
麻機遊水地の利活用と伝統漁法「柴揚げ漁」について
はじめに
近年、気候変動や温暖化の影響とみられる自然災害が各地で頻発している。静岡市の中山間地に位置する麻機遊水地(あさはたゆうすいち)【資料1~6】は、往時より近くを流れる巴川の氾濫にたびたび悩まされていた。特に昭和49年7月7日から8日にかけて発生した七夕豪雨では、甚大な被害に見舞われた。【資料7~10】麻機遊水地はこれらの水害を防ぐ目的で、昭和50年より治水機能を有する多目的公園として整備が始められた。また、巴川は昭和53年度に、国により総合治水対策特定河川に指定された。*1
一方、この地で沼地の特性を活かし、古くから行われている柴揚げ漁【資料11~12】は、十年一作といわれる農作物の収穫の不安定さを補い、冬場の食料の確保や、地域住民の結束を強めるための有効な手段であった。本稿ではこの麻機遊水地における柴揚げ漁が、地域にもたらす意義とその重要性について考察する。
1.基本データと歴史的背景
1-1.基本データ
・麻機遊水地はJR静岡駅から北に約5㎞の場所に位置し、全体の広さはおよそ200haに及ぶ。北側の標高 1,000mを超える竜爪山から延びる山稜と、西側の賤機山(しずはたやま)に囲まれている。周囲には安倍川や巴川が流れ、河川の堆積作用で形成された標高7mほどの低湿地帯である。
1-2.柴揚げ漁の概要
・柴揚げ漁は冬に水温が下がり、魚が巣ごもりする習性を用いた古来よりの漁法である。
・漁の前年9月頃に、沼底を掘り下げて、クリやコナラ、カシなどの広葉樹の枝葉を沈め、
「しま」と呼ばれる魚の住処を作る。
・漁を行う日(大寒の頃)に沼に沈めた柴の周りを簾で囲い魚の逃げ道をふさぐ。
・柴を取り除き簾の中に取り残されたフナ、コイ、モツゴ、ドジョウなどをタモ網ですくいあげる。
・「しまあげ」とも呼ばれていた。
1-3.柴揚げ漁の歴史的背景
・低湿地である麻機沼では、古くから水田などがしばしば洪水で被害を受け、稲や農作物を収穫できないことがあった。このため、地域住民にとって捕れた魚は貴重な食料であった。
・柴揚げ漁は室町時代から続くと言われ、静岡文化財団発行の広報誌「静岡文化情報 街かどVol.15」に、「麻機遊水地では、室町時代から地元に伝わる漁法「柴揚げ漁」が再現されている。」と掲載されている。【資料13】
・1967年に圃場整備のため漁が一時途絶えるが、1982年に25年ぶりに再現復活し、「南沼上柴揚げ漁保存会」が結成された。2015年からは現在の「麻機遊水地柴揚げ漁保存会」に引き継がれた。
・昭和になり漁は次第に庶民の娯楽としての意味合いが増し、住民らで魚を料理し酒を飲んだという。「麻機誌」に「その魚を川水で洗って近くに用意してある焚火に鉄鍋を掛け、油を入れてからあげにするか、みそ煮を作り酒の肴にちびりちびりと飲んで楽しむ。この方法を「柴上げ」と言って、寒鮒の味は天下一品です。」*2と昔の様子が書かれている。
2. 県外の3つの事例と比較し特筆される点
2-1.福井県美浜町と若狭町にまたがる三方五湖のうち、最も南に位置し、唯一の淡水湖で水深が浅い三方湖では、冬場に「柴着(しばつけ)」といわれる漁業が行われている。湖に沈められる柴着はクヌギ、ナラなどの広葉樹およそ500束、重さ約10トン、大きさが13m×8mにもなる大規模なものである。これを漁業者は岸近くに多数設置する。テナガエビ、タモロコ、モツゴや小ブナなどが水揚げされ、中でもテナガエビは高値で取引されている。*3
2-2.日本最大の淡水湖である琵琶湖は、約440万年前に形成された古代湖であり、水路でつながった内湖(ないこ)と呼ばれる数多くの沼が残っている。ここでは平安時代より罧(ふしづけ)といわれる「柴漬漁」が行われていた。春に直径10㎝以上のナラやクヌギなどの木を切り出し、一か月ほど川の水につけ、湖の漁場に沈める。一年ほどで柴木に赤虫などが発生し、これを食べる魚が集まってくる。冬場に柴木の周りを簾で囲い、柴木をすべて引き上げ、投網を打って魚を捕獲する。明治35年の滋賀県の調査ではネヤと呼ばれる漁場が393ケ所もあったとの記録がある。一度に300kgほどの魚が取れたようであり、資源の減少も心配されたほどである。*4
2-3.高知県の四万十川では、今でも川漁師によって柴浸漁が行われている。ここでの漁は冬場だけでなく一年を通して行われる。柴には葉がついているシイ、ヤマモモ、ヒノキなどを利用し10本位の束にする。この束を5~7m間隔で7束ほどつなぎ、流されないように川底に重しを置き固定する。これをシハイと呼び、一漁業者が40シハイほど所有する。柴を漬けてから1週間ほどで柴の下に大きなタモ網を入れて、魚をすくい上げていく。季節によりテナガエビ、ハゼ、ウナギやワタリガニなどを収穫する。*5
2-4.各地の柴揚げ漁との比較
県外の事例も麻機遊水地と同様、古来より行われている伝統的な漁法である。魚類が水中の樹木を住処とする習性を利用し、餌などは一切使用しない。環境に負荷を与えない自然に優しい漁法であり、大いに評価される。しかし、県外の漁は明らかに商いのための漁業である。一方、麻機遊水地の柴揚げ漁は、自分たちの食料を自給するために必須のものであった。
3.麻機遊水地の柴揚げ漁の活動について特に評価をしている点
3-1.治水と生態系保全の高度な共生
麻機遊水地は都市を洪水被害から守る「治水施設」としての防災機能を果たすだけでなく、柴揚げ漁を通じて、市民に自然に親しむ場所と機会を提供している。さらに、自然環境保護や歴史、文化遺産を伝える役割を果たしている。
治水地を無機質な人工物で造成するのではなく、昔からの自然を生かした湿地として機能させていることは、都市防災と生態学の機能がうまく融合した成功事例として高く評価される。
3-2.自然環境及び生物調査の基盤
麻機遊水地ではこの漁を「環境モニタリング」の手段として活用している。漁には東海大学「水棲環境研究会サークル」が参加し、捕獲されたモツゴやメダカといった在来種の生息状況を調査し、オオクチバス等の特定外来生物を駆除する場にもなっている。
3-3.地域コミュニティの創出
時代と共に人々の社会的なつながりは希薄になっている。市街地に隣接しながら、保存会や地元住民、行政や支援団体が連携して、漁を継続している点は特筆に値する。都市化によって失われがちな「人と水辺の関わり」を、柴揚げ漁という体験を通じて伝統を再生し、地域コミュニティの結びつきを強化する仕組みとして豊かに機能している。
4.今後の課題と展望
4-1.担い手の確保と世代交代
大学生など次世代を取り込むとともに、自然環境に精通する人材を育成し、社会全体で支える体制の構築が急務である。
4-2.環境変化への対応
・温暖化による水温の上昇や水質悪化、土砂の堆積などにより、年々収穫量や種類が減っており、漁として成立しなくなっている。かつての遊興としての漁の再現ができない。今年は銀ブナ、ヨシノボリなど数匹しか獲れなかった。
・特定外来生物「ナガエツルノゲイトウ」の侵入もあり、令和6年12月20日には静岡市長も参加し駆除が行われている。*6
4-3.活動資金と周知
保存会による運営を継続するために、行政や地域企業との連携を図り、さらに観光資源としての認知度向上を図ることが必要である。
5.まとめ
・柴揚げ漁は自然と歴史が結びついた貴重な文化的遺産であり、地域の歴史的背景を再認識し、住民の郷土愛を育む機会となっている。これを後世に伝えることは、歴史を繋ぐだけでなく、都市部における自然再生と地域活性化のモデルケースとなると考える。
・保存会の濁澤氏は「昭和の柴揚げ漁は生活のためだけではなく、遊興(花見のような宴会の席)としても親しまれた。かつて、こういった漁や生活があったという、地域の風習・歴史・文化を継承していくことに意義がある。時代の流れと諸事情により完全再現は難しいが、漁法だけでも後世に伝えていきたい。また、子供たちへの自然体験学習の場を提供し続けることも重要だと思う。」と述べられている。
・柴揚げ漁は市民の関心も高く、毎年子供連れで参加している家族も多い。小学生の兄妹は自前の胴長と網を持参して、柴揚げ漁を体験した。魚が好きでたまらないという小学生の男子は、将来は魚の研究をしたいと熱く話してくれた。彼らが、この伝統を守り続けてくれることを期待する。
参考文献
【註】
*1 巴川流域麻機遊水地 自然再生事業実施計画
https://www.env.go.jp/content/900494189.pdf
上記内3頁 2-2-1 麻機遊水地の概要 より参照
*2 「麻機誌」麻機誌を作る編集委員会 昭和54年
上記内572頁 下段 7行目から10行目 より引用
*3 三方五湖世界農業遺産推進協議会 三方五湖とは
https://mikatagoko.org/about-mikatagoko/
柴着について 三方湖の柴着漁業 武生高等学校 五十嵐 清
https://www.nature.museum.city.fukui.fukui.jp/shuppan/kenpou/15/15-35-39.pdf
*4 滋賀県文化財保護協会 近江の柴漬漁
https://www.shiga-bunkazai.jp/wp-content/uploads/2023/06/kyoushitsu-102.pdf
*5 高知県四万十川河口域における工ビ柴浸漁について
https://www.jstage.jst.go.jp/article/cancer/6/0/6_KJ00003371524/_pdf
*6 浅畑川で特定外来生物「ナガエツルノゲイトウ」の防除を実施しました!
|みんなの活動レポート|しずおかみんなの「しぜんたんけんてちょう」|静岡市
https://www.shizutan.jp/report/2025/01/post-681.html
麻機遊水地保全活用推進協議会 » ナガエツルノゲイトウの駆除を実施しました
https://asabata.org/kyodo/%E7%89%B9%E5%AE%9A%E5%A4%96%E6%9D%A5%E7%94%9F%E7%89%A9%E3%80%8C%E3%83%8A%E3%82%AC%E3%82%A8%E3%83%84%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%A6%E3%80%8D%E3%81%AE%E9%A7%86%E9%99%A4%E3%82%92/
麻機遊水池におけるナガエツルノゲイトウの対策事例
https://jeas.org/wp-content/uploads/2024/12/f0b5cf5e6b31401f5f86171308423f31.pdf
麻機遊水地でナガエツルノゲイトウの駆除作業を行いました/社会環境学部 浅見ゼミ
https://www.tokoha-u.ac.jp/news/250115-2/
【参考文献・参考資料】
書籍
・「復刻増補 麻機村誌」 昭和51年12月25日発行 文化洞 発行所
・「麻機誌」昭和54年11月3日発行 麻機誌を作る編集委員会 発行者
・「千代田誌」昭和59年10月1日発行 安本博 編者 千代田誌を作る編集委員会 発行者
・「巴川流域総合治水対策 甲寅(2034年)への警鐘とは」平成27年1月11日発行
静岡市議会自民党議員団
・「北街道と巴川」昭和54年11月3日発行 著者 松永繁雄
・「決定版!グリーンインフラ」2017年1月24日初版第1刷発行 日経BP社 発行
上記書籍内 P198~P206
「グリーンインフラとしての遊水地」
西廣淳(東邦大学理学部生命圏環境科学科)
参考ウェブサイト
・巴川流域麻機遊水地 自然再生事業実施計画
https://www.env.go.jp/content/900494189.pdf
・巴川流域麻機遊水地 自然再生全体構想
https://www.env.go.jp/content/900494184.pdf
・麻機遊水地パンフレット
https://www.city.shizuoka.lg.jp/documents/1431/000914833.pdf
・柴揚げ漁:静岡市公式ホームページ
https://www.city.shizuoka.lg.jp/s6725/s013079.html
・協同組合静岡流通センター 「令和8年柴揚げ漁開催いたします。」
https://www.shizuokaryutsu.or.jp/event/1023/
・環境省 麻機遊水地保全活用推進協議会
生命でにぎわう沼に、人が集う ──南沼上柴揚げ漁保存会の活動
https://www.env.go.jp/nature/saisei/kyougi/asahata/repo.html
・静岡文化財団発行の広報誌「静岡文化情報 街かど Vol.15」(2014年3月8日発行p8)
https://www.scpf.shizuoka-city.or.jp/wp-content/uploads/2014/03/b5cd7bf78eb9cc029f7e5df5fbf7ea88.pdf
・巴川流域総合治水対策|静岡県公式ホームページ
https://www.pref.shizuoka.jp/machizukuri/dobokujimusho/shizuokadoboku/1044558/1072344/1072579/1072363.html
・巴川水系流域治水プロジェクト (巴川水災害対策プラン)
https://www.pref.shizuoka.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/076/844/tomoe_plan.pdf
・巴川流域麻機遊水地 自然再生事業実施計画
https://www.env.go.jp/content/900494189.pdf













