
辻占文化の変遷 ~金沢の正月の縁起菓子「辻占」~
はじめに
石川県の金沢市周辺では、正月に家族で辻占をする【資料1-1】。辻占とは、最中の皮や、餅粉でできた花のような小さな菓子の中に「これからよくなる」、「約束してもよろし」、「良縁きたる」などの占い文が書かれた紙片が入った縁起菓子である【資料1-2】。占い文になにが書かれていたのかを、家族で順番に発表してその1年を占うのである。筆者が生まれ育った金沢では、12月になると和菓子店や、スーパーで辻占が売られる。正月に辻占をする風習がある地域は全国的に珍しく、本稿では辻占がどのような歴史をたどって現代に継承されてきたのかを考察する。
1.歴史的背景
1-1 辻占の起源
現代において縁起菓子として認識されている辻占だが、その起源は、日本に古くから伝わる占いの一種である。『万葉集』にも登場しており、「ことだまの やそのちまたに ゆふけとふ うらまさにのる いもはあひよらむ」と詠まれている(1)。夕方から明け方に道の辻に立ち、すれ違う人の言葉や服装から神託を得る占いを辻占と言ったのである(2)。その後、未来を暗示するような占い文が印刷された紙を辻占と呼ぶようになり、江戸時代後期には豆やかりんとうなどの菓子の袋の中に辻占(占い文)を一緒に入れて、辻占菓子として販売するようになった(3)。
1-2 辻占の総本社ー大阪府東大阪市の瓢簞山稲荷神社
創建1583年の稲荷神社で、全国で唯一夕占の風習に基づいた辻占ができる神社である(4)。『河内名所図会』(1801年)には、辻占で有名な場所として記されている(5)。幕末から明治時代になると、瓢簞型の最中の中におみくじを入れたり、火であぶり出すおみくじが評判になった【資料2】。瓢簞山稲荷神社の辻占おみくじは、行商人により全国各地に広まり、売り子は「淡路島通ふ千鳥の瓢簞山 恋の辻占いらんかへ」と呼び声をあげて売るほど有名だった(6)。
1-3 辻占菓子
江戸時代後期には文学作品や錦絵に辻占菓子が登場するようになった。【資料3】、【資料4】。 辻占菓子の最盛期は、江戸時代後期から明治期で、当時は売り子が街で売っていた(7)。辻占に書かれた文言は男女の情に関わることが多く、都市部の花街において需要があったと考えられる(8)。
明治、大正時代には辻占菓子が一般庶民にも広まり、汁粉、アイスキャンデー、海苔、楊枝、箸袋、など幅広く辻占が活用 され、また最中の皮をあぶり出すと文字が浮き出るなど、凝ったものもあった(9)。戦中戦後の食糧難により辻占菓子は衰退したが、 現代においては「おみくじせんべい」として全国の寺社などで土産として販売されており、一部の地域では正月の縁起菓子として活用されている(10)。
また、アメリカやカナダの中華レストランで食後に提供されるフォーチュンクッキーは、中国が発祥だと思われているが、実は日本の辻占を参考にして作られた。1915年に 日系移民がサンフランシスコで紹介して広まったとされる(11)【資料5-3】。
2.現代に継承されている金沢の辻占の評価点
2-1 花のような姿かたち
金沢の辻占は、花のようなかたちに作られている【資料6】。1849年創業の落雁の老舗諸江屋の辻占は福寿草がモチーフで、最中の皮を淡いピンク、白、緑、黄で着色し、表面に砂糖が塗ってある。【資料7】。菓子店によって、最中の皮で作るパリッとしたタイプ(花型)と、餅粉から作るしっとりしたタイプ(つくばね型)の2種類ある【資料6】。大きさは2~3cmで慎重に二つに割ると、中に小さく折り畳まれた占い文が書かれた紙片が入っている【資料1-2】。金沢は茶道が盛んな地域なので、四季の風情に合わせた菓子を作っていくなかで、色や形を職人が研究し、花のような辻占にたどりついたと考えられるが、いつ誰が考案したのかは不明である。一つひとつ手作業で丁寧に作られる辻占は、新年の初釜で使われることもある。
2-2 コミュニケーションツール
金沢で辻占が広まった理由として、諸江屋の6代目の諸江吉太郎によると、明治時代は現代と違い、若い男女の交際が限られていた。若い男女の出会いの場として正月のかるた取りがあり、そこで辻占をして、男女の情に関する占い文句が出てくると座が盛り上がり、流行になっていった。と語っている(12)【資料1-3】。
現代ではSNSの登場により対面で人と接することが減るなか、辻占は家族や友人とリアルに交流できる優れたコミュニケーション手段だといえる。
3.金沢の辻占文化の特筆すべき点
3-1 寺社の参道においてある縁起菓子との比較
1年中、辻占せんべいをおいているところがある。東京都日野市の高幡不動尊や、神奈川県川崎市の川崎大師、三重県の伊勢神宮などの参道で売られている辻占せんべいは、新潟県三条市の小林製菓所で作られている【資料5-1】。小林製菓所では、「おみくじせんべい」という商品名で販売しており、寺社など神聖なところでは吉凶を占える辻占菓子は受け入れられやすいようだ【資料5-1】。
1年中販売している「おみくじせんべい」に対して、金沢市周辺では、12月上旬から辻占が販売される。年々、年中行事をしなくなり季節感が薄れるなかで辻占が売られているのを見ると、新年が近づいてきたことを感じることができる貴重な風物詩の一つである。
3-2 新潟・長崎との比較
正月の縁起物として辻占をする風習があるのは、石川県の金沢市周辺、新潟県の魚沼地方、長崎県の平戸市である(13)。魚沼には以前、辻占せんべいを製造する菓子屋が10社あったがすべて廃業してしまい、三条市の小林製菓所から仕入れている(14)。平戸でも辻占せんべいを作る人がいなくなり、新年に辻占せんべいを食べる風習はなくなりつつある(15)【資料5-2】。
金沢においては、金沢駅の土産売り場に21軒ある和菓子屋のうち、5軒で辻占を販売していた(2024年12月)。そのうち3軒は自社生産で、2軒は仕入れたものを販売していた【資料6】。また、ほとんどのスーパーでも販売している。歴史と伝統を大切にする金沢の気質により「正月といえば辻占」という文化がしっかり根付いており、文化資産としての価値があるといえる。
4.今後の展望ー辻占文化を繋げていくために
金沢市周辺において辻占文化が根付いているとはいえ、課題は辻占をする人が減ってきていることである。50代の知人20人に聞き取りをしたところ、8割は、「子どもの頃はしていたが今はしなくなった」と言っている。現在も辻占をしているのは2割くらいだった。
ただ、県外の人に辻占を渡すと評判がよく毎年送付しているという声もあり、他県の人からみるとその見た目から風雅なものに映るようだ。これを活かして、職場や地域のコミュニティなど、人が集まるところで手軽にできる辻占文化を県外へ展開することを今後は考えていってもいいのかもしれない。2月の節分にその年の恵方に向かって食べる「恵方巻」のように、全国的に周知されることで、正月に辻占をする文化が新しい形として発展してしていくことも考えられる。
まとめ
小川直之は、「正月行事などは、太平洋戦争後の高度経済成長期を経て、現在では大きく変 わっています。正月の「節箸」を自家で作ることはなくなり、購入するのが一般化していますし、正月の餅も自家で搗いて用意する家は少なくなっています。」と述べている(16)。また、野村朋弘は「伝統は、伝達され保持されるためには、新鮮な現代人の意識によって再体験・再評価されるものである」と述べる(17)。
様々な伝統文化が時代とともに変化していくように、辻占のあり方も変わってきている。はじまりは占いの一種で形がなかった辻占は、江戸時代後期には辻占菓子として庶民に広がり全国的に人気となったが、現代において辻占菓子が継承されているのはごく一部の地域である。
辻占菓子を作る菓子店の廃業により、辻占文化を継承できなくなる地域があるのは残念なことである。諸江屋の諸江豊は、「一度風習によって支えられたお菓子が消えてしまうと、それは単なる商品以上に、その土地の歴史や文化そのものが失われる危険性を孕んでいる」と考えを示している(18)。
金沢における新年の縁起菓子、辻占文化を未来へと繋げていくために親から子、孫へとしっかり繋げ、その風習の価値について再認識することが必要である。
参考文献
【註】
(1)溝口政子・中山圭子著『北海道から沖縄まで 福を招く お守り菓子』講談社、2011年、P.12
中町泰子『辻占の文化史』ミネルヴァ書房、2015年、P.18-P.19
(2)溝口政子・中山圭子著『北海道から沖縄まで 福を招く お守り菓子』講談社、2011年、P.12
(3)溝口政子・中山圭子著『北海道から沖縄まで 福を招く お守り菓子』講談社、2011年、P.12
(4)瓢簞山稲荷神社 パンフレット、ウェブサイト https://www.hyotanyama-inari.com/
(5)瓢簞山稲荷神社 パンフレット、ウェブサイト https://www.hyotanyama-inari.com/
中町泰子『辻占の文化史』ミネルヴァ書房、2015年、P.15
(6)瓢簞山稲荷神社 パンフレット、ウェブサイト https://www.hyotanyama-inari.com/
中町泰子『辻占の文化史』ミネルヴァ書房、2015年、P.164
(7)中町泰子「辻占菓子についての一考察」ー運をひらく・縁をむすぶー、虎屋文庫機関誌『和菓子』(第11号)、虎屋、2004年、P.34
中町泰子『辻占の文化史』ミネルヴァ書房、2015年、P.162-P.175
(8)中町泰子「辻占菓子についての一考察」ー運をひらく・縁をむすぶー、虎屋文庫機関誌『和菓子』(第11号)、虎屋、2004年、P.36-P.38
溝口政子・中山圭子著『北海道から沖縄まで 福を招く お守り菓子』講談社、2011年、P.13
(9)溝口政子・中山圭子著『北海道から沖縄まで 福を招く お守り菓子』講談社、2011年、P.12、P.13
(10)中町泰子『辻占の文化史』ミネルヴァ書房、2015年、P.209-P.210
(11)溝口政子・中山圭子著『北海道から沖縄まで 福を招く お守り菓子』講談社、2011年、P.20
第6回嗜好品フォーラム、中町泰子「占い菓子の嗜好に関する日米比較研究 ─フォーチュンクッキーと辻占菓子─」、2008年。
ディスカバー・ニッケイ 2012年10月4日
日系チャプスイレストランとフォーチュンクッキー
https://discovernikkei.org/ja/journal/2012/10/4/chop-suey-fortune-cookies/
(12)中町泰子「辻占菓子についての一考察」ー運をひらく・縁をむすぶー、虎屋文庫機関誌『和菓子』(第11号)、虎屋、2004年、P.39
(13)溝口政子・中山圭子著『北海道から沖縄まで 福を招く お守り菓子』講談社、2011年、P.14-19
中町泰子『辻占の文化史』ミネルヴァ書房、2015年、P.185、P.186、P.226-P.262
中町泰子「新年の共食機会に見られる占い菓子享受の習俗化-長崎県平戸市と石川県金沢市を中心にして-」『年報 非文字資料研究』431頁-455頁、2011年。
(14)小林製菓所(新潟県三条市)代表取締役の小林進氏に電話にて確認(2024年12月11日)
(15)東漸寺(長崎県佐世保市)の住職、奥島氏に電話で確認(2025年1月20日)
(16)小川直之・服部比呂美・野村朋弘編『伝統を読みなおす2 暮らしに息づく伝承文化』(芸術教養シリーズ23)、藝術学舎、2014年、P.12
(17)野村朋弘編『伝統を読みなおす1 日本文化の源流を探る』(芸術教養シリーズ22)、藝術学舎、2014年、P.51
(18)諸江屋専務、諸江豊氏よりメールにて確認(2025年1月22日)
【参考文献】
中町泰子「辻占菓子についての一考察」ー運をひらく・縁をむすぶー、虎屋文庫機関誌『和菓子』(第11号)、虎屋、2004年。
『福よ来い! 占い・厄除け・開運菓子 展』小冊子、虎屋、虎屋ギャラリー2004年11月1日~30日。
溝口政子・中山圭子著『北海道から沖縄まで 福を招く お守り菓子』講談社、2011年。
山出保『金沢の気骨』北國新聞社、2013年。
野村朋弘編『伝統を読みなおす1 日本文化の源流を探る』(芸術教養シリーズ22)、藝術学舎、2014年。
小川直之・服部比呂美・野村朋弘編『伝統を読みなおす2 暮らしに息づく伝承文化』(芸術教養シリーズ23)、藝術学舎、2014年。
野村朋弘編『伝統を読みなおす5 人と文化をつなぐものーコミュニティ・旅・学びの歴史』(芸術教養シリーズ26)、藝術学舎、2014年。
中町泰子『辻占の文化史』ミネルヴァ書房、2015年。
虎屋文庫『和菓子を愛した人たち』山川出版社、2017年。
中山圭子『事典和菓子の世界 増補改訂版』、岩波書店、2018年。
【参考論文】
中町泰子「新年の共食機会に見られる占い菓子享受の習俗化-長崎県平戸市と石川県金沢市を中心にして-」『年報 非文字資料研究』431頁-455頁、2011年。
第6回 嗜好品文化フォー―ラム
中町泰子「占い菓子の嗜好に関する日米比較研究 ─フォーチュンクッキーと辻占菓子─」、2008年。
【参考ウェブサイト】
虎屋 菓子資料室虎屋文庫
歴史の人物と和菓子
モースと辻占煎餅 2005年5月16日
https://www.toraya-group.co.jp/corporate/bunko/historical-personage/bunko-historical-personage-051
(2024年12月4日閲覧)
ディスカバー・ニッケイ 2012年10月4日
日系チャプスイレストランとフォーチュンクッキー
https://discovernikkei.org/ja/journal/2012/10/4/chop-suey-fortune-cookies/
(2024年11月20日閲覧)
虎屋 菓子資料室虎屋文庫
歴史の人物と和菓子
淡島寒月と辻占 2014年12月16日
https://www.toraya-group.co.jp/corporate/bunko/historical-personage/bunko-historical-personage-166
(2024年12月4日閲覧)
虎屋 菓子資料室虎屋文庫
和菓子だより
二代歌川国貞「(菓子屋店頭の図)」明治元年(1868) 2017.07.14
https://www.toraya-group.co.jp/corporate/bunko/activity/bunko-activity-collection17-07-14
(2024年12月4日閲覧)
瓢簞山稲荷神社(大阪府東大阪市)
https://www.hyotanyama-inari.com/
(2024年12月4日閲覧)
東漸寺(長崎県佐世保市)2020年12月30日
https://tozenji.hatenablog.jp/entry/2020/12/30/025159
(2024年11月20日閲覧)
【取材協力】
・江代商店(長崎県平戸市) 電話:2024年12月2日
・平戸観光協会(長崎県平戸市) 電話:2024年12月9日
・小林製菓所(新潟県三条市)代表取締役 小林進氏 電話:2024年12月11日
・諸江屋(石川県金沢市) 2024年12月26日訪問
電話:2025年1月10日/専務取締役諸江豊氏 メール:2025年1月15日、22日
・瓢簞山稲荷神社(大阪府東大阪市)2025年1月3日訪問
・東漸寺(長崎県佐世保市)住職 奥島氏 電話:2025年1月20日