YouTubeで拡散されるバレエの魅力 ウクライナ人DANCER セルゲイ・ポルーニンの選択

江守 裕子

2016年イギリス・アメリカ合作ドキュメンタリー映画「ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣」は、ファッション業界にバレエブームを呼び起こし圧倒的で純粋な美はバレエへの関心を高めた。

1.バレエの歴史
バレエをダンス、舞踊としてその起源をさかのぼれば世界最古の壁画にすでに描かれた原始宗教の儀式から発生したといわれ祈願の儀式の中から生まれた。神との一体感的な恍惚を目ざす旋回舞踊や悪魔を祓う大地を踏む舞踊などである。やがて宗教から遠ざかり民衆娯楽としての踊りと鑑賞する舞踊へと発展し、純粋舞踊と観客を意識した劇的舞踊に分化していった。 イタリアの宮廷で余興「バッサダンツァ」から派生した「バッロ」が起源であるとされるバレエは、言うまでもなく音楽とストーリー性をもつ観客を前提とした劇的舞踊であり、身体とその動きの表現芸術である。歴史的にイタリアで発祥しフランスで育まれ、ロシアで完成されたといわれている。

2.経歴と背景ウクライナ
セルゲイ・ポルーニンは1989年11月20日、ウクライナのへルソンで生まれ8歳からバレエをキエフで学んだ。ウクライナの貧しい町で成功といえる人生を勝ち取るためにはオリンピック選手かバレエダンサーしか道はないという。そのため父はポルトガル、祖母までがギリシャに出稼ぎする離れ離れの生活で懸命に働き、その学費を工面する。バレエを選んだのは彼の母親であった。一流のダンサーを目指し、英語も話せなかった13歳から単身英国ロイヤルバレエ学校に留学させた。 どんなに才能に恵まれていようとも、幼くして異国で過ごす孤独感と不安は想像を絶する。 英国ロイヤルバレエ学校卒業後ロイヤルバレエ団に入団すると2008年、17歳で異例の早さでソリストに昇格、すでに主役がかすむ才能であり、2010年には史上最年少19歳でロイヤル・バレエ団プリンシパルとなる快挙を遂げた。まぎれもなく崇高な表現芸術であり裕福な上流社会を感じるバレエ界で、貧しいウクライナの少年が「ヌレエフの再来」と謳われる類い稀なる才能で頂点に上り詰めたのである。 しかし、プリンシパル2年目の人気ピーク時に電撃退団し国内外メディアで報道されると「バレエ界きっての異端児」と呼ばれる。

3.プリンシパルの意義
英国ロイヤルバレエ団は1956年王室勅書により、マーガレット王女を名誉総裁として王立バレエ団となり、現在の名誉総裁はチャールズ王太子である。パリ・オペラ座、ロシアのマリインスキー・バレエと合わせて世界3大バレエ団と呼ばれ、バレエ界伝説の天才ルドルフ・ヌレエフをはじめ、日本で有名な熊川哲也や、映画「リトルダンサー」で主人公として描かれたアダム・クーパーなどが在籍している。 バレエを志す者が目指すプリンシパルはある意味で大きな到達点である。アンナ・パブロアやニジンスキー、ミハエル・バリシニコフなど偉大なバレエダンサーにダンスを志す世界中の若者が憧れ、その地位を目指し努力を重ねるのである。その地位と名声を得ながら突然捨てたセルゲイの生き方は特筆に値し、バレエ団に衝撃を与えバレエに支配されるダンサーの人生に疑問を投げかけただろう。 ロイヤルバレエ団にはそれを引き留める術はなかったが、スターを失ってもその座はすぐに埋まる競争社会であり、現在外国人のプリンシパルを多く迎えているということだ。

4.才能と葛藤
バレエほど人として多くの犠牲をはらいストイックに訓練を積み、忍耐が必要な芸術も他にないだろう。
華やかなイメージとは異なる孤高の世界で、体型維持の食事制限や厳しい練習と足や背中の痛みに耐えながら、さらに夢に向かい前に進む情熱が必要であるという。
15歳のとき別居生活の中で両親が離婚し、家族の再結束の為に目指したダンサーへの手段が家族を壊してしまったという矛盾に大きな悲しみと精神的ダメージを受け、バレエへの情熱と「踊る意味を見失った」セルゲイの内なる葛藤と自己崩壊がその時はじまる。
鎮痛剤や滋養強壮剤、心臓の薬を直前に飲んで挑む舞台とそのプレッシャー、才能による呪縛を感じながら、窮屈なバレエ界に憤りと疑問を感じ人間らしい普通の生活を望むようになる。ロイヤルバレエ団電撃退団後、活躍の場をロシアに求め、著名なダンサーでありモスクワ音楽劇場芸術監督イーゴリ・ゼレンスキーの招きでスタニスラフスキー・ネミロヴィチ=ダンチェンコ記念音楽劇場、ノヴォシビルスク国立オペラ劇場バレエ団のプリンシパルとなるが、フリーになっても苦悩の日々は終わらない。

5.配信という表現手段
バレエ界プリンシパルの名声より、世界に彼を知らしめたのはYouTubeだった。
写真家デヴィッド・ラシャペル監督「Take Me To Church」のMVを最後にダンサーをやめる決心をする。  アイルランド出身のシンガーソングライターホージアの2013年の楽曲「Take Me To Church」は、すでにロシアのゲイ差別をテーマにしたMVが反響を呼んでいたが、セルゲイ・ポルーニンとのコラボレーションMVとしてYouTube配信された。コンテンポラリーなダンスと曲が美しく調和し、バレエ公演では化粧で塗り隠すタトゥーをそのままにハワイで撮影された4分間の映像は、DANCER公開で1800万回以上の再生回数となった。注目を集めた彼は、世界中でTV出演し映画出演を皮切りに、再びダンサーとして独自の道を切り拓いた。「やめれば楽になる」と考えていたが「苦しみから解放されるには踊り続けるしかない」と悟りを得たのである。
日本で2019年9月7日京都仁和寺「東洋と西洋の出会い」をテーマにした招待公演「仁和寺音舞台・令和の響き」がMBS・TBS系全国ネット放映された。着物風の衣装で舞うセルゲイのダンスは、日本文化と融合し独特の世界観が表現された。この動画を含め、ロンドン、パリ、ロシアなど世界中で繰り広げられる彼の活躍は公式YouTubeでいつでも閲覧可能である。 ドキュメンタリー映画第2弾「DancerⅡ」はアントン・コービン監督で制作され、現在Netflix UKで公開中である。同監督がオランダ北ホランドで撮影したロックバンドDepecheMode「In Your Room」のMVは抜粋映像として2021年6月にYouTube配信された。
ロケーションにより、表現力は劇場内の域をはるかに超える。特にコロナ禍で、配信で発表できることは芸術活動、それを観る受け手側にも必要な進化である。
ソーシャルディスタンスが常識の今、盛装して劇場でバレエ観賞する価値が問われる。

6.評価のまとめ
歴史的な伝統芸術も古いことにはさして意味はなく、時代に添って変化を遂げるべきであると考えている。「歌舞伎」の題材にアニメが採用され「雅楽」でポピュラー音楽が奏でられるなど「現在」の取入れは伝統の継続にも重要な試みであり、好き嫌いに関わらず伝統に命を吹き込み再び輝きを与えるが重要である。ロイヤルバレエ団でもアダム・クーパーが白鳥を踊るマシュー・ボーン「白鳥の湖」は独創的で新しさがあった。セルゲイ・ポルーニンはバレエ界では異端でも、高尚でクラシックなともすれば堅苦しいイメージのバレエ界から、その高い舞踊技術を配信で世界に解き放ち、より多くのジャンルをクロスオーバーして新しい芸術に発展させた功績は大きい。特にファッションとの関わりは重要である。彼の高いダンス技術の一瞬を捉えることで普通のモデルでは撮れない衝撃的なファッションフォトが生まれ、ファッション業界は古臭いイメージのバレエ衣装よりも圧倒的に彼を魅力的に見せることができる。 「世界に足りないものを補うことが芸術の役割」であると来日インタヴューで答えており、 ダンサーを引退する時が来ても、指導者や映画俳優、様々な業界のアーチストとのコラボレーションなど、今後の芸術活動・表現の可能性は無限大といっていいだろう。
ウクライナは今、ロシア侵攻の危機に瀕している。才能あるダンサー達が兵士にならないことを心から願うのである。

  • 1 筆者・画 DANCER
    www.esquire.com エスクァイア編集部2018.12.27掲載写真よりインスパイア
  • 3 セルゲイ・ポルーニン受賞歴 出演映画一覧(筆者制作)
    2020年シンプルな情熱は、1991年アニー・エルドー原作 監督ダニエル・アルビット
    カンヌ映画祭出品作品。ダンサー以外の初のメインキャラクター作品である。
  • 4 「DANCER」筆者画 2022.1.29

参考文献

映像資料
映画『DANCER セルゲイ・ポルーニン世界一優雅な野獣』2016年イギリス・アメリカ
監督スティーブン・カーター演出・撮影デヴィッド・ラシャペル配給アップルリンク・パルコ
文中インタヴュー字幕より引用「」
YouTube Hozier-Take Me To Church /Sergei Polunin in `Take Me To Church`2016
                                    2021.12.29
SergeiPoiunin公式YouTube
    Sergei Polunin x Anton Corbijn                   2022.1.20
    Moonlight Sonata-Sergei Polunin,Otobutai Festivai,Japan       2022.1.2
    The Road To Eternity                       2022.1.2
    at the` House of Music`,Moscow                  2022.1.2
    Romeo and Juliet,Royal Albert Hall,2021              2021.12.29
Instagram Sergei Polunin https://www.instagram.com/polunink/        2022.1.20

写真ハービー・山口『セルゲイ・ポルーニン写真集』PARCO出版、2017
kotobank.jp 日本大百科事典「バレエ」の解説 2022.1.2
      日本百科全書「舞踊」の解説  2022.1.2
https://www.vogue.co.jp VOGUEjapan 2017.6.18、 7.20の記事  2022.1.2閲覧
VOGUE Japan 2020.2.26 LIFESTYLE/CULTURE &LIFEの記事より2022.1.7閲覧
https://eiga.com>俳優・監督セルゲイ・ポルーニン 2022,1.20閲覧
        映画.comニュース 2017.4.28   2022.1.20閲覧
http//www.royal-ballet-star.jp 輝くロイヤルバレエのスター達 2022.1.7閲覧
http://www.cetera.co.jp>passion映画『シンプルな情熱』公式サイト 2022.1.20閲覧
https://www.47news.jp バレエの天才「プーチン氏攻撃」に反発、肖像画タトゥー胸に入れる
                         2018.12.6の記事 2022.1.2閲覧
www.esquire.com エスクァイア編集部 2018.12.27
”バレエ界のバッドボーイ”と呼ばれたセルゲイ・ポルーニンが貫くこと 2022.1.20閲覧

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