
久武館が伝承する阿州柳生神影流の武道神事 ーその保存と継承ー
はじめに
阿州柳生神影流は、戦国時代から続く剣術流派である柳生新陰流の流れを受け継ぐ徳島県に現存する古武道流派である。
現在、久武館が伝承している阿州柳生神影流が当地に伝来したのは、関ヶ原の合戦前に江戸から阿波へ派遣された木村郷右門尉義邦(以下木村郷右門)と言う人物がもたらしたと伝わる⑴。
柳生新陰流は、上泉信綱(1508?~1577?)が開いた流派で、その弟子であった柳生石舟斎(1529〜1606)の子孫である柳生家の家伝として現在も継承されている⑵。
しかし、久武館における柳生神影流(久武館では神影流として伝わる)は、その本流である柳生家の新陰流とは大きく異なり、剣と舞が一体となった武道神事として継承されている。本稿ではこの独自の進化を遂げた阿州柳生神影流の武道神事について論考する。
1-1:基本データ
正式名称:阿州柳生神影流兵法剣術
概要:新陰流を基とした剣術の武芸形および巫女舞を保存継承している
伝承地:徳島県名西郡石井町浦庄字国実503番地
NPO法人徳島県古武道協会加盟
1-2 歴史的背景
柳生神影流の徳島への伝来は、坂本裕二氏の研究によると蜂須賀忠英(1611〜1652)が藩主の時代であると論究している⑶。
しかし、この論によると1600年の関ヶ原の合戦前には徳島に伝承が伝わっていたとする久武館での口伝と少し時代にずれが生じるが、1600年前後の時期には伝来していたことは確かなようである。
この柳生神影流が徳島に伝来した当初は、新陰流の技法体系で中心となる武芸形である「三学円太刀」⑷など実戦的な剣術の修練が主に行われていたと考えられる。
2-1 久武館における武道神事の成立
阿州柳生神影流には、柳生新陰流の技術を背景にした剣による武芸形と巫女による舞の形が伝承されているが、巫女舞が阿州柳生神影流に加えられたのは、木村郷右衛門から数えて5代目の近久武一郎頼光(生没年不明)の頃で、江戸時代中期の人物であるという⑸。その頃に、扇や鈴、剣舞、棒神楽、ウズメの舞など多くの舞の形が取り込まれた⑸(資料1)。そのため、現在では剣術による武芸形と巫女による舞を合わせて柳生神影流の武道神事として継承されている。
2-2 柳生家に伝わる新陰流との比較
現在、柳生新陰流という名称で活動している団体はいくつか確認できるが、柳生家の子孫である柳生耕一氏によって主催されている柳生会による演武では、新陰流で伝統的に使用されている袋竹刀(資料2)や木刀を使った武芸形を伝承しており、2人1組で演じられる組太刀と呼ばれる形式での武芸形が各地で奉納されているが、剣による武芸形のみで、巫女舞など付随した芸能は見られない(資料3)。
筆者は、2024年に柳生新陰流を継承している柳生会統括事務のS氏に、柳生新陰流では巫女舞などの演目が形に存在しているのか質問したところ「そうした神前奉納は行われておりません。当流は尾張徳川家の御流儀として、歴代の藩主数名も宗家を継承していることからこうしたことは起こりにくいと思われます。」⑹との回答であった。つまり武芸形以外の芸能が柳生家の新陰流には組み込まれたことはないという。
また、奉納演武の形式を見ても柳生新陰流の演武は全て組太刀形式であるが、阿州柳生神影流の演武は組太刀以外に1人の人物に対して複数名で取り囲むように立ち向かうという演武の形式がみられる。(資料4)
つまり、阿州柳生神影流が伝承している武芸形と舞を両輪とした武道神事は、柳生家に伝わる新陰流には見られず、阿州柳生神影流において独自に変化した神事芸能であると言える。
3-1 武道神事の発生
神社での神事は、神社祭式次第に沿って斎行されることが通常である⑺(資料5)。資料に赤文字で示した「楽を奏す」という部分が通常は巫女舞であったり、雅楽の演奏の奉納であったりと、祭神への供物としてなにかしらの芸能が奉納される⑻。
神前で神への供物として武術の奉納が行われる様になったのは、藤本頼生氏によると「武勇芸能を重んじた鎌倉武士の間で神事の武技として奉納されるようになり、とくに源頼朝が鶴岡八幡宮で奉納して以降、各地に広まりました。」⑼とし、鎌倉時代から社寺で武芸の奉納が斎行されていたと論じている。
3−2 賀茂上下社における武芸形の奉納
京都の賀茂両社の大祭である葵祭を例に挙げると、5月1日から15日までにわたって様々な儀式や神事が奉納されている⑽(資料6)。
この祭事の中で、毎年5月5日に上賀茂神社で斎行される競馬神事のほか、前日4日には下鴨神社で古武道の奉納が日本古武道振興会と共催で斎行されており、全国から古武道継承者が集まり、日々の鍛錬の成果を捧げ、武術上達の祈願の機会となっている(11)(資料7)。だが、この奉納神事もそれぞれの流派がそれぞれの持ち時間中に武芸形を演武するにとどまり、神事の極一部を担うにとどまる(資料8)。
3-3 久武館が伝承する武道神事の持つ特筆性
これまで久武館によって伝承されている武道神事の歴史的経緯とその特徴について論じてきたが、久武館が各地の神社で奉納する武道神事は、巫女舞と武芸形を両輪として一連の演目性を持って捧げられるのが最大の特徴である。
2004年7月13日に徳島県の剣山宝蔵石神社の神前で武道神事が奉納された際の演目次第によると(資料1)奉納の最初は巫女による舞で場を清め、剣舞により邪気を払い、神楽舞によって神に楽しんでもらい、武芸形によって武術上達祈願というように、最初の巫女舞から最後の鶴の舞までが一連の祭式としての性質を持っており、資料5の神社祭式次第と対応させると資料8のとおりである(12)。
現在多くの社寺で神事の付帯芸能として舞や弓、剣などを使った武芸が奉納されているが、久武館が伝承する武道神事のように、奉納演目自体が祭式としての性質を持ったものは稀有であると言えるだろう。
4、未来へと繋ぐ保存活動
現在久武館の5代目館長を務める戸村博史氏は、「道場を先代から引き継いだ時点では私の子どもを含めて3人しかいなかった。そこから現在の門下生20数名の規模になるまで10数年の月日が必要だった」と語る(12)。
しかし、昨今の伝統芸能などの成り手不足は深刻で、無形文化遺産に登録され公費が投入されている大阪の「人形浄瑠璃文楽」の2023年度の志願者は0人だったという状況である(13)。
日本全国的に伝統芸能や行事の成り手不足が深刻な状況の中で、日本人や外国人を含め子どもから大人まで広い年代が久武館に集まっているのは、その認知を広げる活動が成功しているからだと言える。
現在の状況から、流派の次世代を担う人的資源は問題ないと考えられるが、その中から責任を持って道場を継承してゆく人材を今後どれだけ育成できるかにかかっているのではないだろうか。
久武館の門下生に入門したきっかけを質問をしてみたところ60代男性のGさんは「先祖が侍の家だったので、剣術をやってみたかった。」と言う声や、小学生のYさんの保護者からは「小学校で見かけた久武館のチラシを見て本人がやってみたいと言うので通わせましたが、決め手になったのは最近流行した剣のアニメでした」と言う声などが聞かれた(14)。
Gさんは、かつて地元の侍だった家系だったことから剣術に興味を持ち、またYさんは通っている学校で久武館のチラシを見て自分の意思で参加してきたのである。この両者の共通点は、自分から能動的な意志を持って久武館の活動に参加したと言う点である。
参加者がどんなきっかけで伝統芸能の世界に足を踏み入れるかは様々であるが、地域の伝統文化が自分ごととして感じられるきっかけの一助になる機会を、なるべく多く地域の中で提供できるかが肝要なのではないだろうか。
5、まとめとして
久武館の歴史的背景と伝承している武道神事という特筆性について論じてきたが、ただ珍しいというのでは昨今の人材難の問題に直面していたことは想像に難くない。伝統芸能の保存や継承に対する意見や取り組みの考察を見ていると、公的な助成や支援が必要であるという意見も聞かれるが、もちろんそういった公の支援があれば、地域の伝統や文化を守り伝えてゆく一助になる。
しかし、公的な支援が伝統文化を直接保存発展させるのではなく、自発的な意思を持って集まった人たちによって伝統や文化は育まれる。そうした、主体性を持って久武館に集まった門下生たちによって、徳島という郷土に残った武道神事という神事芸能が保存され、これからも末長く未来へ継承されてゆくことを期待している。
参考文献
【引用脚注】
⑴阿州柳生神影流久武館ホームページ https://kyubukan.net/ (2024年12月16日閲覧)木村郷右門尉義邦は木村郷右ヱ門尉義邦とも表記されることもあるが、本稿では木村郷右門尉義邦(木村郷右門)で統一した。
⑵柳生新陰流ホームページ https://yagyu-shinkage-ryu.jp/?page_id=1250 (2024年12月11日閲覧)
⑶坂本裕二「阿波の柳生新陰流剣術」、『徳島の剣道』第16号、徳島県剣道連盟、2000年、46頁。
⑷柳生宗矩著、渡部一郎校注『兵法家伝書』岩波文庫、2004年、123-153頁。
⑸著者レポート『阿州柳生神影流の伝統とそれを守り継承する久武館道場』芸術教養演習1、2024年。
⑹柳生新陰流柳生会事務局S氏へ2024年8月22日、電子メールにて聞取り。
⑺ 小野和輝『祭式大成男女神職作法篇』和光社、2013年(初版1972年)、378ー379頁。
⑻瓜田理子『神楽秘曲の特徴ー神宮式年遷宮の御神楽の儀と即位礼後賢所御神楽の儀を比較してー』66頁。
⑼藤本頼生『武芸と神事の結びついた「競馬・流鏑馬」』國學院大学メディア、2017年。https://www.kokugakuin.ac.jp/article/44598(2025年1月11日閲覧)
⑽京都市「葵祭」、『文化史解説シート26』Ver.1.01、京都市歴史資料館、2005年、4頁。
(11) 日本古武道振興会ホームページ https://kobushin.jp/news/202404032690/(2025年1月10日閲覧)
(12)戸村博史氏へ2024年11月15日、電子メールにて聞取り。
(13)田中佐和『文楽「研修生」応募なし 次代への継承危機、異例の募集延長』産経新聞、2023年。https://www.sankei.com/article/20230422-XW36AVCLKFNXHFGWOPRGBU3ACA/(2025年1月10日閲覧)
(14)2024年11月9日、徳島県名西郡石井町の久武館にて聞取り。
【参考文献】
小野和輝『祭式大成男女神職作法篇』和光社、2013年(初版1972年)。
小野功竜「春日大社の社伝神楽について」、『相愛女子大学・相愛女子短期大学研究論集. 音楽学部篇 (28)』相愛女子大学、1981年、47ー56頁。
木村はるみ他『神と演じる劇的空間ー神事芸能と身心変容技法ー』京都大学こころの未来研究センター、2013年。
京都市「葵祭」、『文化史解説シート26』Ver.1.01、京都市歴史資料館、2005年。https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/bunka26.html (2025年1月10日閲覧)
坂本裕二「阿波の柳生新陰流剣術」、『徳島の剣道』第16号、徳島県剣道連盟、2000年、44ー49頁。
橋立亜矢子「かぶき踊の源流とその虚構性」、『日本文學』東京女子大學日本文學研究會、巻108、2012年、129ー143頁。
林博彰『剣山本宮剣神社例大祭と剣山忌部修験道の歴史』一般社団法人忌部研究会、2021年。
廣井和也『令和の世に古武道あり』徳島新聞、2020年。
福岡雅巳「徳島武術史跡紀行」、『月刊秘伝』BABジャパン、2020年3月号、118ー123頁。
柳生厳長『正伝新陰流』島津書房、1992年(初版1989年)。
柳生宗矩著、渡部一郎校注『兵法家伝書』岩波文庫、2004年。
付記:これまで終始熱心なご指導をいただきました京都芸術大学の先生方に心から感謝いたします。また、度重なる取材に応じていただき多大なご協力いただきました久武館の戸村博史氏とその門下生の皆さまにお礼申し上げます。