世界遺産の町を 支えた 中村ブレイス

澤村 賞子

〈はじめに〉
私は常日頃から、心の片隅に思っていることがある。それは、誰も住んでいない実家を将来どうするべきか、ということだ。私の実家は、人口の少ない「過疎」(注1)の進んだ町の中にある。いまに はじまったことではなく、私が幼いころにはもう兆しがあった。改善策があったのだろうか。
さて、そんな日常を送っているある日、テレビでNHKの「ももクロ」(注2)という番組に、島根県大田市大森町のきれいな「オペラハウス」(①写真1)の映像が流れた。古い建物をリノベーションしたという「中村ブレイス株式会社」の現在 会長 中村俊郎氏が登場した。この人物と、この町と、どのような関係があるのか、どんな取り組みをしているのか、興味がわき調べてみた。

〈歴史的背景〉
1、対象場所:島根県大田市大森町
2、歴史:1300年代 鎌倉時代、石見銀山を発見されたという記録(「銀山日記」より)から、室町・戦国時代には、大内氏、毛利氏の支配下におかれた。江戸時代には、多いとき年間15トンの銀を採掘した。1600年後期には、採掘が減少した。1866年 長州藩の占領に伴い、1869年(明治2年)に大森県が置かれた。その後、第一次世界大戦中まで銅の採掘も行われた。第一次世界大戦後は、銅相場の下落により休山した。1956年(昭和31年)、大森町は、大田市に合併された。1967年(昭和42年)「石見銀山遺跡」県指定史跡となる。1987年(昭和62年)、大森町は、銀山との街並みが、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。(②写真2)2001年(平成13年)、世界遺産暫定リストに登録される。2007年(平成19年)に、世界遺産登録が決定される。(注:「石見銀山(遺跡)とは」島根県ホームページから引用)
3、人口変動:「石見銀山」が世界遺産に登録されるまでの約700年の間、人口の変動は劇的である。1943年頃(昭和17・18年頃)、石見鉱山周辺の人口のピーク時は、約20万人が生活をしていた。閉山直後の人口は1000人になり、1980年には約500人になっていた。(注3)
4、対象人物・企業:中村ブレイス株式会社創立者、中村俊郎(現在 会長)1948年同町に生まれる。会社住所:島根県大田市大森町51番地1
中村俊郎氏は、京都の大井義肢製作所で就業、米国カリフォルニア州(UCLA)で義肢装具制作の研修留学をしている。1974年中村ブレイスを創業(義肢装具制作業、大森町の実家にて)。1982年中村ブレイス株式会社設立。1984年東京事務所開設。1991年メディカルアート研究所開設。そのほか、「石見銀山」の世界産業遺産登録に尽力する。石見銀山資料館理事長。(以上、他は省略する)(注4)

〈再生への好機到来〉
中村ブレイス創業者の中村俊郎氏は、1948年旧大森町の資産家の家に生まれた。しかし、第二次世界大戦終結後の日本は「自作農創設特別措置法と改正農地調整法」が成立(注5)され、俊郎氏が誕生した頃には、中村家の資産はなくなったあとだった。彼が幼いころは、裕福な中村屋という屋号で呼ばれていたので、家の事情が変わったと気付いたのは少し大きくなったころであった。彼は高校を卒業し、進学を希望していたが、そういった事情により、京都の大井義肢製作所で働くことになった。ある日、たまたま新聞の広告に通信で勉強ができることを知り、近畿短期大学で働きながら学びはじめた。それから、俊郎氏の仕事ぶりと素直な性格が京都大学病院から評価され、アメリカの義肢装具の世界的企業ホズマー社への留学生として旅立った。二度目のアメリカ留学は、モダン・オーソペディク社で学んだ。帰国後、1974年俊郎氏の仕事は、実家の納屋から出発した。アメリカ留学の経験により、何もない場所に大企業が本社を構えても「できる」ことを知った。その起業の決意が、大森町への貢献の始まりとなった。
この中村ブレイスの特色は、義肢のほかに、オーダーメイドのシリコーンゴムで作るインソールを主力で、いまや世界数か国で特許を得るほどになっている。(注6)(③写真3)(④資料1)

彼は、“行政には頼らない古民家修復”にも貢献した。会社を創業した頃からはじまった。昔の大森町は、石見の銀山街として発展した。劇場や旅館も立ち並んでいた。現在では、ある古民家には、東京から招かれたドイツパン職人が移住し、パン屋さんを出店している。多くは従業員の住居に使われ、宿泊施設にもなっている古民家もある。宿泊施設は、中村ブレイスでオーダーメイドされる方に、泊まって頂けるようにと、用意されている。また、世界遺産石見銀山を観光に来られる方々にも宿泊場所として提供している。(注7)
ゴーストタウンだった町が、息を吹き返し、昔のような賑わいをみせているのだ。(⑤図1)

〈比較事例:過疎化対策の実情〉
私の実家がある山口県山口市徳地は、旧佐波郡徳地町だ。1955年(昭和30年)に五ケ村が合併し、徳地町になり、その頃の人口は、2万人いた。(注8)しかし、2005年(平成17年)に山口市と合併し、2021年(令和3年)には、人口が5502人になった。(注9)1955年と比べると4分の1になった。徳地を比較対象にした意味は、大森町の石見銀山と同様に、歴史的文化遺産があるからだ。
徳地は1181年に俊乗房重源が東大寺の再建のために、この地の大木を切り出し、奈良の地へ持っていった歴史がある。東大寺の南大門と、運慶が作った金剛力士像の木は徳地の木を使用していると、証明されている。(注10)そんな町の過疎対策をどのようにしたのか、1995年(平成5年)から徳地町町長に従事された、現在山口市議会議員 伊藤青波氏に、質問をした。

“徳地は、農林業を中心に発展してきた。農林業の活性化を図るための圃場(ほじょう)整備の設立、ピーマン・イチゴ・シイタケの特産品化、新規就農業者の受け入れ支援等を実施。林業においては、大型製材所「本社製材工場 大林産業」誘致。しかしながら、農作物や木材において低価格が続き、農林業で生計を立てることができない状態だった。近郊の市に就業を求める者が多くなった。少子化高齢化・人口減少を抑えるために、「重源の郷」「大原湖キャンプ場」を整備したが、長期にわたっての地域の活性化・人口の定住には繋がらなかった。”
(「伊藤青波氏からの回答」(2020.12.3受))

このように、文化遺産保有の町で、行政が関わっていても、伊藤氏が行った取り組みの成果は、吉とはでなかった。なかなか難しいということがご理解頂けるだろう。大森町の再生は氷山の一角である。

〈大森町と、中村ブレイス株式会社の展望〉
私は、本件にあたって、中村ブレイスの会長 中村俊郎氏のご子息である専務 中村哲郎氏に、受け継ぐ者として、この先、どのように展開するのかと質問し、個人的な考えとして回答を頂いた。

“維持管理に関する細かい話だが、次世代の会社のデザインに関しては、特に飛躍したことは考えていない。地に足を付けて、地道にコツコツと誠実に患者さんの為により良い製品を作っていく、これしかないと思う。これを徹底し、良い仕事を続けていけば、おのずと弊社で働きたいという人は増えてくるし、利益も増える。そうすると大森に住んでくれる人も増え、さらに結婚などしてくれると子供たちなど若い世代も増えていく。さらに家も必要になり、新たな改修ができる。このサイクルが自然で、必要なものを必要な時に作ることができ、無理がないのではないかと考えている。やはり、人がいなければ町は成り立たないので、弊社としては、多くの方に定住してもらえるように、今後も住居などの面で協力していきたいと考えている。ただ、住居だけでは面白くない。はやり文化(施設)というものがとても重要だと考えている。“(「中村ブレイス株式会社 専務 中村哲郎氏のコメント」(2020.12.8受))

〈まとめ〉
いくら歴史的文化遺産があろうとも、町を活性させることは難しいことである。しかし、「過疎」という言葉の意味をも知らなかった、私の人生の約40年前から、中村ブレイスは、着々と大森町を良好な姿に変えていったのだ。中村ブレイスが、特殊な業種だったことと、会社の運営が良好だったことが、再起に脚光を浴びることとなった。一番は、創業者 中村俊郎氏の、『地元愛』が誰よりも強かったことが、大森町を再生に繋げたと、考察する。最後に、繁栄していく大森町と、中村ブレイス株式会社の貢献を、文化資産と評したい。

  • 1_%e2%91%a0%e5%86%99%e7%9c%9f%e3%80%80%ef%bc%91 ①写真1
    オペラハウス「大森座」
    (中村ブレイス株式会社ホームページから引用 2015年12月20日)
    http://www.nakamura-brace.co.jp/opera
    閲覧日:2020.11.25
  • 2_%e2%91%a1%e5%86%99%e7%9c%9f%e3%80%80%ef%bc%92 ②写真2
    島根県大田市大森町のまち並み
    1987年に 重要伝統的建造物群保存地区に指定された。
    (中村ブレイス株式会社 中村哲郎専務撮影2020.12.8)
  • 3_%e2%91%a2%e5%86%99%e7%9c%9f%e3%80%80%ef%bc%93 ③写真3
    中村ブレイス株式会社 社屋内・作業場
    (中村ブレイス株式会社 中村哲郎専務撮影2020.12.8)
  • 4_%e2%91%a3%e8%b3%87%e6%96%99-%ef%bc%91 ④資料1
    中村ブレイスの商品のひとつ
    (中村ブレイス株式会社 ホームページから引用)
    http://www.nakamura-brace.co.jp/medicalart
    閲覧日:2021.1.3
  • 5_%e2%91%a4%e5%9b%b3-%ef%bc%91 ⑤図1
    古民家再生活動
    中村ブレイスの古民家再生マップ
    (中村ブレイス株式会社ホームページから引用)
    http://www.nakamura-brace.co.jp/old_house
    閲覧日:2021.1.3

参考文献


(1)「過疎」の話 全国過疎地域自立促進連盟http://www.kaso-net.or.jp/
(2)「松崎しげるとももクロのくろ旅」2020年11月6日TV放送にて大森町が紹介された 広島NHK放送局https://www.nhk.or.jp/hiroshima/kurotabi/
(3) インターネットから参考『事業構想PROJECT DESIGN ONLINE:2014年12月号 地方創生 2つの輪」』業構想大学院大学https://www.projectdesign.jp/201412/vitalizinglocal/001766.php
(4)徳島大学工業会記念講演 中村俊郎氏のプロフィールより一部引用https://www.tokushima-u.ac.jp/kgk/summary/meeting/2011lecturer_profile.html
(5)自作農創設特別処置法と改正農地調整法:インターネットから「公文書による日本のあゆみ」http://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/s21_1946_05.html#:~:text
自作農創設特別措置法と農地調整法改正法に基づいて、不在地主の小作地全てと、在村地主の小作地のうち一定の保有限度を超える分は、国が強制買収し、実際の耕作をしている小作人に優先的に低価格で売り渡すこととなりました。
(6)参考書:千葉望著『世界から感謝の手紙が届く会社(中村ブレイスの挑戦)』株式会社新潮社発行、 発行者:佐藤隆信、平成22年12月1日発行、P98~155要約し記載
(7)『ひとまち結び』~私財を投入、古民家再生で蘇った世界遺産のまち~2020年10月22日、インターネットより参考 要約し記載https://project.nikkeibp.co.jp/hitomachi/atcl/study/00045/
(8)インターネットより「経営発達支援計画の概要 - 中小企業庁 - 経済産業省」PDF資料から人口数引用https://www.chusho.meti.go.jp/keiei/shokibo/ninteikeikaku/download/35-19.pdf
(9)インターネットより「山口市のホームページ」(山口市の人口(令和3年1月1日現在) から人口数引用 https://www.city.yamaguchi.lg.jp/uploaded/attachment/56602.pdf
(10)インターネットより「森林セラピー山口」~東大寺再建のふるさと〜杣入りの地徳地〜 http://www.shinrin-therapy-yamaguchi.jp/area/todaizi/

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