田旅籠町に三幸商会を構え、根付輸出を中心とする貿易商へと転じた。これを模倣して多くの商人が根付の輸出に参入し、大量の根付が海外へ流出することとなった。一時期には樽詰めで輸出され、一点ごとの価値が度外視された価格設定であったと考えられる(参考文献[2]81-83頁、[6]120頁、[7]33頁)。
*9:ロバート・キンゼイ(Robert Kinsey, 1916–2015)、ミリアム・キンゼイ(Miriam Kinsey, 1905–2000)夫妻は、長年にわたり膨大な現代根付を収集し、その美術的価値を欧米に紹介したことで、現代根付が単なる工芸品ではなく彫刻芸術として再評価される契機をもたらした。夫ロバート・キンゼイは作家との交流を通じて制作環境の整備に尽力し、1977年の根付研究会(現・国際根付彫刻会)発足にも助言者として深く関与した。妻ミリアム・キンゼイは1977年に『Contemporary Netsuke』を出版し、現代根付をひとつのジャンルとして確立させた。夫妻の活動により、戦後に衰退していた根付制作は活性化し、現代根付の基盤が築かれた(参考文献[5]110-111頁、[8]4-27頁、参考資料[2])。
*10:キンゼイ夫妻の助言を受け、1977年6月に根付作家4名(立原寛玉、齋藤美洲、櫻井英之、駒田柳之)が発起人となり、「根付研究会」が設立された。設立の目的は、従来の師弟関係や年功序列にとらわれない創作発表の場を設けること、技術に関する情報交換を通じて全体の水準向上を図ること、そして現代根付作家の社会的地位の確立を目指すことであった。その後、同会は名称を「国際根付彫刻会」へと改め、現在も活動を継続している(参考文献[5]111頁)。2026年1月現在、会員数は68名で、2か月に一度の会合を開き、情報交換を行っている。
*11:江戸期から明治期にかけて制作された根付は古根付、あるいは古典根付と呼ばれ、昭和後期以降に伝統的な技法と実用品としての構造を受け継ぎながらも、古根付の素材・題材にとらわれず、新しい発想や現代的なモチーフを取り入れた根付を現代根付と呼ぶ。古根付と現代根付の間に近代根付を置く説もある(参考文献[5]185頁)。
*12:駒田柳之は現代根付の作家であり、1977年に発足した根付研究会の発起人の一人である。
*13:根付の素材は多様であり、文献上、古根付に関しては以下のような素材が用いられている(参考文献[1]42-43頁)。
・木材(黄楊・檜・桜・黒柿・一位・茶・楠・槻・椿・棗・黒檀・紫檀・白檀・鉄刀木など)
・象牙(ワシントン条約の締結により1989年以降、輸出入が禁止された)
・牙角類(牙:猪・鯨・海象・一角など、/角:鹿角・水牛・犀など)
・骨爪類(猪・狼・狐・狸・熊・虎・豹などの骨や爪)
・竹・藤(竹や藤を編んで成形したもの)
・漆工(蒔絵・調漆・根木塗・鎌倉彫・螺鈿・一閑張・乾漆など、各種漆工技法が用いられる)
・彩色・着色(胡粉彩色・彩漆・ヤシャブシなど)
・金工(鋳金・彫金・針金など)
・陶磁(京焼・楽焼・平戸・万古焼・伊部・清水焼など)
・その他(植物・玉石・海産物・ガラス・七宝・犀鳥の嘴など)
*14:多岐にわたる題材は、古根付に関する文献において、以下のように大きく分類される(参考文献[9])。
・神々・聖人・悪魔(七福神、神々、聖人、羅漢、仙人、鐘馗、鬼など)
・架空の生き物・伝説(人間の形をした架空の生き物、動物の形をした架空の生き物、中国の伝説上の人物、日本の伝説上の人物など)
・日々の生活(外国人、人々の生活や職業、芸人、躍り手、建物など)
・動物・植物(物語の中の動物、哺乳動物、その他の動物、花・植物・果物など)
*15:「根付作家」という呼称は、キンゼイ夫妻による現代根付運動が始まったころから用いられるようになった。現在は、作家自身の選択により「根付師」「根付作家」の両方の呼称が併用されている。
*16:公益財団法人 京都清宗根付館。日本で唯一の根付専門美術館として知られる。
【参考文献】
[1]荒川浩和『根付 たくみとしゃれ』淡交社、1995年
[2]上田令吉『根附の研究』恒文社、1978年
[3]駒田牧子著、渡邊正憲監修『根付』KADOKAWA、2015年
[4]渡邊正憲「根付概説」、日本根付研究会編『根付=凝縮された江戸文化』美術出版社、2005年、6-12頁
[5]高円宮妃久子殿下『根付コレクションの研究 高円宮コレクションを中心』大阪芸術大学、2012年
[6]砂本清一郎『根付の魅力』改定新版、光芸出版、1987年
[7]嶌谷洋一『角彫名人 赤羽織の谷斎ー尾崎紅葉の父の生涯』里文出版、2019年
[8]松尾知子編『キンゼイコレクション現代根付』千葉市美術館、2001年
[9]カールM・シュヴァルツ「目の眼」別冊『根付小辞典 根付の題材』柴田香葉美他訳、里文出版、1994年
[10]レイモンド・ブッシェル『根付』増田英雄訳、淡交社、1976年
[11]荒川浩和『郷コレクション 根付』日本象牙彫刻会、1983年
[12]別冊太陽「印籠と根付」平凡社、1995年
[13]伊藤良一『根付入門』北辰堂、1998年
[14]NHK「美の壺」制作班『根付』日本放送出版協会、2006年
[15]齋藤美洲『根付を楽しむ 掌の上のアート』日貿出版社、2009年
[16]佐川印刷株式会社編『根付作家 陽佳の世界』京都清宗根付館、2010年
[17]たばこと塩の博物館編『細密工芸の華 根付と提げ物』たばこと塩の博物館、2016年
[18]稲垣規一著、日本根付研究会編『根付讃歌 根付ハンドブック新装増補版』里文出版、2019年
【参考資料】
[1]Bonhams,“Record-Breaking Netsuke Achieves $441,375 in New York Sale,” Press Release, 2022. 、https://www.bonhams.com/press_release/38962/(2025年11月25日閲覧)
[2]「現代根付誕生秘話 外国人コレクターとの運命的な出会い」京都清宗根付館ニュースレター第20号、2025年4月~6月、https://www.netsukekan.jp/wp-content/uploads/2025/04/4-6%E6%9C%88%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%83%BC%E5%8D%B0%E5%88%B7%E7%94%A8%EF%BC%88%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%EF%BC%89.pdf(2025年12月30日閲覧)
[3]「根付師 陽佳」、ときどき「湖蝶」、ところにより「桃生蛙子」、http://yokanonetsuke.blog.fc2.com/(2025年11月25日閲覧)
[4]根付師 陽佳 YOKA Mukaida|note 、https://note.com/netsuke_artist(2025年11月25日閲覧)
[5]向田陽佳 根付師 YOKA /書・篆刻は向田湖蝶の名で活動(@monouako)/ X 、https://x.com/monouako(2025年11月25日閲覧)
[6]向田陽佳 Instagram、 https://www.instagram.com/yokakocho/(2025年11月25日閲覧)
[7]根付の香柳園 Netsuke Website Koryuen ホームページ、http://koryuen-jp.com/(2025年11月25日閲覧)
【謝辞】
本稿の執筆にあたり、取材、資料提供にご協力賜りました向田陽佳先生をはじめ、前国際根付彫刻会会長・黒岩明先生、横浜高島屋美術部・原口優子氏、富士アート・山田敏生氏に深く感謝申し上げます。



















































