浜松におけるピアノと楽器産業の発展について
1 はじめに
私の住む静岡県浜松市は日本の3大楽器メーカー(ヤマハ株式会社、株式会社河合楽器製作所、ローランド株式会社)が全て集まり、他の中堅楽器メーカーや、各種楽器部品の工場が集まる街である。その中でもピアノ製造ではヤマハが世界シェア第1位、河合楽器が第2位と世界の数あるピアノメーカーの中でとても高く評価されている。このピアノがどのようにして日本で生産されるようになり、そこから世界で高く評価されるに至ったかを述べ、音楽の聴き方や楽しみ方が大きく変化して行く中でこれからピアノの発展の展望を考察することとする。
2 基本データ
ピアノはヤマハが世界シェア1位、河合楽器が2位であり、国内のものはほとんどが静岡県浜松市近辺で製造されている。日本には現在1000万台のピアノが普及し、4世帯に1台ピアノを保有しており、この数字は本場ドイツ、イタリアに比べても高い数字である。
ピアノの生産量を見ても日本はトップであり、高品質で安定したピアノを安価で量産している。これは日本の自動車メーカーが取り入れた大量生産方式を早くにヤマハと河合楽器がピアノ生産にも取り入れたからと言われている。また品質においても世界の一流の演奏家から認められ、各種国際ピアノコンクールにも採用されるに至っている。
しかし、国内での売り上げは、現状ではピアノは成熟産業となっており、また少子高齢化の影響や高品質、低価格化が進む電子ピアノを購入する人が増えてきているなど苦戦している。
そこで現在新たな市場が望める中国、新興国に向けて進出、販売の強化をする戦略を進めている。
3 歴史的背景
浜松市が本格的に産業発展したのは、徳川家康の在城を機に城下町として街並みを整えるべく街が整備され、さまざまな職人が集められたことに始まる。職人衆は「十種衆」と呼ばれその中でも幅を利かせていたのが「大工」と「鍛治」であり、職人であるとともに町の顔役ともなっていた。こうして木工や鉄工、鋳造や漆塗りなど様々な技術が求められるオルガンやピアノ作りに役立つ人的条件は古くから整っていたといえる。
明治4年、日本最初の学校制度が公布され教科の中には唱歌(西洋音楽)も取り入れられた。唱歌授業に必要なものは不足しているものが多く、その中でもオルガンは輸入に頼るしかなく、高価な輸入品を全国の小学校へ設置することは財政上困難であった。
当時、輸入されたオルガンの修理を経験した山葉寅楠(ヤマハ株式会社創業者)がこれを自分で作れないかと考え、また全国の小学校での需要の多さを感じ、国産のオルガン作りが始まった。そしてオルガン製造は成功し、寅楠は次の目標であるピアノ製造への期待が、音楽愛好家や学校関係ばかりか特約店や政府からも高まっていった。
その後、政府の「富国強兵」策によりピアノの国産化も大きな課題となり、それが寅楠に託された。そしてついに明治33年1月初めてのアップライトピアノ「カメンモデル」が誕生した。後にピアノ製造会社は全国に250程になるが、次第に淘汰され、減っていき昭和に入り戦後から浜松は本格的にピアノの街となっていった。またこの楽器業界を下支えしてきたこととして日本独自の「音楽の義務教育」により、教育楽器の需要があったことが挙げられる。
昭和の高度成長期には耐久消費財の普及とともにピアノも生産台数を伸ばし、価格的にも庶民の手に届きやすいものになっていった。そしてヤマハと河合楽器はピアノの大量生産と販売力をつけていった。しかし昭和60年頃になると成熟産業となり、それからは少子化や趣味の多様化などがあり模索が続いている。
昭和60年始めには一流のコンクールである「ショパンピアノコンクール」と「チャイコフスキー国際コンクール」にヤマハと河合楽器のグランドピアノが採用され、世界のピアニスト達にはじめて認められた。その後世界中のコンクールで日本のピアノが採用されていくことになる。
現在ではピアノの世界シェアの1位と2位をヤマハと河合楽器が占め、品質においても世界の有名なピアノコンクールで採用されるも、国内での売り上げは厳しく、中国や新興国への進出が課題となっている。
また浜松市は楽器の他にオートバイなどの輸送機器、浴衣などの繊維産業と「ものづくりのまち」として発展してきた。そして昭和56年からはものづくりの「楽器のまち」から文化面でも充実と発展を図ろうと本格的なオペラやオーケストラの演奏を楽しめるコンサートホール、音楽の学校、国内唯一公立の浜松市楽器博物館を浜松駅の東側に1箇所に集めたアクトシティ浜松がつくられた。
現在はアクトシティを中心に国内外のプロやアマチュアのコンサートを楽しめ、ピアノやオペラのコンクールや、高校生や中学生の吹奏楽団が定期的に演奏するなど音楽の文化面での活動がとても充実した街となっている。
アマチュアの演奏団体もジャンル、年齢層広く多数存在し、毎週末どこか数カ所で必ず演奏会が開かれており、ものづくりのまちだけではなく文化面でも浜松産の楽器の魅力を発信できていると考える。
4 外国の他のピアノメーカーとの比較
欧米を中心に世界には代表的なピアノメーカーが何十社とある。その欧米で生まれたピアノという楽器が、日本のヤマハと河合楽器というメーカーが世界シェア1位と2位を占めるという実績と、各種の国際ピアノコンクールで使用されているという快挙が両立しているところが何よりも特徴である。マーケットのシェアと製品の品質の両方が認められているのだ。
まずピアノの品質を維持したまま大量生産を可能にしたのは、戦後の高度経済成長期に自動車の生産ラインを手本にしたことである。これは当時外国の他のピアノメーカーの数十倍の生産量になる。また大量生産により安値な価格で販売でき、広く製品を各家庭に行き渡らせた。
またこれらの製品に対し、調律師養成システムを設けるなど、きめ細やかなアフターサービスを充実させたとも顧客の信頼を獲得することになる。
これらには自動車や電気製品などにもみられる日本人のものづくりの強みが楽器づくりにおいても十分にみられる。それは日本人の特徴である勤勉で素朴、忍耐強く自分の仕事にプライドを持つ職人気質、改善改良を重ねるなどの強みなどである国民性があると考える。
次に国際ピアノコンクールで使われるようになり、現在ヤマハ、河合楽器のホームページをみると、ピアノに関してクラシック、ジャズを中心に世界中の一流の演奏家が愛用していることがわかる。
またヤマハはピアノ製造以外にもバイオリン、チェロなどの弦楽器、フルート、サックスなどの管楽器からギター、ベースやドラムなど世界一の総合楽器メーカーでもあるので、クラシックやジャズ、ロック、ポップス、など幅広いジャンルの一流演奏家が使用していることも大きな特徴である。
5 今後の展望について
ヤマハと河合楽器がピアノの世界シェア1位、2位を占め、ヤマハは総合楽器メーカーとして世界の楽器業界を牽引しているといってもよいが、国内では楽器産業は熟成産業となり、少子化や趣味の多様化などにより売り上げが落ち低迷している。そこで現在は両社共に中国、新興国を中心に進出を展開し始めている。まだまだこれから中国、新興国の人々が少しづつ生活が豊かになってくれば必ず楽器の需要が出てくると考えられるのでこの取り組みはとても有効であると考える。
また日本国内をみれば売り上げが低迷してはいるが、まだまだ音楽の楽しみを知り趣味としている人の数が少ないと考える。ヒットミュージックはいくつか聴くが、クラシックやジャズなどの深みのあるジャンルを聴いている人や実際に楽器を購入し趣味として演奏する人はまだ少ないといえることから、音楽の楽しみや深みを少しづつ広げていけば可能性があると考える。
そして最近は音楽の聴き方がCDから定額制のインターネット配信へ変わってきている。互いに長所、短所はあるが、インターネット配信により気軽に今まで聴かなかった曲やジャンルも聴けるようになったことから、それらを聴き更に実際に楽器を手にとってみる人が増えればと期待する。
6 結びに代えて
ピアノをはじめとする楽器産業は、音楽という芸術表現の中の大事な一つであり、製品が広まって演奏されていくごとに聴いた方がこころ豊かになっていくという素晴らしい産業であるから少しづつでも世界中に広まって欲しいと願う。
- [写真1] 浜松の市街地のシンボルでもあるヤマハミュージック浜松店(2017年7月22日筆者撮影)
- [写真2] 浜松駅南口付近にある河合楽器のピアノショールーム(2017年4月6日筆者撮影)(非公開)
- [写真3] アクトシティ浜松にありランドマークのアクトタワー(2017年7月22日筆者撮影)
- [写真4] アクトシティ浜松にある浜松市楽器博物館(2017年7月22日筆者撮影)
- [写真5] 楽器博物館に展示されているヤマハ製のグランドピアノ(2017年8月9日筆者撮影)(非公開)
- [写真6] 楽器博物館に展示されている河合楽器製のグランドピアノ(2017年8月9日筆者撮影)(非公開)
- [写真7] アクトシティ浜松の大ホール(2017年6月14日筆者撮影)(非公開)
- [写真8] アクトシティ浜松の中ホール(2017年7月23日筆者撮影)(非公開)
参考文献
参考文献
公益財団法人静岡県文化財団(2015)『浜松ピアノ物語〜浜松のピアノが世界に認められた日〜』株式会社創碧社.
三浦啓市(2012)『ヤマハ草創譜』株式会社按可社.
静岡新聞社編(1994)『アクトシティ物語』静岡新聞社.
ジョン=ポール・ウィリアムズ(2016)『ピアノ図鑑 歴史、構造、世界の銘器』株式会社ヤマハミュージックメディア.
参考サイト
「ヤマハ株式会社」
「河合楽器製作所」
「ローランド株式会社」
「浜松の歴史」
「音楽のまちづくり」
「日本のものづくりの強み・弱み」