
弱みを強みに変えたアートによる街おこしーカナダ・トロントのStreetARTorontoに見る、これからの時代のアートのあり方
はじめに
カナダの最大都市トロントでは、行政主導によるStreetARToronto(以下StART)という取り組みがある(1)。違法なグラフィティ(落書き)による破壊行為や治安の悪化を減少させ、色彩豊かなコミュニティ参加型のストリートアートに置き換えることに成功してきた。本稿ではStARTを考察するとともに、実際に現地に赴き、実地調査や筆者自身が個展を開くことを通じて得た、内と外からの視点も踏まえて、これからの時代のアートにあり方について考察を試みる。
1. 基本データと歴史的背景
1−1. 基本データ
開始年は、2012年。トロント市政府が主体となり、公共の場における落書き被害を管理しながら、同時に、街に芸術的な活気を加えるストリートアートを継続的に支援。具体的には、
1.管理活動を調整するための統括機関の設立
2.許可されたグラフィティ及びストリートアートの支援と認識、地元の芸術的才能の発展を促進するプログラムへの投資
3.違法なグラフィティによる被害者への支援
4.違法なグラフィティに対する継続的な取り締まり
といった管理計画に基づいて進められている(1)。
stART2021年のプログラム情報セッションによると、1,000人以上のアーティスト、60以上のアート組織、9つの市部門、6つの市企業が参画。これまでに、1,000以上の壁画完成、500以上の交通信号機ボックスのペイントおよびラッピング、500以上のメンターシップ(アーティスト育成支援)の機会、ソーシャルメディアチャネルでの12,000以上のフォロワーを獲得するなど、大きな成果を上げている(2)。
1−2. 歴史的背景
トロントでは、違法なグラフィティが増加し、街の美観や治安が問題視されていた。その一方で、地元には質の高いグラフィティライターやストリートアーティストが多く、彼らの才能を合法的に活かす手段を検討。結果、違法な落書きを「都市の課題」から「魅力的な文化的資産」へと転換する目的でstARTが始まった。
2. 事例のどんな点について積極的に評価しているのか
第一に、違法行為を街おこしの資源に変えた点。合法的にグラフィティを描くスペースを提供することで、違法行為が減少。街がアートにあふれる彩り豊かなものに変わったことで観光名所となり、グラフィティやストリートアートを目当てにした多くの観光客を惹きつけている。違法なグラフィティという街の課題、いわば弱みを強みに変えたことは注目に値する。
第二に、住民参加型アートの実現。アート制作に住民を巻き込み、地域コミュニティの一体感を高める。壁画のテーマに地元の歴史や文化を取り入れることで、歴史や文化理解を深め、多様性を育み、住民に誇りと喜びをもたらしている。
第三に、若手アーティストの支援。まだまだグラフィティに対して眉をひそめる風潮もある中、地元の若手アーティストに制作機会を提供。メンターシップを通じてキャリア育成をサポートするなど、積極的に人を育てようという姿勢も評価したい。
3. 国内外の他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか
共通する事例として、コロンビアの首都ボゴタのストリートアートと比較する(3)。ボゴタは、ストリートアートが市民運動や政治的メッセージの手段として発展。政府は2011年に条件付きでアートの合法化を進め、世界有数のグラフィティの街として観光名所となった(4)。
ボゴタの取り組みと比較すると、治安改善や観光促進という点で共通点が見られるものの、StARTは、地域社会との協力や連携、アーティスト支援、公的資金の活用、治安対策との統合といった都市政策モデルという点で特筆される。
4.現地調査
2023年5月18日から24日まで、トロントに滞在。stARTの成功を象徴するエリアの1つであるクイーン・ストリート・ウエストを中心に調査。同ストリートは、Vogueの2014年9月号の企画において、「世界で最もクールな15の近隣地域」の第二位に選ばれている。また、同ストリートからすぐ近くにある、Graffiti Alleyは、トロントで最も有名なストリートアートスポット。全長1kmにも及ぶ規格外のスケールであり、多くの観光客を魅了している(5)(写真1,2)。
また、見学するだけではなく、数多くの現地の人たちと直接交流する機会を作るべく、絵画とニードルフェルトを展示する個展を同ストリートにて企画(6)(写真3、4、5)。筆者は個展の経験どころか、出展したことすらない。全く無名の上、現地に知り合いもいないため、現地のアート熱を測るために、またとないサンプルとなると予想。結果、延べ126名もが来場。売れるとは全く思っていなかっため、値段も付けずに、ただ並べていただけの作品を「買いたい」と申し出た人が6名ほど出るなど、アートが自然に生活に根付いていることを実感。来場者のグウェンダリンさんに話を聞いたところ、「作家の知名度ではなく、作品そのものを見て判断するのは普通のこと。トロントのストリートアートの大半は、誰が描いたものかわからないけど、私たちを楽しませてくれる。StARTには満足しているし、計り知れない影響がある」と語っている(写真6)。StARTが民意とかけ離れた行政の手前勝手な政策ではなく、人々の生活に浸透していること、影響力の大きさを肌で感じた次第である。
5. 今後の展望について
StARTの取り組みは、ストリートの壁画プロジェクトに留まらず、今後のアートのあり方に大きな影響を与える可能性を秘めている。
第一に、アートの「公共性」と「都市空間」の関係性の再構築。StARTの取り組みは、都市の壁やインフラをアートのキャンバスとして活用することで、美術館やギャラリーに依存しない新しいアートの発表の場、パブリックアートを作り出している。これは、バンクシーを始めとするストリートアーティストたちが実践してきたアートの在り方を、行政が制度化して推進するという新たな段階に入ったことを意味する。
第二に、デジタル技術の活用。デジタル技術との融合による新たな表現の可能性が考えられる。SNS活用、AR(拡張現実)やデジタルツアーを導入することで、場所に縛られないアートの鑑賞体験が可能になる。ストリートアートが新しい形で提供されることが期待される。
第三に、コミュニティとの連携による社会的影響力の強化。StARTの特徴の一つは、地元コミュニティと連携しながらプロジェクトを進める点にある。これは、ソーシャリー・エンゲイジド・アート(社会参加型アート)とつながるものであり、社会を変える力を持つものと考えられる。
以上、これまでの室内中心、一部の美術愛好家や美術館来場者らに限定されていたアートが、美術館やギャラリーの枠を超え、人々の生活やコミュニティにより密接に関わる形で展開されることが期待される。
5. まとめ
stARTは、違法な落書きや治安の悪化を抑制するとともに、ストリートアートとして合法的に有効活用。都市景観の向上、コミュニティの一体感を醸成、アーティスト育成や観光資源としてのポテンシャルを最大化するなど、弱みを強みに変えることに成功している。より開かれた公共空間へとアートを拡張する試みは、トロントだけでなく、世界の都市が目指すべき未来の文化政策の方向性を示唆していると考えられる。これからの時代、アートは「見る」ことを楽しむのはもちろん、「都市や社会と関わり、影響を与え合うもの」へと進化していくのも、1つのあり方ではないだろうか。stARTの取り組みは、その象徴的な事例として、世界的な影響を与えていくものとなるだろう。
参考文献
【注釈一覧】
(1) StART website
www.toronto.ca/streetart
(2) StreetARToronto 2021 Program Information Session Neighbourhood Projects, Transportation Services, City of Toronto
https://www.toronto.ca/wp-content/uploads/2020/12/8ce7-TS_StART_2021-Program-Info-Session.pdf
(3)Wayfaring Views
https://wayfaringviews.com/bogota-street-art-graffiti-tour/?form=MG0AV3
(4)産経新聞
https://www.sankei.com/article/20240804-CLUFND672RLE7JXK2RUT4EVZYM/
(5)CBC(カナダ放送協会)
https://www.cbc.ca/news/canada/toronto/artists-graffiti-alley-mural-anti-racism-movement-1.5602082
(6)個展データ
5月20日の1日限定、午後2時から9時まで開催。
実施会場:Moi Shop YYZ
住所:1196 Queen St W, Toronto, ON M6J 1J6, Canada
【参考文献】
[1] 大山エンリコイサム『ストリートアートの素顔』青土社 、2020年
[2] 井上先斗『イッツ・ダ・ボム』文藝春秋 、2024年
[3]ジョン・ブランドラー、アレッサンドラ・マッタンザ『BANKSY』高橋佳奈子訳、新星出版社 、2021年
[4] 本村凌二『古代ポンペイの日常生活――「落書き」でよみがえるローマ人』祥伝社、2022年
[5] StreetARToronto 2021 Program Information Session Neighbourhood Projects, Transportation Services, City of Toronto
https://www.toronto.ca/wp-content/uploads/2020/12/8ce7-TS_StART_2021-Program-Info-Session.pdf
2025年1月29日閲覧
[6] StART website
www.toronto.ca/streetart
2025年1月29日閲覧
[7] The Ancient Graffiti Project
https://ancientgraffiti.org/Graffiti/
2025年1月29日閲覧
[8]OLDEST.ORG
https://www.oldest.org/ancient/graffiti/
2025年1月29日閲覧
[9]Destination Toronto
https://www.destinationtoronto.com/neighbourhoods/westside/queen-west/
2025年1月29日閲覧
[10] Andrea Nelli, Graffiti A New York, Whole Train Press, Rome, 2012
[11] 産経新聞「アートあふれる高原の街ボゴタ 〝落書き〟条件付きで合法化」
https://www.sankei.com/article/20240804-CLUFND672RLE7JXK2RUT4EVZYM/
2025年1月29日閲覧
[12] New York Magazine
https://nymag.com/urbanist/the-ultimate-street-art-guide-to-bogot.html
2025年1月29日閲覧
[13] ART & SOCIETY
https://www.art-society.com/report/20130826.html
2025年1月29日閲覧
[14] Wayfaring Views
https://wayfaringviews.com/bogota-street-art-graffiti-tour/?form=MG0AV3
2025年1月29日閲覧
[15] CBC(カナダ放送協会)
https://www.cbc.ca/news/canada/toronto/artists-graffiti-alley-mural-anti-racism-movement-1.5602082
2025年1月29日閲覧