水面を覆う異色建築の歴史と未来 水上ビル(愛知県豊橋市)
水面を覆う異色建築の歴史と未来 水上ビル(愛知県豊橋市)
Ⅰ 水上ビルとは
愛知県東部、豊橋市は人口約38万の中核市である。鉄道交通の要所である豊橋駅には、JR東海道本線・新幹線・飯田線のほか名古屋鉄道が乗り入れ、豊橋鉄道の新豊橋駅と路面電車の駅前停留場が隣接する。その東側に広がる市街地を上空から眺めると、東西にほぼ平行に伸びる3本の線を見つけることができる。北から最大の繁華街の広小路通り、路面電車の走る駅前大通り、そして通称「水上ビル」と呼ばれる全長約800mの長大な建築群である。緩やかに蛇行しながら続く3~5階建ての豊橋ビル・大豊ビル・大手ビルが水上ビルと総称されているのは、これらが農業用水路の真上を覆って建っているからである。
Ⅱ 水上ビルの成立
水上ビルは1964~67年にかけて建設された。基本的に建物の1階部分が店舗、上階は商店主の住居や賃貸住宅となっている。大豊ビルには主に小売りを兼ねた問屋、豊橋ビルには飲食店、そして大手ビルには様々な商店が集まり、それぞれ特色のある発展を遂げてきた。これらの建築が水路の上に建てられたのには歴史的な事情がある。
戦災で焼け野原となった豊橋の市街地には戦後闇市が出現したが、それも復興への道を歩み始めると消えゆく運命にあった。駅前の闇市業者たちは1946年に1km程離れた場所で青空市場を始めたが、都市の再整備の過程で50年までに現在の大豊ビルそばの小学校跡地等へ移転し、60年代半ばにはそこにも商業ビルとバスターミナルが建設されることとなった。当時、市街地に新たな移転先を確保することは困難で、やむを得ず取られたのが農業用水路の上にビルを建設するという策であった。複雑な曲線を描く建築群の特異な姿の理由はそこにある。
Ⅲ 高度経済成長期の異色建築
水上ビルのように、都市整備の過程で行先を失った商業者たちの受け皿となった代表的な建築としては、1970年完成の大阪市の船場センタービルが挙げられる。繊維問屋を主な入居者として高速道路と幹線道路の高架下に約1000mに渡って続くこの建築も、水上ビルと同様に高度経済成長期が生んだ異色の建築である。
1950年代半ばから70年代初頭、日本経済は飛躍的な発展を遂げた。その最中に建設された水上ビルも、時代を象徴するような繁栄と輝きに溢れた。そして、70年代前半以降の安定成長期においては、一時の熱狂こそ冷めたものの引き続き賑わいを保ち、ビル群は成熟した佇まいを見せていた。しかし、90年代初頭のバブル景気崩壊後に客足が遠のき、老朽化と空き店舗の増加が進んだ現在では衰退の色が濃い。これは、船場センタービルが大都市の高度な交通網と経済活動を生かし、繊維・ファッションにほぼ特化した商業施設として評価されているのとは対照的である。ただ、高架下にすっぽりと収まった味気ない無機的な外観は、同じく立地の制約を受けながらも自由で開放的な水上ビルの姿には遠く及ばない。
Ⅳ 水上ビルの魅力と現在
2017年初頭、水上ビルの堂々とした佇まいと連続性は、周囲に高層建築が増加した現在も強烈な存在感と独特の雰囲気を醸し出している。店舗部分は、駅に近い豊橋ビルではほぼすべてが飲食店で埋まっている。続く大豊ビルでは、この街の核ともいえる菓子・玩具・花火問屋が4軒営業し、その賑わいはかつての水上ビルの繁栄を偲ばせる。空き店舗が目につく一方で新規の出店もあり、商業地として一定の需要があることがわかる。最後に大手ビルであるが、歩を進めるにつれて空き店舗が並び、シャッター街の様相となる。また、水上ビルの特徴のひとつである店舗の表裏両方の出入口が、大手ビルではほとんどでどちらかが閉鎖されている。これは、建物の両側を車道とアーケードに囲まれ、通りのどこからでも自由に商店街を活用する中で、店舗と住人そして来客が一体となって形成してきた街にとって大きな損失である。高度経済成長の特別な時代に、水路の真上という特別な場所で、人々の生活や営みに寄り添って発展してきたことこそが、異色建築・水上ビルの最大の魅力であった。
20年程前、1990年代半ばの水上ビルでは多くの店舗が営業し、人通りこそ減少していたものの往時の名残を留めていた。市街地全体も同様で、その後の大型店の撤退や売却、バスターミナルの閉鎖と隣接する商業ビルの衰退に象徴される暗い陰りは、駅の橋上化と再整備、そして複合商業施設や劇場等が完成した現在も豊橋の街を覆っている。
Ⅴ 水上ビルの未来
衰退する市街地の復権に、豊橋では更なる一手が準備されている。駅前大通二丁目地区の老朽化したビルと隣接する広場を再開発し、二棟の高層建築と中央に広場を整備する計画である。その内、東棟の1~5階には店舗・オフィス・市立図書館が入居し、上層階の住宅や広場とともに2019年度の利用開始が予定されている。西棟はその翌年度に着工される。
しかし、成熟した現代社会において、ハードの整備のみで街を活性化することは困難である。現存する資産を有効に活用し、双方を融合させた新しい価値を生み出していかなければならない。再開発計画地は賑わいや交流の場であると同時に、駅前大通りと水上ビルの中心である大豊ビルを直接結ぶこととなる。路面電車が走る通りの向かいには市内唯一の百貨店、その裏手には広小路通りが伸びる。既に水上ビルの西側には、芸術文化の交流拠点、穂の国とよはし芸術劇場PLATが2013年に開館し、この施設は豊橋駅と連絡通路で結ばれていることから、今回の再開発によって市街地の回遊性が格段に向上すると共に、水上ビルは他のエリアと有機的に繋がる好機を迎える。そして、その役割は豊橋の街にとって極めて重要となる。
近年、古い建物の新たな利用が頻繁に話題となるが、水上ビルでもそのよう動きが見られる。2004年から都市型アートイベント「sebone」が開催され、14年にはアーケードを利用した「雨の日商店街」が始まった。また、16年には国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の一会場に選ばれ、これまで足を運んだことのない人々が水上ビルを訪れた。しかし、イベントの盛り上がりは単発的で、日常的な街の賑わいには繋がっていない。そして、建物の老朽化と特例的な設置の問題を考えた場合、未来における水上ビルの継続には厳しい現実がある。そうであれば、斬新でありながら古き良き時代の面影を残す貴重な建築の記憶を、人々の心に深く刻み込まなければならない。
空間の魅力は、常に何かで色付けをすることによって一層増進する。現在、人々の間では手作りやアートへの関心が高まり、各地で数多くの取り組みが行われている。私の住む静岡県浜松市では、駅前の商業施設の間の道路が屋根付きの広場に変更され、マルシェやクラフトを中心とする様々なイベントが月の半分以上で開催されて、賑わい創出の一翼を担っている。また、市街地の老朽化した公共施設や民間ビルの一部が、アートの感覚を生かした活動スポットとして再利用され、多くの人々の関心を集めている。
水上ビルも、これまでの取り組みで培った経験を活かし、芸術文化と人の交流の場として充実を図りたい。例えば、飲食店が続く豊橋ビルのアーケードでは、定期的にマーケットを開催する。そして、新旧入り混じった商店が出色の大豊ビルでは、そこでしか体験することの出来ない時間や空間の質をより高めていく。空き店舗はアートやクラフトの製作・発表に活用し、通りからは街が生き生きとしていた時代の雑多な音楽が聞こえてくる。反対に、シャッター街の廃虚の雰囲気が感性に刺激を与える大手ビルは、建物の下の水の流れを想起させる効果音で静かに包み込む。このように、建築群の非日常性を強調することによって街歩きの賑わいを取り戻した水上ビルは、新たな回遊の核として豊橋の街にとってかけがえのないものとなるだろう。
Ⅵ 最後に
現在再開発が動き始めた場所は、かつて大豊ビルの店主らが商売を行った小学校の跡地である。仮に新しい建築に水上ビルの店舗が入居するということになれば、それは故郷への回帰ということになる。そして、ビル自体は水路に戻り、自然や季節が溢れる水辺には人々が集う。広場では、水上ビルがもたらした芸術や文化による交流が継続し、たとえば、「水上マーケット」や「晴れの日商店街」が楽しまれる。このような循環の物語を考えてみる。
現在約50年の歴史を経た水上ビルは、他に類を見ない唯一無二の建築である。これに更なる彩を加えることができれば、たとえ建物が失われたとしても、人々の心に永遠に生き続ける遺産となるはずである。
- 水上ビル 飲食店が続く豊橋ビル(上段)、昔懐かしい菓子・玩具・花火問屋が残る大豊ビル(中段)、空き店舗が目立つ大手ビル(下段)から成る。
- 豊橋市中心部 豊橋駅東側に広がる市街地。広小路通りは豊橋を代表する繁華街。メインストリートである駅前大通りには路面電車が走り、市内唯一の百貨店が立地する。駅南東の線路と水上ビルの間には、「穂の国とよはし芸術劇場PLAT」が2013年に開業した。 (画像の内、豊橋市中心部図はあいちトリエンナーレ実行委員会「あいちトリエンナーレ2016ホームページ」より)
- 豊橋駅前大通二丁目地区再開発計画地 駅前大通りの老朽化したビルと隣接する広場の一体的な再開発が計画されている。ここはかつての小学校跡地で、大豊ビルに入居した店舗は以前ここで商売を行っていた。広場の地下には廃止されたバスターミナルが残っている。 (画像の内、計画地は豊橋市「豊橋市まちなか図書館(仮称)整備基本計画」、計画地拡大図は豊橋市「まちなか広場(仮称)基本計画」より)
- 船場センタービル (船場センタービル「船場センタービルホームページ」より)
- 静岡県浜松市における空間・建築の新たな活用例 近年、浜松市の中心市街地では、既存の空間・建築の特徴や歴史を生かした新たな活用の動きがみられる。
参考文献
近藤正典監修『豊橋いまむかし』1989,名古屋郷土出版社
豊橋市編『とよはしの歴史』1996,豊橋市
豊橋百科事典編集委員会編『豊橋百科事典』2006,豊橋市文化市民部文化課
吉川利明著『豊橋めぐり』1982,東三文化会
愛知県「商店街・コミュニティ形成推進会議in豊橋 会議録 事例紹介(1)水上ビルの現状とアートイベント「sebone」の取り組み」
あいちトリエンナーレ実行委員会「あいちトリエンナーレ 2016 ホームページ」
sebone実行委員会「seboneホームページ」< http://seboneart.com/index.html (参照2017-1-17)
船場センタービル「船場センタービルホームページ」http://www.semba-center.com/(参照2017-1-11)
ソラモ運営事務局「浜松市ギャラリーモール ソラモ ホームページ」
豊橋駅前大通地区まちなみデザイン会議「今年もやります!晴天決行!雨の日商店街」
豊橋駅前大通二丁目地区市街地再開発組合「豊橋駅前大通二丁目地区市街地再開発組合事業計画」
豊橋市「第2期豊橋市中心市街地活性化基本計画」
豊橋市「都市再生整備計画 豊橋市中心市街地地区(都市再構築戦略事業(人口密度維持タイプ))」
豊橋市「豊橋市まちなか図書館(仮称)整備基本計画」
豊橋市「豊橋はこんなまち」< http://www.city.toyohashi.lg.jp/8928.htm>(参照2017-1-20)
豊橋市「まちなか広場(仮称)基本計画」< http://www.city.toyohashi.lg.jp/secure/39636/hiroba_kihon.pdf >(参照2017-1-11)
豊橋市役所まちなか活性課「TOYOHASHIまちなかモノ語りマップVol.01 水上ビルとその界隈」
日本都市計画学会中部支部「豊橋「水上ビル」懇話~その成り立ちと次の10年にむけて~」
穂の国とよはし芸術劇場「穂の国とよはし芸術劇場PLATホームページ」